絶対探偵小説脳髄は物を考える処に非ず===正木博士の学位論文内容===一記者 ナニ。吾輩の学位論文「脳髄論」の内容がナゼ学界に発表されないかッテ……アハハ。馬鹿にするな。物議を起すのを怖がって発表を差控えるような吾輩じゃないよ。実はチョット書き添えたい事があるから、手許に引取っている迄の事さ。 その内容を話せって云うのか。ウン。それあ話せない事はないさ。……しかし話したら直ぐに新聞に書くだろう。実はこの前に吾輩が話した「地球表面上は狂人の一大解放治療場」云々の記事を、君の新聞に書かれたんで、少々弱らされたよ。自家広告の宣伝記事だというので、ダイブ方々で八釜しかったらしいんだ。 ナアニ。吾輩は平気さ。何と云われたってビクともするんじゃないが、吾輩がすこし大きな事を云うと、事なかれ主義の総長や、臆病者の学部長が青くなって心配するのが気の毒でね。鶴川君の「万有還金」の研究や、赤井君の「若返り手術」以来、九大には山師ばかり居るように誤解されているからね。まして況んや今度の「脳髄論」の内容と来たら、前の解放治療の話に何層倍輪をかけた物騒なテーマを吹き立てているんだから……。 フン。書かないから話せというのか。新聞記者の書かない口上も久しいもんだが大丈夫かい。ウン……そんなら話そう。ところでドウダイ……葉巻を一本……上等のハバナだ。吾輩の気焔の聞き賃、兼、新聞記事の差止め料だ。チット安いかね。ハハハハハハ。きょうは吾輩閑散だからね。少々メートルを上げるかも知れないよ。 ……時に君は探偵小説を読むかい。ナニ読まない。読まなくちゃいかんね。近代文学の神経中枢とも見るべき探偵小説を読まない奴はモダンたあ云えないぜ。ナニ……読み飽きたんだ……ウハハハ。コイツは失敬失敬。さもなくとも君の商売は新聞記者だったっけね。アハハハハ。イヤ失敬失敬。 それじゃここに吾輩が秘蔵している、もっとも嶄新奇抜な探偵事実談があるが一つ拝聴してみないか。実はどこかの科学雑誌にでも投稿してやろうかと思って、腹案していたものなんだが、小手調べに君の批評を聞いてみてもいい。筋の複雑、微妙さと、解決の痛快皮肉さは恐らく前代未聞だろうと思うがね。むろん他に類例があったら、二度とお眼にかからないという、頗る非常的プレミヤム付きの……。 ナアニ。胡魔すんじゃないよ。今云う吾輩の脳髄論と大関係があるんだ。探偵小説というものは要するに脳髄のスポーツだからね。犯人の脳髄と、探偵の脳髄とが、秘術をつくして鬼ゴッコや鼬ゴッコをやる。その間に生まれる色々な錯覚や、幻覚、倒錯観念の魅力でもって、読者のアタマを引っぱって行くのが、探偵小説の身上じゃないか。ねッ。そうだろう。 ところがだ。吾輩の探偵小説というのはソンナ有り触れた種類の筋書とは断然ダンチガイのシロモノなんだ。すなわち「脳髄ソノモノ」が「脳髄ソノモノ」を追っかけまわすという……宇宙間最高の絶対的科学探偵小説なんだ。しかもその絶対的科学探偵小説のドンドンのドンガラガンの種明かしをして、人類二十億の脳髄をアッといわせるトリックそのものが、ソックリそのまま吾輩の「脳髄論」のテーマになっているんだからスゴイだろう。 ナニ。わからない。ハハハハハ。わからない筈だ。まだ何も話していないんだからね。ハッハッ。 ああいいともいいとも。速記に取ったって構わないよ。吾輩が「脳髄論」を学位論文として正式に発表する時まで、新聞に掲載するのを待っていてくれさえすればいいのだ。何ならアトで吾輩が筆を入れてやってもいい。談話として発表するよりも吾輩の創作として発表する方が都合がよくはないか……。 もっとも前以て断っておくが、この探偵事実談を聞いても、わかるか解からないかは保証の限りでないよ。何しろ脳髄が脳髄を追っかけまわすという、絶対、最高度の探偵小説なんだからね。解決が最初から立派についていながら、読者には絶対にわからない。ただ無暗矢鱈に奇抜突飛な、幻覚、錯覚、倒錯観念の渦巻きのゴチャゴチャだけしか感じられない……かも知れないというのが、トップのトップを切った脳髄小説のミソなんだからね。ハハハハハハハ。 ところでだ……まず劈頭第一に一つの難解を極めた謎々をタタキ付けて、読者のアタマをガアンと一つ面喰らわせてしまうのが、探偵小説の紋切型だろう。しかもその「人間の脳髄」を極度に面喰らわせ得る謎というのは、取りも直さず「脳髄」そのものに関するソレでなくてはならぬ事が必然的に考えられて来るだろう。 果然と ……一つ脅かしておくかね。ハハハハハハ。何を隠そうその「脳髄」こそは現代の科学界に於ける最大、最高の残虐、横道を極めた「謎の御本尊」なんだ。人体の各器官の中でもタッタ一つ正体のわからない、巨大な蛋白質製のスフィンクスなんだ。地上二十億の頭蓋骨を朝から晩までガンガンいわせ続けている怪物そのものに外ならないのだ。 人間の脳髄と称する怪物は、身体の中でも一番高い処に鎮座して、人間全身の各器官を奴僕の如く追い使いつつ、最上等の血液と、最高等の営養分をフンダンに搾取している。脳髄の命ずるところ行われざるなく、脳髄の欲するところ求められざるなし。何の事はない、脳髄のために人間が存在しているのか、人間のために脳髄が設けられているのか、イクラ考えても見当が付かないという……それ程左様に徹底した専制ぶりを発揮している人体各器官の御本尊、人類文化の独裁君主がこの脳髄様々に外ならないのだ。 ところが、それはそれとしてここに一つ不思議な事があるのだ。 それは他事でもない、その脳髄と自称する蛋白質の固形物自身が、古往今来、人体の中でドンナ役割をつとめているのか、何の役に立っているものか……という事実を、厳正なる科学的の研究にかけて調べてみると、トドのつまり「わからない」という一点に帰着する事だ。逆にいうとこの脳髄と名付くる怪物は、古今東西の学者たちの脳髄自身に、脳髄ソレ自身のホントウの機能をミジンも感付かせていない事だ。……のみならず……その脳髄自身は、ソレ自身がトテモ一キロや二キロの物質の一塊とは思えないほどの超科学的な怪能力、神秘力、魔力を上下八方に放射して、そうした科学者たちの脳髄ソノモノに対する科学的の推理研究を、片端からメチャメチャに引掻きまわしている。モット手短かにいうと「脳髄が、脳髄ソレ自身の機能を、脳髄ソレ自身に解からせないように解からせないように努力している」とでも形容しようか。従ってその脳髄は、脳髄ソレ自身によって作り出された現代の人類文化の中心を、次第次第にノンセンス化させ、各方面に亘って末梢神経化させ、頽廃させ、堕落させ、迷乱化させ、悶絶化させつつ、何喰わぬ顔をして頭蓋骨の空洞の中にトグロを巻いているという、悪魔中の悪魔ソレ自身が脳髄ソレ自身になって来るという一事だ。 むろんこれは吾輩一流の法螺やヨタじゃない。吾輩の専門の名誉にかけて断言するのだから……。 エッ……脳髄は物を考える処だ……と云うのかい。 そうだよ。みんなそう思っているんだよ。現代一流の科学者は勿論のこと、全世界のありとあらゆる種類、階級の人々は、プロとブルとを押しなべて皆、脳髄で物を考えているつもりで生きているんだ。ラジオも、飛行機も、相対性原理も、ジャズも、安全剃刀も、赤い理論も、毒瓦斯も何もかも、この一二〇〇瓦以上、一九〇〇瓦以下の蛋白質のカタマリから生み出されたものと確信し切っているのだ。 成る程、人間の屍体を解剖して、脳髄なるものを覗いてみると、そうした考え方は万々間違いないように見える。大脳、小脳、延髄、松果腺なんどと、無量無辺に重なり合っている、奇妙キテレツな恰好をした細胞が、やはり、奇想天外式に変形した神経細胞の突起によって、全身三十兆の細胞の隅から隅までつながり合っている。その連絡系統を研究して行くと結局、人体各部を綜合する細胞の全体が、脳髄を中心にして周到、緻密、且つ整然たる糸を引合った形になっているのだ。だから人間一切の行動を支配する精神もしくは、生命意識なるものは、脳髄の中に立て籠もっているのじゃないかしらんと考えられる。少くとも「脳髄は物を考える処」と考えて差支えないように考えられるのだ。 こうした考え方は現在ではもう人類全般の動かすべからざる信念……もしくは常識となってしまっているのだ。この「脳髄が物を考える処」という事実について今更めかしく疑いを起すものは、ドコを探しても一人も居ない事になっているのだ。現代の燦然たる文化文物は針一本、紙一枚に到るまでも、一つ残らずこうした「物を考える脳髄」によって考え出されたものである……と演説しても「ノーノー」を叫ぶ者は一人も居ない位にアタマ万能主義の世の中になってしまっているのだ。 ……然るにだ……ここで吾輩の脳髄探偵小説は、こうした世界的の大勢を横眼に白眼んだ一人の青年名探偵、兼、古今未曾有式超特急の脳髄学大博士を飛び出させているのだ。脳髄に関する従来の汎世界的迷信を一挙に根柢から覆滅させて、この大悪魔「脳髄」の怪作用……ノンセンスの行き止まり……アンポンタンの底抜けとも形容すべき簡単、明瞭な錯覚作用の真相を、煌々たる科学の光明下に曝らけ出し、読者の頭をグワ――ンと一撃……ホームランにまで戞飛ばさせている……という筋書なんだがドウダイ……読者に受けるか受けないか……。 ナニ。まだわからない……もう些し聞いてみなければ……。 何だって……空想小説じゃないかって……。怪しからん……。だから一番最初に「科学探偵事実小説」と断っているじゃないか。空想なんてものをコレンバカリも取入れたら、全篇の興味がゼロになってしまうじゃないか。むろんそうだとも……初めから一分一厘ノンセンスものじゃないんだから安心して聞き給え。そんな甘物じゃない事が、その中にわかって来るんだよ。いいかい……。 ところでその青年名探偵、兼、脳髄学の大博士は、吾輩が仮りにアンポンタン・ポカン君と名付けている二十歳ばかりの美青年なんだ。いいかい……むろん実在の人物なんだよ。しかもその美青年は古今無双のいい頭を持っているにも拘わらず、非常に危険な遺伝的、精神病の発作にかかったので、この大学に入学すると間もなく、この教室の附属病院に収容する事になった。 ……ナアニ……ヨタじゃないったら……恐ろしく疑い深い読者だね君は……虚構だと思うならイツ何時でも本人に紹介してやるよ。スグこの向うの七号室に居るのだから訳はない。「オイ。ポカン君……」と呼ぶと、ビックリしたように振り返る横顔がタマラなく可愛いよ。 ところでこのシークボーイ……アンポンタン・ポカン君は、その遺伝発作を起して人事不省に陥ったあとで、ヤット正気を取返すと間もなく、自分の生れ故郷や、両親の名前は勿論のこと、自分自身の名前までもキレイに忘れてしまっている事を、自分自身に気が付いた。そこで取りあえず吾輩からアンポンタン・ポカン博士の名誉ある称号を頂戴している訳だが、ポカン博士自身も元来のアタマが良いだけに、この事が非常に気になるらしく、毎日毎日夜も昼もブッ通しに、病室の中の人造石の床を歩るき廻って、自分の脳髄の事ばかり考えているらしいのだ。……「わからないわからない。いったい僕の脳髄は今まで何をしていたのだろう……何を考えていたのだろう」とか又は「僕の脳髄が僕の全身を支配しているのか……それとも僕の全身が僕の脳髄を支配しているのか……解らない解らない」……といったような事を口走っては、蓬々と伸びた自分の頭の毛を掻きまわしたり、拳固でコツンコツンと後頭部をなぐり付けたりしいしい、一分間も休まずに、部屋の中をグルグルと歩きまわっているのだ。 ところが、そのうちに、ソンナ発作がダンダンと高潮して来るとポカン博士は、やがて部屋のマン中の人造石の床の上に立止まって不思議そうにキョロキョロとそこいらを見廻わし初める。そうして自分の蓬々たる頭の毛の中から、何かしら眼に見えないものを掴み出して、床の上に力一パイ叩きつける真似をする。それからその床の上にタタキ付けたものを指して、脳髄に関する演説を滔々と、身振まじりに初めるのであるが、そのうちに自分の演説に感激して、興奮の絶頂に達して来ると、ツイ今しがた自分の頭の中から掴み出して床の上にタタキ付けた眼に見えない或るものを、片足を揚げて一気に踏み潰す真似をすると同時に、ウーンと眼を眩わして床の上に引っくり返ってしまう。そうして約三四十時間も前後不覚の状態に陥って、昏々と眠り続けると、又もや、アンポンタン・ポカン然として眼球をコスリコスリ起上るのだ。そうして前の通りに「わからないわからない」を繰返しながら部屋の中をグルグルと歩るきまわる。その中に又も、頭の中から眼に見えないものを取り出して足下の床の上にタタキ付ける。前後左右を見まわして、拳固を振り上げながら脳髄の演説を開始する。そうして何だか解からないものを床の上で踏み潰しては、ウーンと云って引っくり返る……というのが、この青年名探偵アンポンタン氏の日課になっているのだ。
◆葉書は左記へお出し下さい。 九州帝国大学医学部精神病学教授 斎藤寿八氏自室気付 面黒楼万児宛┌───┐│ │└───┘地球表面は狂人の一大解放治療場九州帝国大学 正木敬之氏談精神病科教室 去る三月初旬以来、九州帝国大学精神病科本館裏手に起工されて、その附属病院の工事と共に着々進捗しんちょくしつつある「狂人解放治療場」は、過般来かはんらいその内容が厳秘中であったが、右は同科新任教授正木博士が私費を投じて開設したものである事が判明した。右に就つき正木博士は同教授室に於て、往訪の記者に対しかく語った。 世間では今度、吾輩が九大で開始した「解放治療」を吾輩の独創だとか、嶄新奇抜だとかいって騒いでいるようであるが、正直のところを云うと決して吾輩の独創でもなければ、嶄新奇抜な療法でもないのだ。すなわちこの地球表面上は、昔々の大昔の、歴史にも伝説にも残っていない以前から、狂人の一大解放治療場になっているので、太陽はその院長、空気はその看護婦、土はその賄係りに見立てられ得るのだ。 ……といっても吾輩は別に奇矯な言辞を弄しているのではない。そうした事実を断言し得る相当の理由があるから云うので、何を隠そう吾輩の「精神病研究」の第一歩はこの「地球表面上が狂人の一大解放治療場になっている」という事実に立脚していると云ってもいいのだ。 それは何故かというと、元来この地上に生み付けられている人間は、身分の高下、老若男女の区別を問わず、指一本でも自分の自由にならぬか、又はどこか足りないか、多過ぎるかした人間を発見すると、すぐに「片輪」という名前を附けて軽蔑したり、気の毒がったり、特別扱いにしたりする事にきめている。同様に、頭のハタラキが本人の自由にならぬか、又は、頭の働きのどこか足りないか、多過ぎるかした人間を見付けると、早速、精神病患者、すなわちキチガイの烙印を押し付けて差別待遇を与える事にきめているようである。禽獣、虫ケラ以下の軽蔑、虐待を加えてもいいものと考えているらしく考えられる……が……然らばその精神病者を侮蔑し、冷笑している所謂、普通の人間様たちの精神は、果して、何もかも満足に備わっているであろうか。すべての人々の脳髄は、隅々までも本人の意志の命令通りに、自由自在に動いているであろうか。 吾輩は敢て云う。公平、且つ厳正な学問の眼から見ると、決してそうは思えない。それは手足の曲ったのや、眼鼻の欠け落ちたのと同様に、外から肉眼で見わける事が出来ないだけで、実際のところをいうとこの地球表面上に生きとし生ける人間は、一人残らず精神的の片輪者ばかりと断言して差支えないのである。曲ったり、くねったり、大き過ぎたり、小さ過ぎたり、又は智慧や情慾が多過ぎたり、足りなかったりする、所謂、精神的の片輪者ばかりで、押すな押すなの満員状態を呈していると考えても、断然間違いはないのである。 早い話がなくて七癖、あって四十八癖というではないか。見っともない、下らない習慣が、いくら他人に笑われても止まない。又は出世の妨げになったり、他人に迷惑をかけたりするので、是非とも止める決心をして、神や仏に願をかけたり、新聞に広告までして誓を立てても悪い癖が止められないのは取りも直さず、自分の頭が、自分の自由にならない事を実地に証明しているのではないか。自分の頭の間違っているところを、自分の意志で直す事の出来ない、精神病的発作の根強いあらわれを見せているのではないか。又は泣くまいと思ってもツイ涙が出る。憤る場合でないと思ってもついムカムカッと来て前後を忘却したりするのは、やはり一時的の精神の偏りを、自分で持ち直す事が出来ないという、アタマの弱点を曝露しているのではないか。 そのほか凝り性、厭き性、ムラ気、お日和機嫌、胴忘れ、神経質、何々道楽、何々キチガイ、何々中毒、変態心理なぞの数をつくして、出会う人毎に、知るも知らぬも、多少のキチガイ的傾向を帯びていない者は無い。頭の働らきの不叶いなところを持っていない者は無い。すなわち精神病者と五十歩百歩の人間でない者は居ないのだ。 その証拠には、そんな連中のそうした弱点……すなわち頭の不叶いなところを指摘してやると、誰でもヒヤリとして赤面するか、青すじを立てて弁明するか、腕まくりをして喰ってかかるかする。これはキチガイが自分自身をキチガイでないと主張するのと同じ心理で、まことに馬鹿馬鹿しい極みであるが又、人情の止むを得ないところであろう。……しかもその人情の止むを得ないところを、そのままにして放ったらかしておくと、そんな精神病的傾向が当り前の事のように思えて来る。況んや当世流行の紳士待遇でも与えようものならイヨイヨ病癖が増長して、イヨイヨ止むを得なくなって来る。そうしてトウトウ絶対に取り止めが出来なくなったのが、家庭悲劇や、犯罪事件となって社会に曝露する。軽いので社会的制裁、重いのになると法律の手にかかる。それでも反省出来ない、ブレーキの利かなくなったガタガタ自動車みたいな奴が、何々狂と名付けられて、精神病院に担ぎ込まれる事になるのだ。 誤解しては困るが、何もそれが悪いと云うのじゃない。万物の霊長諸氏を侮辱する意味で云ったのでは毛頭ないが、しかし、そんな風に生れ付いたり、習慣付けられたりしている所謂、紳士淑女連中が、自分のアタマと五十歩百歩の精神病患者を見るとヤタラに軽蔑したり、恐れたりする。自分だけは誰が何と云っても精神病的傾向をミジンも持たない、完全無欠なアタマの持主だと自惚れ切っているから、ツイ吾輩も冷やかしてみたくなるのだ。……そんな紳士淑女連中からアラユル残酷な差別待遇を受けている、罪も報いも無い精神病患者を弁護してみたくなるのだ。 すなわち、いずれにしても斯様に観察して来ると、普通人と狂人の区別がつけられないのは、刑務所の中に居る人間と、外を歩いている者との区別が付けられないのと同じ事になって来るであろう。平ったく云えば赤い煉瓦に這入る程度にまで露骨でない悪党と、キチガイとを一緒にしたものが、所謂、普通人……もしくは紳士淑女という事になるであろう。 もちろんこれは一種の暴言である。実に失礼とも無作法とも、何ともカンとも申上げようのない遺憾千万な云い草ではあるが、事実はどこまでも事実に相違ないのだから仕方がない。こうした観察点に立脚しなければ、精神病に関する真個の科学的研究がやって行けないのは恰も、人間が一個の動物に過ぎないという見地に立脚しなければ、すべての医学の研究が遂げられないのと同じ事なんだから止むを得ない。もし又、万が一にも「俺ばかりはキチガイじゃないんだぞ。絶対に完全無欠な精神を持っている人間なんだぞ」という自信を持っているお方があったら、イツ何時でも吾輩の処へお出で下さいだ。そのお方は当大学の研究患者として、官費で入院さして上げる。ちょうどその式の患者が、学生の講義に必要なところだからね……。 太陽は、これ等無限の精神病患者の大群を、地上一面に生み付けて、永久に無言の解放治療を続けている。そうするとその禽獣、虫ケラ以下の半狂人である人類たちは、永い年月のうちに自然と自分たちがキチガイの大群集である事を自覚し初めて、宗教とか、道徳とか、法律とか、又は赤い主義とか青い主義とかいう御叮嚀なものを作って「お互いに無茶を止しましょう……変な真似をやめましょう」をやっている。だから吾輩もその小さな模型を作って、僭越ながら太陽氏になり代って「無薬の解放治療」を試みている。「人類全部がキチガイ」という観察点に立脚した、ホントウの科学的な精神病の研究治療を試みているのだ。 ……ナニ……その解放治療場にはドンナ種類の精神病患者を収容するのか……それはまだわからないよ。いずれ吾輩の学説……新しい精神科学の学理実験材料として差支えない患者を選み出して収容する予定にはなっているんだがね……。 ……その学説はドンナ学説……吾輩が唱え出した精神科学の内容かね。それあトテモ大変な質問だ、なかなか一朝一夕に説明し切れる訳のものじゃないよ。しかし要するに今日までの精神病の研究法を根本から引っくり返した行き方だという事は断言しておいてもいいね。まず人間の脳髄の作用から研究し直して「脳髄は物を考える処」という従来の迷信的な学説をドン底から訂正する。それからその新しい「脳髄の作用」に反映して行く精神の遺伝作用を明らかにする。そこで出来上った精神解剖学、精神生理学、精神病理学から観察診断した、最もわかり易い最も興味深い、精神病患者の標本ばかりを集めて、吾輩独特の精神的な暗示と刺戟を応用した治療法を試みてみたいと思っているんだがね。ドンナ標本が集まるか……ドンナ騒動が初まるか、吾輩自身にも予断出来ないんだよ。ハハハ……。 但し念のためにお断りしておくが、その実験をやっている吾輩ばかりが、精神に異状の無い、太平無事のデクノ坊だと誤診されては迷惑だよ。 あの太陽が、一旦、ギラギラと光り出して、地獄と名づくる精神病者の一大解放治療場の全面を焙りまわし初めたらナカナカ止めない。いい加減なところで醤油でも附けたら……と思ってもソンナ余裕なんか持たないらしく、どこまでもどこまでもピカピカジリジリと焙り廻し続けている。それと同様に一度狂人の研究を初めた吾輩は、それ以外の事が考えられなくなった。往来で小便をし初めたのと同様に、殿様がお通りになろうが、巡査がお見えになろうが、お手討ちも罰金も覚悟の前で、根の切れるまでシャアシャアやり続けている。 だから地上のほかの狂人は治療るとも、吾輩の精神異状だけは永遠に全快しないだろうと思う。これだけは慥かに保証出来る。云々。
八 ▼チャチャラカ、チャカポコチャカポコチャカポコ。あ――ア。ナント皆さん紳士や淑女よ。お立ち会い衆の大勢さまよ。これが私の洋行土産じゃ。現代文化の影身に付添う。この世からなる地獄の話じゃ。鳥が囀り木の葉が茂り。花に紅葉に極楽浄土の。中にさまよう精神病者じゃ。身寄りたよりに突きはなされて。罪も報いも泣こうに泣かれぬ。キチガイ乞食のあわれな姿じゃ。ここの村里、彼処の町で。夜毎日毎に追いまくられては。石や瓦の投げ打ちされては。雨にたたかれ風に晒され。雪や氷に消え入るばっかり。そんな地獄をこの世に作った。丸い明るい天道様まで。クルリクルリと顔をば背向けて。俺は知らぬと云うたか云わぬか。ピカリピカリと笑って御座るよ……チャカポコチャカポコ…… ▼あ――ア。ピカリピカリと笑って御座るが。それはまだしも気楽な地獄じゃ。昼夜不断の電燈瓦斯燈。唯物科学の文化の光りが。明るく光れば光って来るだけ。暗くなるのが精神文化じゃ。金じゃ女じゃ。権利じゃ義務じゃと。手段撰ばぬ悪智慧比べじゃ。道理外れた生存競争。電車自動車ソラ飛行機じゃと。縦横無尽に行き交い飛び交う。人の運命一寸先だよ。暗に隠るる秘密の扉じゃ。連れて来られた老若男女は。狂気本気の区別を問わない。馬鹿怜悧も一列平等。ドンと蹴込んでピタリと閉じたら。タッタ一呑み文句を云わせぬ。音も香もなく落ち行く先だよ。娑婆の道理や人情の光りが。影も映さない暗黒世界じゃ。鉄筋煉瓦やセメント造りの。科学知識のこの世の地獄じゃ。中に重なるキチガイ地獄の。上に在るのが親切地獄で。次が軽蔑、冷笑地獄じゃ。下は虐待、暗殺地獄の。底は何やらわからぬ地獄じゃ……チャカポコチャカポコ…… ▼あ――ア。あとは何やらわからぬ地獄の。次に並ぶはモ一つスゴイよ。これは何でもわかった地獄じゃ。おのれ彼奴が正気の俺をば。こんな処へ投げ込みおるかと。歯噛み、身もだえ、地団駄、踏んでも。踏めば踏む程、親切地獄じゃ。それでも止めねば虐待地獄じゃ。あとは無念の白骨地獄で。化けても出られぬ奈落へ抜けます……チャカポコチャカポコ…… ▼あ――ア。化けて出られぬ奈落へ抜けるよ。そんな危い地獄の扉が。もしも本当にそこいら中に。あるとなったらさてどうなるか。お立会い衆は無論の事だよ。政府当局、天下の学者。知識階級の誰かれ問わない。血あり涙のある方々が。知らぬ顔して捨ててはおけまい。古い川柳に座敷の牢屋で。薬飲むにも油断がされぬと。(註に曰く――座敷牢薬をのむに油断せず――柳樽――)御座りまするはお江戸の昔じゃ。況して況んや近代文化の。科学知識の進歩の中でも。人の脳髄、心の正体。何が何やらわからぬために。精神病学研究し方が。八方塞がり昔のままだよ。贋のキチガイ真実のキチガイ。ハッキリ区別も出来ない癖に。ほかの医学の体裁真似して。治療診察なんどというては。四角四面の病院作って。器械標本、薬に書物と。並べ飾って威張っているなら。こんな地獄が出来るは当然。これを防ぐが目下の急務じゃ。そんな病院見当り次第に。タタキ潰すが何より急務じゃ……スカラカ、チャカポコ、チャカラカ、チャカポコ。チャカポコチャカポコチャカポコチャカポコ…… 九 ▼チャチャラカ、ポコポコ。スカラカ、ポコポコ……扨も左様なイカサマ病院。キチガイ地獄が出来ないように。防ぐ工夫があるかというたら。タッタ一つの手段があります。しかもなかなか大きな仕事じゃ。どこか気候と景色のよろしい。交通便利な離れた島へ。ザット一千万円かけて。かくいう私が新案工夫の。デッカイ精神病院建てます。そこへ研究試験所つけます。患者を無料で入院させます。地獄なんぞが出来ないように。解放治療というのをやります。これも私の新案工夫じゃ。すなわち正しい精神科学の。正しいキチガイ病気の治療じゃ。薬使わず手術もしませぬ。鉄の鎖や、石箱、鉄箱。袖無襯衣なぞ一切使わず。ありとあらゆる精神病者を。広い処へ追い放しにして。一番自然な正しい治療を。しようというのが解放治療じゃ。いわば精神病者の牧場じゃ。キチガイ患者の極楽世界じゃ。奇妙キテレツ珍妙無類の。世界初めの精神病院。むろん誰でも参観随意じゃ。ドンナ素敵な観物になるかは。蓋を開けねば私もわからぬ。何から何まで新発明だよ。スカラカ、チャカポコ。スカラカ、チャカポコチャカポコ…… ▼あ――ア。何から何まで新発明だよ。いずれその中発表しますが。世界の学者が一人も知らない。キチガイ病気の出て来る原理じゃ。しかも頗る簡単明瞭。ステキ滅法愉快な学理を。そこで実地の試験にかけます。診察予防が絶対不可能。薬も無ければ手術も出来ない。キチガイ病気の正体調べて。診察治療が出来るとなったら。トテモ評判大したものだよ。世界に人種が数ある中で。日本人種は見上げたものだよ。正義人道尊ぶ国だよ。精神科学の先進国だと。云わせたいのが私の願いじゃ……チャカポコチャカポコ…… ▼あ――ア。云わせたいのが私の願いじゃ。なれど何しろ一千万の。金というたら大したもんだよ。私が親から引譲られた。田地田畑でんちでんぱた、貯金や証文。古い褌お金に換えても。やっと半分そこらのものだよ。あとは政府のお助け仰いで。それにも一つ皆様方の。清い尊いお志を。たより縋りに遣りたい考え。五厘一銭、藁一筋でも。多寡は厭わぬ願人坊主じゃ。頭たたいて頂きまする……チャカポコチャカポコ…… ▼あ――ア。アタマたたいて頂戴しまする。なれど、そういう願人坊主が。やはり「キの字」の片割らしいぞ。眼付き風付き何やらおかしい。非人乞食に劣らぬ姿で。道のほとりに鞄を投げ出し。駄声はり上げ木魚をチャカポコ。昼の日中に外聞晒す。しかも文句が常識外れた。世界文化の千万円じゃの。耳に聞こえず眼にさえ見せない。人の心の狂いを直すの。古今独歩の研究なんどと。途方途轍もない事並べて。寄附を集めるイカサマ坊主じゃ。そんな古手にかかると思うか。要らぬ処で道草喰うたぞ。早く行こうと仰言るならば。これは如何さま尤も千万。道理至極じゃスカラカ、チャカポコ。頭たたいてお詫びをしまする……チャカポコチャカポコ…… ▼あ――ア。頭たたいてお詫びをしまする。そもやそもそも一体全体。こんなスカラカ、チャカポコ頭が。身の程知らない木魚をたたいて。頼み手も無い金にもならない。要らぬ赤恥、天日にさらげる。事の起りはキチガイ地獄じゃ。文明社会の裏面に拡がる。無茶と野蛮の底抜け地獄じゃ。筆も言葉も木魚も及ばぬ。むごさ、せつなさ、悲しさ辛らさを。底の底まで見て来たお蔭で。こちらの頭が少々変テコ。これをこのまま棄ててはおけぬと。思い込んだが因果のはじまり。これを助ける方法手段を。あれよこれよと思案のあげくが。精神病者を無料で預る。デカイ病院建てるが第一。それを建てるにゃ皆様方の。輿論のお力借りねばならぬ。又は一厘一銭たりとも。無駄に使わぬ思案の果だよ。思い付いたる乞食の姿が。お眼に障わったお詫びの印じゃ。今のキチガイ地獄の歌をば。印刷に起した斯様な書物を。お立ち会い衆へお頒ちしまする。お金は要らないお願いしまする。持って帰ってお読みなされて。これはどうやら真実らしいぞ。寄附をしようかと思うたお方や。扨は私の一生仕事の。狂人救済事業の中味を。もっと詳しく調べてみたい。又は世界の漫遊みやげの。眼先変ったキチガイ話や。家の祟りや血統の障りや。生霊、死霊の怨みやなんぞが。人の心を狂わせ惑わす。スゴイ因果の因縁話を。聞いてみようかそれとも又は。何か大勢集まる場所で。そんな話をやらせて見たらば。奇抜な余興になるかも知れぬと。思召したらお手数ながら。ここに挟んだ葉書が一枚。これにお名前お所番地。それとこれなる頁の終りに。止めましたる宛名を書いて。ぽんとポストにお願いしまする。願うところはこの世の中に。こんな事実があります事を。向う三軒両お隣りや。どなたこなたの噂の種に。語り伝えて下さりませよ。すれば今云うキチガイ地獄や。人類文化の裏面の秘密が。否が応でも世間へ広まる。悪い事する精神病院。キチガイ地獄を片端なぐりに。タタキ潰せと輿論が高まる……チャカポコチャカポコ…… ▼そこで政府も黙っておれない。棄てておけない重大問題。社会事業の急務というので。私が投げ出す財産全部の。五百余万のお金を基本に。精神病者を無料で預かる。国立精神病院建てます。到る処の精神病者の。生産過剰の緩和を初める……チャカポコチャカポコ…… ▼人に忘られ世に忘られて。狂い藻掻いて生命を終る。あわれな精神病者が助かる……ポコチャカポコチャカ…… ▼それかばかりかその病院で。研究し出したキチガイ病気の。治療のし方が世間に広まる。世界各地のキチガイ地獄が。一つ残らず引っくり返って。ありとあらゆる精神病者の。嬲り殺しが止みますならば。こんな本懐至極は御座らぬ……ポコポコチャカチャカ…… ▼あ――ア。こんな本懐至極は御座らぬ。そこで成る程貴様の仕事は。実に道理千万至極じゃ。奇特、感心、立派な了簡。俺が付いてる心配するなよ。ウント踏張り勉強やらかせ。狂人地獄をスカラカ、チャンまで。タタキ潰せよフレ――やフレーと。お賞めなされて下さるならば。私の喜び天井知らずじゃ……チャカチャカポコポコポコポコチャカチャカポコポコ…… 十 ▼スチャラカ、チャカポコ。チャチャラカ、チャカポコ。あ――ア。さても皆さん相済みませぬ。御用、お急ぎ、散歩の足をば。変な姿や奇妙な文句で。お引止めして気の毒千万。なれどつらつらおもんみまするに。三千世界を流るる時間が。何万、何億、何兆年とも。知れぬ無限の時間の中なら。五十、七十、百まで生きても。アッという間の一生涯だよ。何が何やらわからぬまんまに。会うて別れて生まれて死に行く。数え切れない人数の中だよ。今日が只今この道傍で。お眼にかかるも何かの御縁じゃ。お許しなされて下さりませよ。よしやこのままお別れしても。残る名残りがスカラカチャカポコ。もしもこの後世間の噂や。雑誌新聞、小説なんぞで。キチガイ話を御覧になったり。又はホンマの精神病者を。通り縋りに御覧になったら。思い出しても下されませよ。月の光りや太陽の輝やき。星の光りも掻き消すばかりに。眼眩めくモダーン文化や。又は博愛仁慈の光明。正義道理のサーチライトも。昔ながらに照らさぬ世界じゃ。地獄以上のキチガイ地獄に。音も香もなく消え行く先だよ。広さ深さも無限の暗の。底に青ずみ漂う血の海。上にさまよう陰火の焔は。罪も報いも無いまま死に行く。精神病者の無念の思いじゃ。聞いて聞こえぬ怨みの数々。聞いた心がクドキの文句じゃ。念仏代りの阿呆陀羅経だよ。無調法なる木魚に合わせて。チョット御機嫌伺いまする。げどう――さア――えエ――もオ――んンン。キチガイ――イ――地獄ウ。――ヘイ。御退屈様――
六 ▼チャカポコチャカポコ。チャカラカチャカポコ。あ――ア。よもや日本にゃ無いとは思うが。人を殺すにゃ短刀ピストル。麻酔薬まやく、毒薬、絹紐きぬひも、ハンカチ。数を尽くした瓦落多がらくた道具が。あるが中にも文明国では。一と呼ばれるホントウ国だよ。そこの首都みやこのタマゲタ市シチーで。わしが見て来た新式手段が。意気で高尚こうとでハイカラ道具は。昼の日中に公々然と。巡査お医者を立会いさせて。血潮残さず指紋も止めない。ドンナ検事や探偵連中が。不審抱いて調べて見たとて。指もさされぬステキナ手段じゃ。但しお金が少々かかるが。かかる代りに利益もうけが大きい。とかくこの世はお金が讐敵かたきじゃ……チャカポコチャカポコチャカポコ…… ▼あ――ア。とかくこの世はお金が讐敵じゃ。まずは財産相続事件じゃ。政治、外交、軍機の秘密と。何か素敵すてきな大金儲けで。彼奴あいつが邪魔じゃと思うた一念。狙ねらう相手が一人で歩るく。情婦いろの棲家すみかか賭博ばくちの打場か。又は秘密の相談場所だの。ソッと入込む息抜き場所に。近いあたりの道筋突き止め。かねて雇うた精神病医の。慾の深いを同伴させて。ソンジョそこらの巡査に頼む。実は私の親友ですが。すこし精神異状を呈し。家に帰らず淋しい処を。ブラリブラリと歩くが病い。そこでお医者に見せたいなれど。俺は何ともないなぞいうて。得物えもの振り立て暴れまするで。止むを得ませぬ非常の手段。いつもここらを通るとわかり。取って押えに張り込みまする。そこでお仲間両三人の。お手が拝借願えましょうか。なぞと云ううちお金をいくらか。医師の口添え右から左と。思う通りに手順を運んで。ドンと落せばドンデン返し。狙う相手は千仞奈落せんじんならく。生きて出られぬキチガイ地獄じゃ……スカラカ、チャカポコチャカポコチャカポコ…… ▼あ――ア。出るに出られぬキチガイ地獄じゃ。これがお家の騒動なんかで。狙う相手がまだウラ若い。息子か娘と来ているならば。もっと気取った手段があります。殊に近代思想にカブレた。頭の過敏の連中だったら。ズット手数が省ける訳だよ。すこし皮肉に取扱ったり。又は立場をコミ入らせると。すぐに神経衰弱式だよ。頬が青褪め眼玉がキラキラ。挙動そぶり言語ことばが変って来まする。これをシコタマ掴んだお医者に。診みせてしまえばこっちのものだよ。静養させるは表面うわべの口実。花の蕾つぼみが開かぬまんまに。あわれ落ち行く無間むげんの地獄じゃ……チャカポコチャカポコ…… ▼あ――ア。あわれ落ち行く無間の地獄じゃ。こんな患者を専門にして。やって行くのがホントウ国でも。音に名高いマッタク博士じゃ。それも初めは普通のお医者で。やっていたのがこの種の患者は。貰う謝礼がステキに大きい。そこでだんだんそちらの専門。今じゃ大入おおいり大繁昌だよ。ナント吃驚びっくりタマゲタ市シチーに。善美つくした病院構えて。中に並ぶが現代文化の。粋すいを揃えた拷問道具に。息も洩らさぬ殺人設備じゃ。一眼見たらば真夏の土用も。零下何度の大寒地獄じゃ。それに引換え表の通りは。光り輝やく玄関構えに。並ぶ自動車その数知れない。しかも富豪や名士の家庭の。秘密握っているのが強味じゃ。強請ゆすり次第にお金が取れます。もしもその手が利かない時には。当の本人、秘密の正体。無理に作った正気の患者を。誤診だったと発表するぞよ。すぐに全快退院させるぞ。又は患者の味方となって。そちらの秘密を世間へ発あばくぞ。なんぞかんぞと絞った揚句あげくに。ゆする相手が破産をしたり。こちらの不正が曝ばれると見込めば。当の秘密の入院患者に。注射一本、水薬ポッタリ。あとで解剖してみるとても。そんな薬を使わにゃならぬ。ほどに暴れた患者かどうだか。今の医学の力じゃわからぬ。そこがマッタク博士の附け目じゃ。精神病医の手品の種たねだよ……スカラカ、チャカポコ。チャカポコチャカポコチャカポコ…… ▼あ――ア。精神病医の手品の種だよ。しかもまだまだ不思議の数々。流石さすがキチガイ地獄の本場じゃ。ホントウ国でもタマゲタ市シチーで。マッタク博士が大胆不敵に。そんな商売しておりながら。同じ仲間の地道なお医者に。指を一本指されぬばかりか。文句云われず批難を受けない。政府、警察、新聞記者まで。鳴りを静めて見ているばっかり……スチャラカ、チャカポコ。チャカポコチャカポコ…… ▼あ――ア。鳴りを静めて見ているばかりじゃ。つづく不思議がホントウ国の。機密費用の大弗箱ドルばこだよ。そこを洩れ出す巨万のお金が。マッタク博士のポケットの中へ。ソロリソロリと音さえ立てない。それかばかりかマッタク博士の。広い肩幅大きな胸には。並ぶメタルや勲章の数々。それも国家に偉大な功労。捧げた文官武官の連中が。滅多めったに貰えぬドエライ奴だよ。独逸ドイツ、仏蘭西フランス、英吉利イギリス、露西亜ロシヤ。日本なんぞは無かったようだが。それにつけてもマッタク博士が。そんな世界の強国相手に。ドンナ偉大な功労つくせば。コンナ勲章貰えたものかや。これはドウジャと魂消たまげるばっかり……スカラカ、チャカポコ。チャカポコチャカポコ…… 七 ▼スカラカ、チャカポコ。チャカポコチャカポコ。あ――ア。さても皆さん退屈様とは。思いますれどここらで止めては。仏作って魂入れずじゃ。破れカブレの封切序ふうきりじゅんに。並べ上げたる不思議の数々。眼にも止まらず耳にも聞こえぬ。科学文化の地獄の正体。底のドン底のドンドコドンまで。タタキ破って曝さらげて拡ろげて。これはホントにタマゲタ話じゃ。マッタク凄すごいよ成る程そうかと。お立会い衆しゅが合点がてんの行くまで。ザット御機嫌伺いまする。又と聞かれぬ地獄のチョンガレ。世にも不思議な木魚の話じゃ……スカラカ、チャカポコチャカポコチャカポコ…… ▼あ――ア。又と聞かれぬ地獄のチョンガレ。聾唖おしの木魚の阿呆陀羅経だよ。さても然しかるにスカラカ、チャカポコ。そもやホントウ民衆国は。表向きでは世界の強国。世界一ならお国の自慢じゃ。自由正義の本場ときまった。民権本位の理想の国じゃと。呼ばれまするが日本と違うて。国の元首に誰でもなれます。お金本位の勢力本位じゃ。忠義という字も言葉も無いから。一から十までお金が物言う。正義、法律、お金で買えます。良心、貞操、むろんの事だよ。自由民権手段を撰ばず。掴んで離さぬ熊鷹くまたか根性の。億万長者の一流どころが。国の利益は自分の利益と。盤石ばんじゃく動かぬ算盤そろばんずくめで。政治の実権握っているから。いくら政府が交代したとて。億万長者の威光は変らぬ。上は大臣、議員をはじめて。下は巡査や兵隊たちまで。国の繁昌一手に握った。一流どころの億万長者の。お金儲けの番頭手先じゃ。法律正義の仮面を冠かむって。弱い正しい人間たちの。自由、道徳、義理人情をば。片かたっ端ぱしから踏み付けまわる。そこで斯様かような富豪たちの。非道な栄華を心しんから憎しむ。正義の味方の学者や牧師が。言論自由の権利の下に。富豪いじめの演説はじめる。又は書物に書いたりしますと。エライエライと皆賞ほめ立てます。下層社会の人気が集まる。資本家倒せの輿論よろんが高まる……スカラカ、チャカポコチャカポコチャカポコ…… ▼あ――ア。富豪倒せの輿論が高まる。そこで富豪が厄鬼やっきとなります。そんな主張や輿論を掲げた。雑誌新聞デスクに投げ出し。これをどうしてくれるかなんどと。葉巻片手に政府を責めます。そこで政府は大いに困る。困る筈だよ政府の連中は。そんな富豪の番頭さんなら。御機嫌取らなきゃ立場があぶない。次の選挙の費用が貰えぬ。なれど個人の自由は自由じゃ。国の掟にちっとも触れない。筋道通った立派な人物。正義の味方の学者や牧師を。まさか追立て喰わせもならず。況まして牢屋へ入れたりしたらば。エライ輿論の反対受けます。そこで思案に詰まった揚句が。裏の裏行くキチガイ地獄じゃ。そんな学者や牧師の中でも。首領株だけ眼星をつけて。お手の物なら刑事を使って。狙うているとは夢露ゆめつゆ知らずに。タッタ一人で淋しい処を。歩く後から足音忍ばせ。アットいう間に引ずり倒して。精神病者を押えた形式かたちで。大きな手錠と足錠かけます。顔に当てがう麻酔薬まやくのハンカチ。蔭に待たせたマッタク博士の。病院自動車眼がけて投込む。あとは皆まで云わずとわかる……チャカポコチャカポコ…… ▼あ――ア。あとは皆まで云わずとわかるよ。これを感付く文明諸国じゃ。国家個人の区別を問わない。わるい思案に詰まった連中が。こんな便利な手段は無いぞと。われもわれもと秘密ないしょの頼みじゃ。這入る患者は政治家、学者。軍事探偵、大発明家。富豪、名家の跡取り世取り。又は名優スターの類だよ。他人の野心や不正の利得や。又は秘密の計画事業の。邪魔をする程手腕があったか。エライ立場におったが因果じゃ。予審、公判、宣告無しの。無期や有期の徒刑は勿論。電気椅子より手軽い死刑も。註文次第の何やら次第じゃ。ほんにこれこそ地獄の沙汰だよ……チャカポコチャカポコ…… ▼あ――ア。ホンニこれこそ地獄の沙汰だよ。そこに落ち行く患者の中には。無論、狂人、瘋癲ふうてん病者も。申訳もうしわけだけ居るには居るが。中に交まじった優れた人物。英雄、豪傑、天才なんどを。白い服着た鹿爪しかつめらしい。キチガイ地獄の牛頭馬頭ごずめずどもが。手取り足取りして行くあとから。金や勲章の山築やまつく上から。ニヤリ見送るマッタク博士じゃ……チャチャラカ、チャカポコ。スチャラカ、チャカポコチャカポコチャカポコ……
五 ▼スカラカ、チャカポコチャカポコチャカポコチャカポコ。あ――ア――あア――ア。エ――エ。さても皆さん斯様かような次第で。一人のキチガイ患者が出ますと。ほかの病気と品事しなことかわって。あとに残った正気の家族が。あるにあられぬ責め苦を受けます。トテモこうして自宅うちへは置けない。どうかせねばと思案をしても。どうも仕様が見当りませぬ。とかくするうち無理算段した。金は無くなる、仕事は出来ない。やがて一家が干乾ひぼしは眼の前。さても切なや、悲しや、辛つらや……チャカポコチャカポコ…… ▼あ――ア。さても切なや、悲しや、辛らや、それも吾身は露いとわねど、お年寄られた親様はじめ。可愛い吾児わがこの行末までも。生きて甲斐ない一人のために。棄てて介抱するのが道理か。人に迷惑かけないうちに。患者もろとも首でも縊くくって。一家揃うて死ぬのが道かや。何の因果で斯様かような憂うき目と泣いて怨めど肝腎カナメの。当の患者はアラレヌ眼付きで。キョロリキョロリとしているばっかり……チャカポコチャカポコ…… ▼あ――ア。キョロリキョロリとしているばかりじゃ。もとの姿は残っていても。元の心は藻抜もぬけの殻だよ。人の形をしているだけに。犬や猫より始末が悪いよ。情ないとも何とも彼かとも。なろう事なら代ろうものをと。歎き悶もだえた揚句あげくの果てが。切羽せっぱ、詰まった大罪犯す……スカラカ、チャカポコ。チャカポコチャカポコ……。 ▼あ――ア。切羽詰まった大罪犯す。どこか遠国とおくへ移転ひっこすふりや。知らぬ処の病院さして。入れに行く振り人には見せて。又と帰らぬ野山の涯へ。泣きの涙で患者を棄てます。なれどコイツは捨児すてごと違うて。拾い育てる仏は居ませぬ。居らぬどころか行く先々では。打たれたたかれ追いこくられます。飢えて凍こごえてたおれた処の。木の根、草の根、肥やすか知れない。それを承知で見棄てる鬼をば。キョロリキョロリと探して見まわす。憐れな患者の名残りの姿を。はるか離れた物蔭、木蔭で。両手合わせる千万無量……チャカポコチャカポコ…… ▼あ――ア。両手合わせる千万無量じゃ。古い伝えは延喜えんぎの昔に。あのや蝉丸せみまる、逆髪さかがみ様が。何の因果か二人も揃うて。盲人めくらと狂女のあられぬ姿じゃ。父の御門みかどに棄てられ給い。花の都をあとはるばると。知らぬ憂目に逢坂おうさか山の。お物語りは勿体もったいないが。斯様かような浮世のせつない慣ならわし。切羽詰まった秘密の処分さばきは。古今東西いずくを問わない。金の有る無し身分の上下。是非と道理を問わないものだよ……チャカポコチャカポコ…… ▼あ――ア。是非と道理がいえないものだよ。そんな事情で野山の涯に。迷う憐れな患者の中でも。すこし正気の残った者なら。他所の掃溜はきだめあさってみたり。物を貰うて又生き延びるよ。そのうち正気に帰るにしても。そこでこの世の悲しさ辛らさが。遣瀬やるせないほど身に沁しみ渡る。又は吾身の姿に恥じて。残る家族のためぞと思い。人を諦らめ世を諦らめて。流す涙が乞食の姿じゃ。三日続けば止められないと。聞いた気楽な世界に落ち込む。それがそこらの名物乞食じゃ。又は野臥のぶせり山窩さんかにまじって。寺の門前。鎮守の森蔭。橋の袂たもとの蒲鉾小舎かまぼこごやで。虱しらみ取り取り暮しているのを。一人二人と集めてみたなら。迚とても大した人数にんずになります。しかも左様なミジメな姿は。みんなこうした地獄のあわれを。知らぬ顔する国家や社会が。いっそ死ねよといわないばかりの。冷めたい仕打ちに消え行く数の。千か万かの一人か二人じゃ……チャカポコチャカポコ…… ▼あ――ア。千か万かの一人か二人じゃ。なんと皆さん如何いかがで御座る。これが普通の病気であったら。達者な者より大切だいじにされて。医者よ薬よ看護婦さんだよ。柔やわい寝床じゃ、良い喰べ物じゃと。あるが上にもお見舞受けます。人間ばかりか犬畜生でも。小鳥、金魚も場合によっては。後生大切ごしょうだいじに介抱されます。それに引換え精神病者は。病気の正体わからぬお蔭で。赤い煉瓦か野山の涯か。いずれ免のがれぬ地獄の責め苦じゃ……チャカポコチャカポコ…… ▼あ――ア。いずれのがれぬ地獄の責め苦じゃ。なれど皆さんお聞きなされませ。私が今まで木魚をチャカポコ。たたき出したる地獄のお話。病院地獄と野山の地獄は。正直正銘、金箔きんぱく付きの。精神病者が落ち行く地獄じゃ。尋常普通のキチガイ地獄じゃ。さてもこれから今一ひと馬力ばりきと。親に不孝な馬鹿声張り上げ。弁じ上げます地獄の話は。それにも一つしんにゅう噛かませた。スゴイ、ドエライ地獄の話じゃ。罪も報むくいも何にも知らない。正気狂わぬ普通の男女が。チャント物事弁わきまえながらに。不意に手足の自由を奪われ。声も出されぬ無理往生おうじょうだよ。無理や無体に引擦り込まれて。タタキ込まれるキチガイ地獄じゃ。しかもよくよく調べてみますと。唐からや天竺てんじく、西洋あたりに。ズラリ並んだ大建築だよ。チャカポコチャカポコ…… ▼あ――ア。とても立派な大建築だよ。磨き立てたる金看板にも。新聞紙上の大広告にも、何々病院何々治療と。四角四面の能書のうがきばっかり。別に地獄と書いてはないが。警察新聞探偵社なぞが。チャント中味を知り抜き乍ながらに。知らぬ顔する不思議な商売。天下御免の扉の内側へ。ウカと片足入れたが最後じゃ。泣けど叫べど狂えど藻掻もがけど。二度と出られぬ暗黒世界じゃ。そんな処が在るとも知らずに。二十世紀の文化の世界じゃ。科学知識の万能時代じゃ。法律道徳礼儀の世界と。威張り腐って歩るけたものだよ。明日あすは自分が落ちるか知れない。キチガイ地獄のドン底地獄じゃ……スカラカ、チャカポコチャカポコチャカポコ……
四 ▼スカラカ、チャカポコチャカポコチャカポコ。あ――ア。なんと皆さん魂消たまげなさるなよ。これは日本の話じゃ御座らぬ。唐からや天竺てんじくあちらの話じゃ。世界各地の精神病医が。こんな無慈悲な心で建てたる。外観みかけ立派な病院地獄は。こんな愚かな亡者の患者で。一つ残らず満員している。それも道理かその第一には。そんな地獄の寝台ねだいの数をば。今の千倍、万倍したとて。人間世界のそこでもここでも。ヒョクリヒョクリとあらわれ飛び出す。精神病者の数には足りない。しかも一旦入院したなら。治癒なおる期間が長いはまだしも。一生出られぬ患者もあるので。否いやが応でも大入満員。そこでお医者が威張るわ威張るわ。どんな事でも患者に仕向けて。面倒臭いか納める金が。すこし渋るかするその時は。直ぐにドシドシ退院させます。自宅治療のお許し附きで。無事に出て来る患者もあれば。ほかの病気の診断書おみたて付きで。棺に這入って出るのも在るが。後の代りはアトカラアトカラ。押すな押すなの改札口だよ……チャカポコチャカポコ…… ▼あ――ア。押すな押すなの改札口だよ。なれどソイツは話が怪訝おかしい。奇妙、不思議じゃ一体全体。そんな処へお金を出して。何がためなら入院させるか。なぞと御不審なされるお方は。われと身内に精神病者が。出来た経験持たない方だよ。まずはゆっくりお聞きなされませ。モット驚く話がこれから。チャカラカ、チャカポコ飛び出しまする。私ゃ知らんが木魚が知っとる。……チャカポコチャカポコ…… ▼あ――ア。わたしゃ知らんが木魚が知っとる。もっと驚く事実があります。しかもどこでも共通平等。精神病院関係者ならば。云わず語りで誰でも知っとる。極秘親展正直正銘。ここを限りの話というたら。ちょっと辻褄つじつま合わぬか知らぬが。チャント合うのが木魚の話じゃ。すべてキチガイ患者を連れて。赤い煉瓦のお玄関先げんかさきへ。お辞儀しに来る連中の中でも。親や兄弟、妻子つまこやなんぞは。どうか治癒なおして下さりませと。涙流して溜息ついて。頼み入るのが少くないが。そんな骨肉みうちの連中の中でも。ホンニ心しんから真情まごころ籠こめて。治療なおすつもりで介抱するのは。実のところが母親ばっかり。それも真実わが腹痛めた。息子か娘が患者の場合じゃ。ほかの骨肉みうちの連中と来たなら。同じ血分けた父おや兄弟でも。実に冷淡無情なものだよ。殊ことにお若い妻君なんぞは。申訳もうしわけだけ二三日位は。側で溜息吐つくかと思えば。里の方から迎えに来るのを。待っていたようにハイチャイ極きめ込む。それもまだまだ最極上だよ。医者に患者を渡すと間もなく。部屋がどこやら決定きまりもせぬうち。電話かけにか便所に行くのか。帯の間の鏡を覗いて。鼻のアタマをパタパタやるうち。スラリと姿を消したが別れじゃ。二度と姿を見せないものだよ……チャカポコチャカポコ…… ▼あ――ア。二度と姿を見せぬが普通じゃ。ドウセ治癒なおらぬ病気と決定きまれば。医師に見せるは体裁だけだよ。棄てに来るのが本当の腹だよ。生きて生き甲斐ないこの病気。どうぞよろしく頼みますると。頼む挨拶ウラから聞くと。もしも治癒なおれば迷惑千万。なろう事なら殺して欲しいと。云わぬ心がハッキリ見え透く。ここが患者の生死の境いで。医者が大いに儲かるところじゃ。……オットそんなに眼の色かえて。そんな事が……とお白眼にらみなさるな。現にこの眼で見て来た事です。但し日本の事では御座らぬ。唐からや天竺てんじく、西洋あちらの事だよ。耳も無ければ眼玉も持たない。物も云わない木魚の話じゃ。……スカラカ、チャカポコチャカポコチャカポコチャカポコ…… ▼あ――ア。物を云わない木魚の話じゃ。唐や天竺あちらの話じゃ。男、女の区別を問わない。一度発狂した人間なら。ドンナ平気な顔しておっても。思いがけなく乱暴したり。人を斬ったり放火つけびをしたり。嫌な気持やオカシナ所業しわざを。あたり八方ひろげてサラゲル。人の姿の犬畜生だよ。人間扱いするには及ばぬ。ドンナ手酷てひどい仕置きをするとも。石や瓦かわらの投げ撃ちしても。罪にゃならない相手も記憶おぼえぬ。たとい立派に治癒なおったようでも。いつが何時なんどき、再発するやら。油断がならぬと今の世までも。昔ながらにいうその上に。あれは血統ちすじじゃ扨さておそろしやの。何の祟たたりじゃ応酬むくいじゃなんどと。眼指めざし指さしするのが世間じゃ。そんなサナカに自分の身内に。思いがけない精神病者が。ヒョイと出て来るサア一大事じゃ……チャカポコチャカポコ…… ▼あ――ア。ヒョイと出て来るサア大変だよ。それも上流、金持ち社会で。ものに不自由せぬ家うちだったら。座敷牢でも作れば片付く。治癒なおる当てどもない病院へ。入れる必要あるまいなんぞと。アッサリ云うのは上流社会の。つらいところを知らない人だよ。すこし世間に知られた一家で。一度キの字を出したら最後じゃ。万劫まんごう末代血統ちすじに障さわる。早い話が忰せがれや娘の。縁があぶなくなるその上に。近所隣りの目下の連中に。あれは非道ひどうなお金の祟りよ。無理な出世の報むくいよなんどと。白い眼をされ舌さし出され。うしろ指をば指ささるる辛つらさ。御門構えの估券こけんにかかわる。そこで情実、権柄けんぺいずくだの。縁故辿たどった手数をつくして。赤い煉瓦へコッソリ入れます。もしも満員している時は。もっと届いた手数をつくして。無理な都合を院長に頼む。とかくこの世はお金の沙汰だよ。況ましてキチガイ地獄の沙汰だよ。閻魔面えんまづらした院長さんでも。すぐに地蔵の笑顔に変って。慈悲の御手おんてで迎える代りに。ほかの患者を極楽まわしじゃ。金があってもまずこの通りじゃ……チャカポコチャカポコ…… ▼あ――ア。金があってもまずこの通りじゃ。身分家柄、名誉や地位なぞ。あれば在るほど精神病者の。自宅治療はいよいよ困難。赤い煉瓦へ人目を忍んで。封じておかねば安心出来ない。ところが中流社会となったら。きまり切ったる月給年俸。細い収入生命いのちの綱ぞと。頼む主人や家族の中で。だれか一人が発狂しますと。借家だったら追い立て喰います。座敷牢なぞ思いも寄らない。すこし患者に手数がかかると。貯金、恩給、忽ち煙じゃ。しかもその上介抱人が。主人だったら出勤でかたが叶かなわず。奥さんだったら仕事が出来ない。又は子供が学校に行けば。あれは「キの字」の卵よなんどと。寄って集たかって嘲弄されます。云うに云われぬ切なさ辛つらさが。たった一度に皆落ちかかるよ。残る一つの頼みの綱なら。赤い煉瓦の院長様よと。出来ぬ算段して来て見れば。どこへ行っても満員ばかりじゃ……チャカポコチャカポコ…… ▼あ――ア。どこへ行っても満員ばっかり。しかもコイツが一段落ちて。その日暮しのシガナイ稼ぎじゃ。嬶かかあは内職、娘は工場こうば。なぞというような一家となったら。酷むごさ悲惨みじめさ話にならない。介抱どころか、お薬どころか。すぐにそのまま一家が揃うて。顎あごを天井に吊るさにゃならぬ。いっそ狂うて死んでもくれたら。まだも増しよと怨うらんでみても。当の本人キチガイ殿は。死ぬるどころか大飯喰ろうて。治癒なおる当あて途どもない顔つきだよ……チャカポコチャカポコ…… ▼あ――ア。治癒なおる当てどもない顔付きだよ。こんな調子で人間世界に。麦の黒穂か菜種の馬か。花や野菜の狂いと同様。わけもわからず理屈も立てずに。ヒョクリヒョクリと現われ飛び出す。数え切れない精神病者を。無料ただで引受け入院させるは。広い世間に大学ばっかり。それも寝台が何百あろうか。しかも慈善でするのじゃ御座らぬ。学生教授の研究材料。生きた標本講義の参考に。都合よいのを選より取り見取りで。アトは要らぬと玄関払いじゃ。ならば私立はどうかと見ますと。これは何しろ商売本位じゃ。みんな金ずく権柄けんぺいずくめの。オエライ患者で超満員だよ……チャカラカ、チャカポコ…… ▼あ――ア。エライ患者の大入満員。さても斯様かように持て余されたる。数も知れない狂人たちは。どこでどうして片付けられるか。さても不思議と審しらべてみたれば。サアサこれから又聞き事だよ。耳も聞こえず眼玉も見えない。口も動かぬ片輪かたわの木魚が。見たり聞いたりして来た話が。腹は空からッポ公平無私だよ。タタキ出します阿呆陀羅経あほだらきょうだよ。地獄めぐりのチョンガレ文句が。ドンと一段、深みへ落ちます。……サアサ寄った寄った話の種だよ。お金は要らない。聞いたらビックリ……スカラカ、チャカポコチャカポコ。チャチャラカ、チャカポコチャカポコチャカポコチャカポコチャカポコ……
▼あ――ア。確かな事実は一つもわからぬ。わからぬ筈だよ不思議は御座らぬ。凡およそ天下が広いというても。人の脳髄ホントに調べて。腹の立つほど簡単明瞭。奇妙キテレツ珍妙無類な。脳の作用を見貫みぬいた者なら。問わず語りで烏滸おこがましいが。ここに居ります私わたくしばっかり。……なぞと云うたら皆さん方は。そういうお前の脳味噌だけが。毎日天日てんぴに焼かれたお蔭で。性しょうが変って来きたものダンベイ。なぞとお笑いなさるか知らぬが。真実ほんとにそうダンベイかも知れぬが。そこが私の道楽仕事じゃ。世界各地の博士や学者を。アッといわせる研究仕遂しとげて。二十億万人類社会の。アタマの入れ換えするのが楽しみ。いずれそのうちその論文なら。或る大学から発表されます。それを御覧になったらわかるよ。ほかのあらゆる世界の学者は。脳の研究しかたを知らない。見当違いの思惑ずくめで。多分だろうと思った位の。真実まことめかした当筒砲あてずっぽうだよ。一つの道理は説明出来ても。ほかの事実が解釈出来ない。あちらを立てればこちらが立たない。九尺二間に雨戸が二枚じゃ……スカラカ、チャカポコ。チャカポコチャカポコ…… ▼あ――ア。九尺二間に雨戸が二枚じゃ。まして況いわんや朝から晩まで。走馬燈籠まわりどうろうか百色眼鏡か。猫の眼玉じゃ、七面鳥じゃと。泣いて笑いつクルクルチラチラ。千変万化の秘術をつくす。人の心のその正体が。どんな姿の形のものやら。それがどうして狂うたものやら。酒屋の半七さんではないが。どこにどうして御座ろうものやら。ただの一つも解かっていませぬ。それが証拠は何より眼の前。今の精神病科の書物に。並び並んだ病気の名前じゃ。そんな書物を作った学者が。何が何やらわからぬまんまに。ザッと患者の表面うわつら眺めて。身振り素振りを引当て目当てに。つけもつけたり素人欺瞞しろうとだましじゃ。色気狂いろけぐるいが色情狂だよ。人を殺せば殺人狂です。舞踏狂なら踊りを踊るの。放火狂なら放つけ火びをするのと。何の科学で調べた事かや。わかり切ったる名前の附け方。医者でなくとも誰でも附けます。怒おこり上戸じょうごやアノ泣き上戸。笑い上戸に後引き上戸。梯子はしご上戸と世間の人が。酔うた姿を見かけの通りに。名前つけるとおんなじ流儀じゃ。これで診察出来るが奇妙じゃ……チャカラカ、チャカポコチャカポコチャカポコ。 ▼あ――ア。これで診察出来るが奇妙じゃ。サテモ精神病者を受け持つ。博士、学士の医者様たちは。人の心の狂うた処や。又は狂わぬ確かな証拠を。どこで調べて見分けて行くかと。不思議がるのは又素人だよ。そこは商売、心配無用じゃ……チャカポコチャカポコ…… ▼あ――ア。そこは商売、心配御無用。すべて精神病者と名付けて。遠方はるばるお医者の玄関げんかへ。連れて来られた人間ならば。誰が見たとて正気に見えない。かなり嵩こうじた連中ばかりじゃ。又は見かけが普通と変らぬ。落付き払った病人とても。家族連中や掛りのお医者が。チャントお上かみへ手続き済まして。精神病者に相違が御座らぬ。不法監禁お構いなしじゃと。法律ずくめの許可証揃えて。正々堂々連れて来るから。お医者側では手数がかからぬ。家族連中の話の模様や。又は患者の態度ようすを眺めて。書物拡げて照し合わせて。似合相当の名前を付けたら。それで診察おわりというので。赤い煉瓦れんがへ打ぶち込むだけだよ。中には診察違いの者なぞ。ポツリポツリと居るかも知れぬが。これもやっぱり心配御無用。ほかの種類の病気と違うて。こいつばかりは誤診がわからぬ。一度「キの字」ときまるが最後じゃ。二度と出られぬ煉瓦の地獄じゃ。「違う違う」と云い訳したとて。それが、そのまま「キの字」の証拠と。今も昔も変らぬ運命さだめじゃ。放火狂じゃと診察みこみをつけて。八百屋お七を解剖したらば。何ぞ計はからん色情狂だよ。窃盗狂者どろぼうマニアの標本みほんと思って。石川五右衛門入院させたら。誇大妄想狂者とわかった。なぞとお尻がハジケル心配。決してないから気楽なものだよ。テンカラ診察出来ない患者じゃ。何が何やらわからぬ病気じゃ。サテモ気楽なキチガイ医者だよ……スカラカ、チャカポコ。チャチャラカ、チャカポコ。チャカポコチャカポコ…… ▼あ――ア。扨さても気楽な精神病キチガイ医者だよ。ならば治療の仕方はどうかと。心配するだけ野暮天やぼてん、素人。これも、やっぱり診察同様。盲目めくら探りの真っ暗闇だよ。すぐに脳天砕かぬところが。開け行く世のお蔭か知らぬが。患者側から云わせて見たなら。どうか解からぬ証拠は眼の前。どこでも構わぬソンジョのそこらの。精神病院覗のぞいて御覧よ。鉄の格子の牢屋はもちろん。今の未決監みけつや監獄なぞには。影も見せない道具の数々。鉄の鎖に袖無し襯衣シャツだよ。手枷てかせ、足枷。磔刑はりつけ寝台じゃ。小窓開いた石箱なんぞが。ズラリズラット並んだ光景ありさま。どんな極重悪人とても。五体震わす拷問道具じゃ……チャカポコチャカポコ…… ▼あ――ア。五体震わす拷問道具じゃ。それに引換え入院患者の。心の狂いをホントに治癒なおす。薬器械のたぐいというたら。只の一つも見当りませぬ。眠らぬ患者に麻酔まやくの注射じゃ。騒ぐ者には鎮静剤だよ。物を喰わねば栄養物の。注射、浣腸かんちょうぐらいのものです。下手な内科や外科にも劣る。あとは治癒なおればお医者の手柄で。死ねば運じゃと済ましたもんだよ。アハハのエヘヘの平気の平左へいざじゃ。サテモ恐ろしキチガイ地獄じゃ……スカラカ、チャカポコチャカポコチャカポコ…… ▼あ――ア。サテモ恐ろしキチガイ地獄じゃ。なれどここらはまだ小手調べじゃ。キチガイ地獄の三途さんずの川だよ。聞いたばかりで身の毛がザワ付く。八万地獄は愚かな事だよ。阿呆メチャクチャ出鱈目でたらめ放題。あらん限りの虐待つづける。この世からなる精神病者の。地獄ゥ――めぐりィ――はァ――サテこれェ――かァ――ら――じゃァ――い……スカラカ、チャカポコ。スカラカ、チャカポコ。チャカポコチャカポコチャカポコチャカポコチャカポコチャカポコ……
二スカラカ、チャカポコチャカポコチャカポコチャカポコ…… ▼あ――ア――ああア。扨も昔のその又昔。むかし昔のその大昔。科学知識の進まぬ頃では。人の身体の病気というても。人の心の病気と同様。何が何やら解らぬために。診察治療が当てズッポーだよ。家相、方角、星占いだよ。何んぞ彼んぞの障りというては。祈祷、禁厭、御神水じゃ、お守札じゃ。御符なんぞを頂戴させて。どうぞ、こうぞで済まして来たが。それじゃ治療らぬ病気の数々。そこで薬が発見されます。服めば病気がケロリとよくなる。それをたよりに調べた揚句が。人の病気は身体の中の。ここが斯様に狂うが原因じゃと。わかった理屈が医学のはじまり。今では解剖、生理に病理。医化学、細菌、薬物そのほか。外科じゃ内科じゃ、皮膚科じゃ、耳鼻科じゃ。眼科、整形、婦人や小児と。隅から隅まで手に品かえて。水も洩らさぬ器械やお薬。人の身体の狂いを治療す。科学知識の大光明が。日々に明るく輝やき渡るよ……スカラカ、チャカポコチャカポコ…… ▼あ――ア。日々に明るく輝やき渡るが。これに引き換え精神病だよ。人の心の狂いを治癒す。医者の診察、手当ての仕方は。ドンナ進歩をしたかと見ますと。ズント昔は精神病者を。神の心が移ったものと。畏れ敬い礼拝したり。又は生き霊、死霊の所業と。物を供えて大切にかけたが。それはまだしも処によっては。こいつに悪魔が憑いたというので。その頃お医者と裁判官の。役目をしていた僧侶や巫女が。見付け次第の指さし次第に。槍や刀剣や、投げ縄、弓矢。棍棒担いだ役人共が。片っ端から頭を砕いて。手足胴体チリチリバラバラ。焼いて棄てたり樹の根に埋めたり。ちょうどこの節上でなさる。狂犬退治とおんなじ仕置きじゃ。これが精神病者に対する。最初の診察最初の治療じゃ。キチガイ地獄のイロハのイの字じゃ……スカラカ、チャカポコチャカポコチャカポコ…… ▼あ――ア。これがキチガイ地獄のはじまり。そこで斯様に精神病の。原因が何やら解からぬとこから。出来た迷信邪法を使って。悪い事する奴等が出て来た。しかも余っぽど怜悧な奴等じゃ。物の怨みや嫉妬や毛嫌い。又は政敵、商売讐仇と。道理外れた憎しみ猜みで。彼奴が邪魔じゃと思うた揚句が。何のおぼえもない人間をば。巫女や坊主や役人輩に。賄賂使うて引っ括らせます。有無を言わさずキチガイ扱い。国の掟の死刑にさせます。軽いところで牢屋の住居じゃ……チャカポコチャカポコ…… ▼あ――ア。軽いところで牢屋の住居じゃ。世界の歴史を調べてみますと。高い身分や爵位や名誉や。又は財産、領地の引継ぎ。女出入りや跡取り世取りの。お家騒動、内輪の揉めから。邪魔な相手を片付けたさに。こうした手段を使った実例が。チラリチラリと残っております。ならば今では、どうかと見ますと。おなじ事じゃと云いたいなれども。言えぬどころか、今少と非道いよ……スカラカ、チャカポコ。スチャラカ、チャカポコチャカポコチャカポコ…… 三……スカラカ、チャカポコ。チャチャラカ、チャカポコチャカポコチャカポコチャカポコ…… ▼あアア――ああ……アアア。今は文明開化の御代だよ。科学知識の万能時代じゃ。そうしたサナカに精神病だけ。昔のまんまの暗黒時代で。診察治療が出来ないなんぞと。ウッカリ云うたら言い出し屁コキじゃ。そういう奴こそキチガイだろうと。仰言るお方が在るかも知れぬが。そういうお方が私は好きだよ。理智と常識、科学の知識を。いつも忘れぬ立派なお方じゃ。そんなお方にお頼みしまする。物は試しじゃお閑暇の時分に。ちょっとそこらの精神病院。又は学校、図書館あたりで。世界各地の博士や学士が。寄ってたかって研究し出した。キチガイ病気の書物を拡げて。ザット中味を調べて御覧よ。サテモ並んだ病気の名前じゃ。丸い洋文字、四角い漢字と。押し合いヘシ合い何百何千。指を折るさえ難儀な位じゃ。さては今では精神病者も。外科や内科の患者と同様。科学知識の光りに照され。底を見透す診察治療や。道理つくした介抱手当ての。数をつくしてもらっているかと。有難がるのは素人ばかりじゃ……チャカポコチャカポコ…… ▼あ――ア。有難がるのは素人ばっかり。憎まれ口をばたたくじゃないが。お魂消なさるな西洋日本で。天の際涯から地のドン底まで。調べ抜いたる科学者連中が。寄ってたかって研究しても。カンジンカナメの一番大切な。オノレが頭蓋の空洞の中に。トグロ巻いてる脳味噌ばかりは。ドンナ作用しているものやら。真実のところが全くわからぬ。それを嘘言じゃと思うたお方は。古今東西あらゆる学者が。人の脳髄調べた書物を。読んで御覧になったらわかるよ。これは物事聞いたり見たり。判断して行くところで御座るの。知識、経験、昔の記憶を。保存しておく倉庫で御座るの。何が何して何じゃら彼じゃら。浪花節なら前置きばっかり。エライ議論が出ておりますけれど。確かな事実は一つもわからん……チャカポコチャカポコチャカポコチャカポコ……
キチガイ地獄外道祭文――一名、狂人の暗黒時代――墺国理学博士 独国哲学博士 面黒楼万児めんくろうまんじ 作歌仏国文学博士 ▼ああア――アア――あああ。右や左の御方様へ。旦那御新造、紳士や淑女、お年寄がた、お若いお方。お立ち会い衆の皆さん諸君。トントその後は御無沙汰ばっかり。なぞと云うたらビックリなさる。なさる筈だよ三千世界が。出来ぬ前から御無沙汰続きじゃ。きょうが初めてこの道傍に。まかり出でたるキチガイ坊主……スカラカ、チャカポコ。チャカポコチャカポコ…………サアサ寄った寄った。寄ってみてくんなれ。聞いてもくんなれ。話の種だよ。お金は要らない。ホンマの無代償ただだよ。こちらへ寄ったり。押してはいけない。チャカポコチャカポコ…………サッサ来た来た。来て見てビックリ……スチャラカ、チャカポコ。チャチャラカ、チャカポコ…… ▼ア――あ――。まかり出でたるキチガイ坊主じゃ。背丈が五尺と一寸そこらで。年の頃なら三十五六の。それが頭がクルクル坊主じゃ。眼玉落ち込み歯は総入歯で。痩せた肋骨が洗濯板なる。着ている布子が畑の案山子よ。足に引きずる草履と見たれば。泥で固めたカチカチ山だよ。まるで狸の泥舟まがいじゃ。乞食まがいのケッタイ坊主が。流れ渡って来た国々の。風に晒され天日に焼かれて。きょうもおんなじ青天井だよ。道のほとりに鞄を拡げて。スカラカ、チャカポコ外聞晒す。曰く因縁、故事、来歴をば。たたく木魚に尋ねてみたら……スカラカ、チャカポコ。チャカポコチャカポコ…… ▼ア――あ。曰く因縁、木魚に聞いたら。親子兄弟、親類眷族、嬶も妾ももちろん持たない。タッタ一人のスカラカチャンだよ。氏も素性もスカラカ、チャカポコ。鞄一つが身上一つじゃ。親は木の股キラクな風の。吹くに任かせた暢気な身の上。流れ渡った世界の旅行じゃ。北京、ハルピン、ペテルスブルグじゃ。赤いモスコー、四角い伯林、酔うがミュンヘン、歌うが維納、躍る巴里や居眠る倫敦、海を渡れば自由の亜米利加。女の市場がアノ紐育じゃ。桑港の賭博よ。市俄古の酒よと。千鳥足まで米利堅気取りの。阿呆つくした十年がかりじゃ。見たり聞いたりして来た中でも。タッタ一つの土産というのが。ナント恐ろし地獄の話じゃ……スカラカ、ポクポク。チャチャラカ、ポクポク…… ▼あ――ア。さても恐ろし地獄の話じゃ。しかも私の凹んだこの眼で、チャンと見て来た事実の話じゃ。今日が封切、お金は要らない。要らぬばかりかその聞き賃には、こんな書物を一冊上げます。私が只今唄うております。歌の文句の活版刷りです。あとで何やらマヤカシ物をば。無理に買わせる手段じゃないかと。疑うお方があるかも知れぬが。ソンナ心配一切御無用。これは私の道楽仕事じゃ。人類文化の宣伝事業じゃ。何も参考、話の種だよ。サアサ寄ったり、聞いたり見たり……外道――祭ア――エ――文。キチガ――ア――イ――地イ獄ウ――……スカラカ、チャカポコチャカポコチャカポコチャカポコ…… 一 ▼あ――ア。外道祭文キチガイ地獄。さても地獄をどこぞと問えば。娑婆というのがここいらあたりじゃ。ここで作った吾が身の因果が。やがて迎えに来るクル、クルリと。眼玉まわして乗る火の車じゃ。廻って落ち行く先だよ。修羅や畜生、餓鬼道越えて。ドンと落ちたが地獄の姿じゃ。針の山から血の池地獄。大寒地獄に焦熱地獄。剣樹地獄や石斫地獄。火煩、熱湯、倒懸地獄と。数をつくした八万地獄じゃ。娑婆で作った因果の報いで。切られ、砕かれ、焙られ、煮られ。阿鼻や叫喚七転八倒。死ぬに死なれぬ無限の責め苦じゃ。もしもその声、聞いたら最後じゃ。頭張り裂けクタバルなんぞと。高い処から和尚の談義じゃ。……スカラカ、チャカポコチャカポコチャカポコチャカポコチャカポコ…… ▼あ――ア。高い処から和尚のお談義。なれどコイツは当てにはならない。死なにゃ行かれぬ地獄の噂じゃ。生きた坊主の賽銭集めじゃ。釈迦も知らない嘘八百だよ。わしが見て来た地獄というのは。ソンナ地獄と品事かわって。鉦を叩かず、念仏唱えず。十万億土の汽車賃使わず。そんじょそこらに幾らもあります。生きたながらのこの世の地獄じゃ……チャカポコチャカポコチャカポコチャカポコチャカポコ…… ▼あ――ア。生きたながらのこの世の地獄じゃ。それも貧乏暇なし地獄や。浮いた浮いたの川竹地獄。義理と人情のカスガイ地獄。又は犯した悪事のむくいで。御用、捕ったぞ、キリキリ歩めと。タタキ込まれる有期や、無期の。地獄なんぞと大きな違いじゃ。そんな道理がミジンも通らぬ。息も吐かれず、日の目も見えぬ。広さ、深さもわからぬ地獄じゃ。そこの閻魔は医学の博士で。学士連中が牛頭馬頭どころじゃ。但し地獄で名物道具の。昔の罪科、見分けて嗅ぎ出す。見る眼、嗅ぐ鼻、閻魔の帳面。人の心を裏から裏まで。透かし見通す清浄玻璃の。鏡なんぞは影さえ見えない。罪があろうが、又、無かろうが。本気、狂気の見分けも附けずに。滅多矢鱈に追い込み蹴込むと。聞いただけでも身の毛が逆立つ。地獄というのがそこらに在ります。見かけは立派な精神病院。嘘というなら這入って見なされ。責め苦の数々お望み次第じゃ。ナント恐ろしキチガイ地獄……チャカポコチャカポコチャカポコ…… ▼あ――ア。ナント恐ろしキチガイ地獄じゃ。サテモ恐ろし精神病院。なぞと云うても皆様方には。まだまだ合点が行きかねましょうが。物は順序じゃお聞きなされよ。聞いているうち如何にも、もっとも、そんな事とは知らずにいたわい。成る程そうかと合点が行きます。合点が行ったら八万四千の。身内の毛穴がゾクゾク粟立つ。そんじょ、そこらの地獄の話じゃ……チャカポコチャカポコチャカポコチャカポコ…… ▼あ――ア。そんじょ、そこらの地獄の話じゃ。さても斯様な地獄の起りが。曰く因縁イロハのイの字の。そもや初めと尋ねるならば。文明開化のお蔭と御座る。そこで世界の文明開化の。日進月歩の由来と申せば。科学知識の尊とい賜物。中に尊といお医者の仕事じゃ。人の病気を治癒すが役目じゃ……チャカポコチャカポコ…… ▼あ――ア。人の病気を治癒すが役目じゃ。そこでお医者の仕事の中でも。人の身体の狂いをなおす。外科や内科の治療の仕方と。人の心の狂いをなおす。精神病院の手当ての仕方と。違うところを比べてみます。アッとビックリ、シャクリが止まるよ。トテも驚く進歩の違いじゃ……チャカポコチャカポコ…… ▼あ――ア。トテモ驚く進歩の違いじゃ。違う筈だよ相手が違う。人の身体は形が見えます。手足胴体触ればわかるよ。五臓六腑も解剖けば見えます。打診、聴診、X光線。ピルケ反応、血液検査と。数をつくした診察道具じゃ。たとい何やら解らぬ病気や。薬ちがいや診察ちがいや。又は手当ての違いで死んでも。あとで屍体を解剖したなら。どこが悪いと、すぐ様わかるよ。そこで診察治療の仕方が。日進月歩で開けて行きます。これに引き換え神様とても。人の心は診察出来ない……チャカポコチャカポコ…… ▼あ――ア。人の心は診察出来ない。たとい如何なる名医じゃとても。人の精神、心の狂いの。どこの脈見て、どの舌出させて。どこの苦労に注射をするやら。どこの心配切解するやら。癇の虫見る眼鏡も無ければ。あなた恋しで上った熱度が。寒暖計にも上った事かや。贋のキチガイ真実のキチガイ。レントゲンでも透かして見えない。声も聞えず姿も見えない。屁より不思議な心の正体。これがどうして診察されよか。馬鹿に附けよう薬は無いと。昔の譬えは今でも真実じゃ。つまるところが精神病は。診察治療が絶対不可能。科学知識で研究出来ない。わけのわからぬ物じゃとわかる……スカラカ、チャカポコ。チャカポコチャカポコ…… ▼あ――ア。わけのわからぬ物じゃと解かると。ここでも一つ理屈のわからぬ。奇妙不思議な事実に気が付く。そもやソモソモ一体全体。人の精神、心の狂いは。診察、治療が出来ぬとなったら。現在世界のどこでもここでも。精神病院、神経治療じゃ。又は瘋癲、脳病院じゃと。四角四面の看板ひろげて。意匠凝らした玄関構えじゃ。高価い診察、治療の代だよ。入院、看護の料金取り立て。肩で風切る精神病医は。どんな仕事をしているものかや。あれは詐欺師か掴ませものかと。どなたも御不審なさるであろうが。チョット待ったり話は順序じゃ。世にも馬鹿げた内幕話じゃ。診察治療が出来ないお蔭で。お医者がステキに儲かる話じゃ。これがホンマの阿呆陀羅経だよ……スカラカ、チャカポコチャカポコチャカポコチャカポコチャカポコチャカポコ……
その声が自分の耳に這入ると私は又、自分の耳を疑った。正木先生のような偉大な、達人ともいうべき人が自殺する……そんな事が果して在り得ようか。 そればかりでない。この精神病科教室の主任教授となった人が二人とも、ちょうど一年おきに、しかも場所まで同じ海岸の潮水に陥って変死する……そんな恐ろしい暗合が、果して在り得るものであろうか……と驚き迷い、呆れつつ若林博士の蒼白い顔を凝視した。 そうすると若林博士も今までになく、儼然げんぜんと姿勢を正して私を凝視し返した。又も、神様に祈るような敬虔な声を出した。「……繰り返して申します。……正木先生は自殺されたのです。只今お話し致しましたような順序で二十年の長い間、準備に準備を重ねて、前代未聞の解放治療の大実験を向うにまわして悪戦苦闘して来られた正木先生は、遂ついに、その刀を打ち折り、その箭種やだねを射尽いつくされたとでも申しましょうか……どうしても自殺されなければならぬ破目はめに陥って来られたのです。……と申しましただけでは、まだおわかりになりますまいから、今すこし具体的に申しますと、正木先生の独創に係かかわる曠古こうこの精神科学の実験は、貴方とあの六号室の令嬢が、めいめいに御自分の過去の記憶を回復されまして、この病院を御退院になって、楽しい結婚生活に入られる事になって完成される手筈になっていたので御座いますが、それが或る思いもかけぬ悲劇的な出来事のために、途中で行き詰まりになりましたのです。……しかもその悲劇的な出来事が、果して正木先生の過失に属するものであったか、どうかというような事は誰一人、知っている者は居なかったのです。……けれどもその日が偶然にも、何かの天意であるかのように、斎藤先生の一週忌、正命日に当っておりましたために、一種の『無常』といったようなものを感じられたからでも御座いましょうか……正木先生は、その責任の全部を負われて、人間界を去られたのです。その実験の中心材料となられた貴方と、あの六号室の令嬢と、それ等に関する書類、事務、その他の一切を私に委託されて……」「……そ……それでは……」 と云いさして私は口籠くちごもった。形容の出来ない昂奮に全身が青褪あおざめたように感じつつ辛かろうじて唇を動かした。「……それじゃ……もしや僕が……正木先生の生命を呪ったのでは……」「……イヤ。違います。その正反対です」 と若林博士は儼乎げんこたる口調で云い切った。依然として私を凝視しつつ、頭をゆるやかに左右に振った。「その反対です。正木先生は、当然あなたから御自分の運命を咀のろわれるのを覚悟されて、この研究に着手されたのです。……否……今一歩、突込んで申しますと、正木先生は、そうした結果になるように二十年前から覚悟をきめて、順序正しく仕事を運んで来られたのです。御自身に発見された曠古こうこの大学理の実験と、貴方の御運命とを完全に一致させるべく、動かすべからざる計劃を立てて、その研究を進めて来られたのです」 それは私にとって一層の恐怖と、戦慄に値する説明であった。われ知らず息苦しくなって来る胸を押えつつ、吐き出すように問うた。「……それは……ドンナ手順……」「それはここに在ります書類を御覧になれば、お解かりになります」 と云ううちに若林博士は、今まで話片手はなしかたてに眼を通していた書類の綴込みをパタンと閉じて、恭うやうやしく私の前に押し進めた。 私も、それが何かしら重要な書類の集積に違いない事を察していたので、同じように鄭重ていちょうな態度で受取った。そうして、とりあえずパラパラと繰って内容を検あらためてみたが、それは赤い表紙のパンフレットみたようなものを一番上にして、西洋大判罫紙けいしや、新聞の切抜を貼り付けた羅紗紙らしゃがみの綴じたものと一緒に、カンバス張りのボール紙に挟んだもので、表紙には何も書いてない。けれどもかなり重たいものなので、私はモウ一度パタリと表紙を閉じて、卓子テーブルの上に置き直した。 その向うから若林博士は、その青白い瞳をピッタリと私の瞳の上に据えた。「……それは申さば正木先生の遺稿とも申すべき貴重な書類で御座います。すなわち、只今までお話致しました正木先生の精神科学に関する御研究の中うちでも、一番大切な精神解剖学、精神生理学、同病理学と、それからそのような御研究のエッセンスともいうべき心理遺伝学と、この四種類の原稿は、以前から手許に引取っておられました『脳髄論』の本文と一緒に、自殺の直前に焼棄ててしまわれましたので、現在、正木先生の御研究の内容を覗うかがうのに必要な文献としましては、僅わずかにソレだけしか残っていないのです。それを正木先生は、やはりその自決さるる直前に、その通りの順序に重ね合わせて行かれましたので、その書類の発表された年代順にはなっていないようでありますが、しかもその順序通りに読んで行きますと、正木先生の御研究の内容が、その研究を進めて行かれた順序通りに、容易たやすく、面白く理解されて行く仕掛になっているようで御座います。 ……すなわち、その一番初めに綴込んであります赤い表紙のパンフレットは、正木先生が日本内地を遍歴される片手間に、到る処の大道で、人を集めて配布された『キチガイ地獄外道祭文げどうさいもん』と題しまする阿呆陀羅経あほだらきょうの歌で、現代に於ける精神病者虐待の実情を見て、これを救済すべく、精神病の研究を初められた、そのそもそもの動機が歌ってあるので御座います。 ……それから次に羅紗紙らしゃがみの台紙に貼付けてありますのは、当地の新聞に掲載されました正木先生の談話を、御自身に保存しておかれた切抜記事で御座いますが、その中うちでも最初に『地球表面上は狂人の一大解放治療場』云々と題してありますのは、正木先生が、今申しました狂人救済の動機から、精神病の研究に着手された、その最初の研究的立場を、辛辣しんらつな諧謔かいぎゃく交まじりに、新聞記者へ説明されましたもので『この地球表面上に棲息している人間の一人として精神異状者でないものはない』という精神病理学の根本原理が、極めて痛快、卒直に論証してあります。……又……その次に『脳髄は物を考える処に非あらず』云々と題してありますのは、そうした原理に立脚された正木先生が、今日まで研究不可能と目されていた『脳髄』の真実の機能をドン底まで明らかにされると同時に、従来の科学が絶対に解決出来なかった精神病その他に関する心霊界の奇怪現象を一つ残らず、やすやすと解決して行かれた大論文『脳髄論』の内容を、面白おかしく新聞記者に説明されたもので御座います。 ……それからその下の方の日本罫紙の綴じたのに、毛筆で書いてありますのは、その『脳髄論』の逆定理とも見るべき『胎児の夢』の論文で御座います。つまり自分を生んだ両親の心理生活を初めとして、先祖代々の様々の習慣とか、心理の集積とかいうものが、どうして胎児自身に伝わって来たかという『心理遺伝』の内容が明示してありますので、当大学第一回の卒業論文の銓衡せんこうに一大センセーションを捲き起したのは実に、この一篇に外ならないので御座います。……同時に正木先生が、あれ程の偉材を抱きながら、遂に自決さるるの止むなきに立到りました遠い原因も亦また、実にこの一篇の中に胚胎していると申しましょうか……その次に在ります西洋大判罫紙フールスカップの走り書きは、その正木先生がそれ等の研究に、最後の結論を附けるべく書き残されました『解放治療の実験の結果報告』とも見るべき正木先生の遺言書です……ですから貴方は、それ等の書類を、その順序に御覧になりさえすれば、正木先生が精神科学の大道を開拓すべく、生涯を賭として研究して行かれた痛快な事蹟が、たやすく、順序正しくおわかりになるで御座いましょう。同時に、あなた御自身の御経歴を、裏面から支配して、今日の御運命に立ち到らせた、曠古こうこの大学理の流動、旋転が、一々大光明を発して、万華鏡まんげきょうの如く華やかに、グルリグルリと廻転しつつ、あなたの眼の前に……」 私は若林博士の説明を、ここいらまでしか記憶していない。そんな説明を聞きながらも、何気なく一番初めの赤い表紙の小冊子を開いて、第一頁ページの標題から眼を通して行くうちに、いつの間にか本文に釣り込まれて、無我夢中に読み続けていたので……
「……胎児の夢の主人公……胎児に魘おびやかされて……何だか僕にはよく解りませんが……」「イヤ。今のうちは、ハッキリとお解りにならぬ方が宜よろしいと思いますが」 と若林博士は私をなだめるように椅子の中から右手を上げた。そうして例の異様な微笑を左の眼の下に痙攣ひきつらせながら、依然として謹厳な口調で言葉を続けた。「……今のうちは、お解りにならぬ方が宜しいと思います。こう申上げては失礼ですが、いずれ貴方が、御自身の過去の記憶を、残りなく回復されました暁には、その『胎児の夢』と題する恐怖映画の主人公が何人なんぴとであるかというような裏面の消息を、明らかにお察しになる事と存じますから、その時の御参考のために、特にこの際御注意を促しておきます次第で御座います。……ところで、扨さて、その当学部第一回の卒業式が、正木先生の御欠席のままで終了致しますと、その翌日になって盛山学部長の手許に、正木先生からの書信が参りましたが、その中には斯様かような意味の抱負が述べてありましたそうです。 ――自分は胎児の夢の一篇を理解してくれる人間が、現代の科学界に存在していようとは思わなかった。恐らく、そんな人間は一人も居ないであろう事を確信しつつ、落第を覚悟して提出したものであったが、意外千万にも、それが学部長閣下と、斎藤先生に推薦されたという事を聞いて、長嘆これを久しうした。あの論文の価値が、こんなに易々やすやすと看破されるようでは、まだまだ私の研究が浅薄であったに違いない。こんな事では吾が福岡大学の名誉を不朽に伝える事は出来ないと思った。――私は閣下と斎藤先生に合わせる面目がないから姿を隠す。恩賜の時計は御迷惑ながら、当分お手許に御保管願いたい。この次にはキット、何人なんぴとにも理解されないほどの大研究を遂げて、この御恩報じをするつもりであるから―― 云々というのでした。盛山学部長はこの手紙を斎藤先生に見せて「どこまでも人を喰った男だ」と云って大笑いをされたという事ですが……。 ……ところで正木先生は、それから丸八年の間、欧洲各地を巡遊して、墺、独、仏、三箇国の名誉ある学位を取られたのですが、その中うちに大正四年になって、コッソリと帰朝されますと、今度は宿所やどを定めずに漂浪生活を初められました。全国各地の精神病院を訪問したり、各地方の精神病者の血統に関する伝記、伝説、記録、系図等を探って、研究材料を集められる傍ら『キチガイ地獄外道祭文げどうさいもん』と題する小冊子を、一般民衆に配布して廻られたのです」「……キチガイ地獄……外道祭文……それはドンナ事が書いてあるのですか」「……その内容は只今お眼にかけますが、やはり前の胎児の夢と同様、未だ曾て発表された事のない恐ろしい事実が書いてあるので御座います。要約つづめて申しますと、その祭文の中には、前にもちょっと申しました現代社会に於ける精神病者虐待の実情と、監獄以上に恐ろしい精神病院のインチキ治療の内幕ないまくが曝露してありますので……言葉を換えて申しますれば、現代文化の裏面に横たわる戦慄すべき『狂人の暗黒時代』の内容を俗謡化した一種の建白書、もしくは宣言書とでも申しましょうか。正木先生はこれを政府当局、その他、各官衙かんがや学校へ洽あまねく配布されたばかりでなく、自分自身で木魚を敲たたいて、その祭文歌を唄いながら、その祭文歌を印刷したパンフレットを民衆に頒布はんぷして廻まわられたのです」「……自分自身で……木魚をたたいて……」「さようさよう……ずいぶん常軌を逸したお話ですが、しかし正木先生にとっては、それが極めて真剣なお仕事だったらしいのです……のみならず正木先生のそうした御事業に就いては、恩師の斎藤先生も、陰かげに陽ひなたに正木先生と連絡を取って、御自分の地位と名誉を投げ出す覚悟で声援をしておられた形跡があります。しかし、遺憾ながらその祭文歌の内容が、あまりに露骨な事実の摘発で、考えように依っては非常識なものに見えましたためか、真剣になって共鳴する者が無かったらしく、とうとう世間から黙殺されてしまいましたのは返す返すもお気の毒な次第で御座いました。……もっとも、その祭文歌の中に摘発してあります精神病院の精神病者に対する虐待の事実なぞが、一般社会に重大視される事になりますと、現代の精神病院は一つ残らず破毀はきされて、世界中に精神異状者の氾濫が起るかも知れない事実が想像され得るのでありますが、しかし正木先生は、左様な結果なぞは少しも問題にしてはおられなかったようで、唯、将来御自分の手で開設されるであろう『狂人解放治療』の実験に対する準備事業の一つとして、斯様かような宣伝をされたものと考えられるので御座います」「それじゃ矢やっ張ぱり……」 と云いさした私は、思わずドキンとして座り直さずにはおられなかった。そうして唾液つばを嚥のみ込み嚥み込みつぶやいた。「それじゃ……やっぱり……僕を実験にかける準備……」「さようさよう……」 と若林博士は猶予もなく引取ってうなずいた。「前にも申しました通り、正木先生の頭脳は、吾々の測り知り得る範囲を遥かに超越しているのでありますが、しかし、正木博士のそうした突飛とっぴな、大袈裟おおげさな行動の中に、解放治療の開設に関する何等かの準備的な御苦心が含まれている事は、否いなまれない事実と考えられます。これからお話致します正木先生の変幻出没的な御行動の一つ一つにも皆、そうした意味が含まれておりますようで、言葉を換えて申しますと、正木先生の後半の御生涯は、その一挙手一投足までも、貴方を中心として動いておられたものとしか考えられないので御座います」 若林博士はコンナ風に云いまわしつつ、その青冷めたい、力ない視線をフッと私の顔に向けた。そうして私がモウ一度座り直さずにはおられなくなるまで、私の顔を凝視していたが、そのうちに私が身動きは愚か、返事の言葉すら出なくなっている様子を見ると、又、気をかえるようにハンカチを取出して、小さな咳払せきばらいをしつつ、スラスラと話を進めた。「……然しかるに去る大正十三年の三月の末の事で御座います。忘れもしませぬ二十六日の午後一時頃の事でした。卒業されてから十八年の長い間、全く消息を絶っておられた正木先生が、思いがけなく当大学、法医学部の私の居室へやをノックされましたのには、流石さすがの私もビックリ致しました。まるで幽霊にでも出会ったような気持ちで、何はともあれ無事を祝し合った訳でしたが、それにしても、どうしてコンナに突然に帰って来られたのかとお尋ねしますと、正木先生は昔にかわらぬ磊落らいらくな態度で、頭を掻き掻きこんなお話をされました。「イヤ。その事だよ。実は面目ない話だがね。二三週間前ぜんに門司もじ駅の改札口で、今まで持っていた金側きんがわ時計を掏摸すりにして遣やられてしまったのだ。モバド会社の特製で時価千円位のモノだったが惜しい事をしたよ。そこでヒョイッと思い出して、十八年前にお預けにしておいた銀時計がもし在るならばと思って貰いに来た訳だがね。……ところでその序ついでに、何か一つ諸君をアッといわせるような手土産をと思ったが、格別芳かんばしいものも思い当らないので、そのまま門司の伊勢源いせげん旅館の二階に滞在して、詰らない論文みたようなものを全速力で書き上げて来た。そこでまずこれを新総長にお眼にかけようと思って、斎藤先生に紹介してもらいに行ったら、それはこっちから紹介してもいいが、役目柄、学部長の若林君の手を経て提出した方がよかろうと云われたから、こっちへ担ぎ込んで来た訳だ。面倒だろうがどうか一つ宜しく頼む」 というお話です。そこで……申すまでもなく保管してありました時計は、すぐに下附される事になりましたが、その時に正木博士が提出されました論文こそ、ダーウィンの『種の起源』や、アインスタインの『相対性原理』と同様……否、それ以上に世界の学界を震駭しんがいさせるであろうと斎藤先生が予言されました『脳髄論』であったのです」「……脳髄論……」「さよう。脳髄論と名づくる三万字ばかりの論文でしたが、その内容は、最前お話いたしました『胎児の夢』とは正反対に、厳粛、荘重を極めたもので、意味の取り違えを防ぐために、独逸ドイツ語と、羅甸ラテン語の二種類で書かれておりますが、これを文献も何も無い宿屋の二階で僅々きんきん二三週間の間に書き上げられた正木先生の頭脳と、精力からして既に非凡以上と申さねばなりますまい。……しかも正木先生はこの論文によって、今日まで何人なんぴとも説明し得ず、立証も実験もし得なかった脳髄の不可思議な機能を鏡にかけて見るように明白にされたのです。そうして同時に今日まで、精神病学界の疑問とされておった幾多の奇怪現象を、極めて簡明直截に説明してしまわれたのです。……ですから専門の関係上、この論文を一番最初に見られた斎藤先生は、無論、非常に驚かれまして、それから約一年ばかりの間寝食を忘れてこの論文を研究されたのですが、やっと昨年……大正十四年の二月の末に、一ひと通りの審査、考究を終られますと、その翌日の早朝に、現、松原総長を自宅に訪問されまして、「……私は今日限り、九大精神病科の教授の椅子を引退しまして、後任に正木君を推薦致したいと思います。もし他の大学に同君を取られるようなことがありますと、この大学の恥辱になると思いますから……」 と暗涙を浮めて懇願されました。しかし正木先生はそれっきり宿所も告げずに、又も行衛ゆくえを晦くらまして終しまわれた折柄ですし、殊に斎藤先生の御人格に今更に深く敬服しました現、松原総長は、急せき込んでおられる斎藤先生を押しなだめて、留任を希望する一方に、この論文を学位論文として、正木先生に学位を授くる事に内定した……という事が、やはり学界の美談として伝えられております。尤もっともこの事は、誰かの口から洩れたと見えまして、新聞に掲載されたそうですが……私はツイ、うっかりしてその記事を見ませんでしたけれども……」 若林博士はここまで物語って来ると、その時の思い出に打たれたらしく、いかにも感動したようにヒッソリと眼を閉じた。私も敬慕の念に満たされつつ斎藤博士の肖像を仰いだが、そう思って見たせいか、神様のような気高い姿に見えたので、思わず軽いため息をさせられながらつぶやいた。「それじゃこの斎藤先生は、正木先生に後を譲るために、お亡くなりになったようなものですね」 若林博士は、こういった私の質問が耳に這入ると一層深く感動したらしく、眼を閉じたままの眉の間の皺しわが一層深くなった。そうして今にも咳が飛出しそうな長い、太い溜息を吐ついたが、やがて静かに眼を開くと、その青白い視線を、私の視線と意味あり気に合わせつつ、すこしばかり語気を強めた。「その通りです。あの斎藤先生は、正木先生が学位を受けられてから間もない、昨年……大正十四年の十月十九日に、突然に亡くなられたのです。しかも変死をされたのです」「……エ……変死……」
といったような事だったと記憶しておりますが、これには流石さすがの斎藤先生も呆あきれておられましたようで……一緒に聞いておりました私も、少なからず驚かされた事でした。第一、こんな予言者めいた事を、正木先生が果して本気で云っておられるのか、どうかすら判然致しませんでしたので……正木先生がこの時、既に、自分自身で、そのような精神病者を作り出して、学界を驚ろかそうと計劃しておられた……なぞいうような事が、その時代にどうして想像出来ましょう。……のみならず正木先生が、かような突拍子もない事を云って人を驚かされる事は、その頃から決して珍らしい事ではありませんでしたので、斎藤先生も私も、この事に就いては格別に不審を起した事もなく、深く突込んで質問した事なぞもありませんでした。 ……ところが間もなく、斯様かような斎藤先生の御不満が、正木先生の天才的頭脳と相俟あいまって、当時の大学部内に、異常な波瀾を捲き起す機会が参りました。それは、ちょうど、私共が当大学を卒業致します時で、正木先生が卒業論文として『胎児の夢』と題する怪研究を発表されたのに、端たんを発したので御座いました」「……胎児……胎児が夢を見るのですか」 と私は突然に頓狂な声を出した。それ程に胎児の夢という言葉が、異様な響きを私の耳に与えたのであった……が……しかし若林博士は矢張やはりチットモ驚かなかった。私が驚くのが如何にも当然という風にうなずいた。手にした書類を一枚一枚、念入りに繰り拡げては、青白い眼で覗き込みながら……。「……さようで……その『胎児の夢』と申します論文の内容も、追付おっつけお眼に触れる事と存じますが、単にその標題を見ましただけでも尋常一様の論文でない事がわかります。普通人が見る、普通の夢でさえも、今日までその正体が判然わかっておりませぬのに、況まして今から二十年も昔に遡さかのぼった……貴方がお生れになるか、ならない頃に、学術研究の論文として斯様な標題が選まれたのですからね。……のみならず正木先生の頭脳が尋常でない事は、予かねてから定評がありましたので、この論文の標題は忽ち、学内一般の評判になりまして、ドンナ内容だろうと眼を瞠みはらぬ者はないくらいで御座いました。 ……ところがサテこの論文が、当時の規定に従って、学内全教授の審査を受ける段取りになりますと、その文体からして全然、従来の型を破ったもので、教授の諸先生を唖然たらしむるものがありました。……と申しますのは、元来、正木先生は語学の天分にも十二分に恵まれておられましたので、英独仏の三箇国語で書かれたものは、専門外の難解な文学書類でも平気で読破して行かれるというのが、学生仲間の評判になっていた程です。……ですから卒業論文なぞも無論、その頃まで学術用語と称せられていた独逸ドイツ語で書かれている事と期待されておりましたのに、案に相違して、その頃まではまだ普及されていなかった言文一致体の、しかも、俗語や方言混まじりで書いてあるのでした。その上にその主張してある主旨というものが又、極端に常軌を逸しておりまして、その標題と同様に、人を愚弄ぐろうしているかの如く見えましたので、流石さすがに当時の新知識を網羅した新大学の諸教授も、ことごとく面喰らわされてしまいました。その中でも八釜やかまし屋を以もって鳴る某教授の如きは憤激の余りに……「……こんな不真面目な論文を吾々に読ませる学長からして間違っている。正木の奴は自分のアタマに慢心しておるから、こんなものを平気で提出するのだ。当大学第一回の卒業論文銓衡せんこうの神聖を穢けがす者は、この正木という青二才に外ほかならない。こんな学生は将来の見せしめのために放校してやるがいい」 と敦圉いきまいているという風評が、学生仲間に伝わった位でありました。むろんこれは事実であったろうと思いますが……。 ……斯様かような事情で、卒業論文銓衡の教授会議に対しては、学内一般の緊張した耳目が集中していたのでありますが、サテ、愈々いよいよ当日となりますと果して各教授とも略々ほぼ、同意見で、放校はともかくもとして、この論文を卒業論文としてパスさせる事だけは即決否決という形勢になりました。するとその時に、当時の最年少者として席末に控えておられました斎藤先生が、突然に立上られまして、今でも評判に残っておりますほどの有名な反対意見を吐かれました。「……暫く待って頂きたい。席末から甚だ僭越と思うけれども、学術のためには止むを得ないと思うから敢えて発言するのであるが、私は諸君と全然正反対の意見を、この論文に対して持っている者である。その理由を次に述べる。 ……第一にこの論文を批難する諸君は、文章が体たいを成しておらぬ。規定に合っていない。……と主張されているようであるが、これは殆んど議論にならない議論で、特に弁護の必要はないと思う。ただ学術論文というものは『どうぞ卒業させて下さい』とか『博士にして下さい』とかいって御役所に差出す願書なぞとは全然、性質の違ったものである。規定された書式とか、文体とかいうものはどこにもない……という一言を添えておけば十分であると思う。 ……次にはこの論文の内容であるが、これも亦また、諸君が攻撃されるような不真面目なものでは絶対にないのである。この論文の価値が認められないのは、現代の医学者が、余りに唯物的な肉体の研究にのみ囚とらわれて、人間の精神というものを科学的に観察する学術……すなわち精神科学に対する知識が欠けているからである。この論文に発表されているような根本的な精神、もしくは生命、もしくは遺伝の研究方法を発見すべく、全世界の精神科学者が、如何に焦慮し、苦心しているかという事実を諸君が御存じない。そのためにこの論文の真価値が理解されないものである事を、私は専門の名誉にかけて主張する者である。 ……すなわちこの論文は、人間が、母の胎内に居る十箇月の間に一つの想像を超絶した夢を見ている。それは胎児自身が主役となって演出するところの『万有進化の実況』とも題すべき数億年、乃至ないし数十億年の長時間に亘わたる連続活動写真のようなもので、既に化石となっている有史以前の異様奇怪を極めた動植物や、又は、そんな動植物を惨死滅亡させた天変地妖の、形容を絶する偉観、壮観までも、一分ぶ一厘り違わぬ実感を以て、さながらに描きあらわすのみならず、引続いては、その天変地妖の中から生み出された原始人類、すなわち胎児自身の遠い先祖たちから、現在の両親に到る迄の代々の人間が、その深刻な生存競争のためにどのような悪業を積み重ねて来たか。どんなに残忍非道な所業を繰返しつつ、他人の耳目を眩くらまして来たか……そうしてそのような因果に因果を重ねた心理状態を、ドンナ風にして胎児自身に遺伝して来たかというような事実を、胎児自身の直接の主観として、詳細、明白に描きあらわすところの、驚駭きょうがいと、戦慄とを極めた大悪夢である事が、人間の肉体、及および、精神の解剖的観察によって、直接、間接に推定され得る……と主張している。但ただし、それは胎児自身が記録した事実でもなければ、大人の記録に残っている事でもないので、いわば一つの推測に過ぎない。だから学術上の価値は認められない。卒業論文としての点数も零ゼロである……という事に諸君の御意見は一致しているようである。 ……これは一応、御尤ごもっとも千万のように聞こえるが……しかし……私は失礼ながら、ここで一つ諸君にお尋ねしたい事がある。それは諸君が中学時代に於て、必ず一度は眼を通されたであろう『世界歴史』というものを諸君はドウ思って読んで来られたかという事である。……そもそも世界歴史というものは、人類生活の過去に属する部分の記録で、これを個人にとってみると、自分自身の過去の経歴に関する記憶と同様のものである……くらいの事は、今更、諸君の前で説明するさえ失礼な位に、わかり切った事であろう。苟いやしくも過去を持たない人間でない限り、否定し得ないところであろう。 ……ところでもしそうとすれば、その歴史的の記録が残っていない、所謂いわゆる、有史以前の人類が、その宗教に、その芸術に、その社会組織に、如何なる夢を描きあらわしておったか。如何なる夢を見つつ自分達の歴史を記録し得るまでに進化して来たかという事を、現在の世界に残っている各種の遺跡に照し合わせて推測するところの学術……たとえば文化人類学、先史考古学、原始考古学なぞいう学問は学術上無価値のものといえようか。科学的の研究でないといえようか。……況いわんや人類出現以前の地球の生活として記録されている地質の変遷や、古生物の盛衰興亡は、誰が見て来て、誰が記録しておいたものであろうか。現在の地球表面上に残る各種の遺跡によって、そんな事実を推定して行く地質学者や、古生物学者は皆、想像のみを事とするお伽話とぎばなしの作者といえようか。科学者でないといえようか。 ……すなわち、この論文『胎児の夢』の一篇は、吾々の頭脳の記録に残っていない、みごもり時代の吾々の夢の内容を、吾々成人の肉体、及および、精神の到る処に残存し、充満している無量無数の遺跡によって推定するという、最も嶄新ざんしんな学術の芽生えでなければならぬ。最尖鋭、徹底した空前の新研究でなければならぬ。……のみならずこの論文中に含まれている人間の精神の組み立てに関する解剖的な説明の如きは、実に破天荒なこころみで、全世界の精神科学者が絶対不可能事と認めながらも、明け暮れ翹望ぎょうぼうし、渇望して止まなかった精神解剖学、精神生理学、精神病理学、精神遺伝学なぞというものを包含している事が明らかに認められるので、本篇の主題たる『胎児の夢』の研究がモウ一歩進展して、この方面にまで分科して来たならば、恐らく将来の人類文化に大革命が与えられはしまいかと思われる位である。すくなくとも従来の精神科学が問題にして来た幽霊現象とか、メスメリズム、透視術、読心術なぞとは全く違った純科学的な研究態度をもって、精神科学の進むべき大道を切り開いているものである事を、私は特に、今一度、私の専門の立場から、強く裏書きしておく者である。 ……私は確信する、この『胎児の夢』の一篇は元来、一学生の卒業論文として提出されているのであるが、実は、現在ありふれている、所謂、博士論文なぞとは到底、比較にならない程の高級、且つ深遠な科学的価値を有する発表である。無論、今期、当大学第一回の卒業論文中の第一位に推して、当学部の誇りとすべきもので、これを無価値だなぞと批評する学者は、新しい学術が如何にして生まれて来たか……偉大な真理が、その発表の当初に於て、如何に空想の産物視せられて来たかという、歴史上の事実を知らない人々でなければならぬ」 ……云々といったような主旨であったと、後に斎藤先生が私に話しておられました。 ……ところで斎藤先生の斯様かような主張が、ほかの諸教授たちの反感を買ったのは無論の事でありました。斎藤先生は忽たちまちの中うちに満座の諸教授の論難攻撃の焦点に立たれたのでありますが、しかし先生は一歩も退かずに、該博がいはく深遠なる議論を以て、一々相手の攻撃を逆襲、粉砕して行かれましたので、午後の三時から始まった会議が、日が暮れても片付きませぬ。何をいうにも新興医学部の最高の使命と名誉とを中心とする、必死の論争なのですから、真に血湧き肉躍るものがありましたでしょう。止むを得ず、他の論文の銓衡せんこうを全部、翌日に廻わして、ラムプを点つけて議論を続行しました結果、やっと午後九時に到って一同が完全に沈黙させられてしまいました。その時に、後のちに名総長と謳うたわれました盛山学部長が裁決をしまして、この『胎児の夢』の一篇を、一個の学術研究論文と認める旨を宣言しまして、やっとこの日の会議を終る事になりました。そうしてその翌日と、その翌々日と三日がかりで全部十六通の論文を銓衡致しました結果、正木先生の『胎児の夢』が斎藤先生の御主張通りに、卒業論文中の第一位に推さるる事になったのであります。 ……が……こうして評判に評判を重ねた、医学部の卒業式の当日になりますと、意外にも、恩賜おんしの銀時計を拝受すべき当の本人の正木医学士が、いつの間にか行衛ゆくえ不明になっている事が発見されまして、又も、人々を驚かしました」「ホウ。卒業式の当日に行衛不明……どうしてでしょう」 私が思わずこう口走ると、同時に若林博士は、何故かしらフッと口を噤つぐんだ。恰あたかも何かしら重大な事を言い出す前のように、私の顔を凝視していたが、やがて、又、今までよりも一層慎しやかに口を啓ひらいた。「正木先生が何故なにゆえに、かかる光栄ある機会を前にして、行衛不明になられたかという真個ほんとの原因に就ては今日まで、何人なんぴとも考え及んだ者が在るまいと思います。無論、私にもその真相は解かっていないので御座いますが、しかしその正木先生の行衛不明事件と、今申上げました『胎児の夢』の論文との間に、何等かの因果関係が潜んでいるらしい推測が可能であることは疑を容いれないようであります。……換言致しますれば、正木先生は、御自分の書かれた卒業論文『胎児の夢』の主人公に脅やかされて行衛を晦くらまされたものではないかと考えられるので御座います」
若林博士は、こう説明しつつ大卓子テーブルの前に引返して、ストーブに面した小型な廻転椅子を指しつつ私を振り返った。私はその命令に従って手術を受ける患者のように、恐る恐るその椅子に近付くと、オズオズ腰を卸おろすには卸したが、しかし腰をかけているような気持ちはチットモしなかった。余りの気味悪さと不思議さに息苦しくなった胸を押えて、唾液つばを呑込み呑込みしているばかりであった。 その間に若林博士はグルリと大卓子をまわって、私の向側の大きな廻転椅子の上に座った。最前あの七号室で見た通りの恰好に、小さくなって曲り込んだのであったが、今度は外套を脱いでいるためにモーニング姿の両手と両脚が、露あらわに細長く折れ曲っている間へ、長い頸部くびと、細長い胴体とがグズグズと縮み込んで行くのがよく見えた。そうしてそのまん中に、顔だけが旧もとの通りの大きさで据すわっているので、全体の感じが何となく妖怪じみてしまった。たとえば大きな、蒼白い人間の顔を持った大蜘蛛ぐもが、その背後の大暖炉の中からタッタ今、私を餌食えさにすべく、モーニングコートを着て匐はい出して来たような感じに変ってしまったのであった。 私はそれを見ると、自ずと廻転椅子の上に居住居いずまいを正した。するとその大蜘蛛の若林博士は、悠々と長い手をさし伸ばして、最前から大卓子の真中に置いたままになっている書類の綴込みのようなものを引寄せて、膝の下でソッと塵ごみを払いながら、小さな咳払いを一つ二つした。「……ところでその正木先生が、生涯を賭として完成されました、その実験の前後に関するお話を致しますに就ついては、誠に恐縮で御座いますが、かく申す私の事を引合いに出させて頂かなければなりませぬので……と申します理由は、ほかでも御座いませぬ。正木先生と私とは元来、同郷の千葉県出身で御座いまして、この大学の前身でありました京都帝国大学、福岡医科大学と申しましたのが、明治三十六年に福岡の県立病院を改造して新設されました当初に、第一回の入学生として机を並べましたものです。そうして同じく明治四十年に、同時に卒業致しましたのですから、申さば同窓の同輩とも申すべき間柄だったので御座います。しかも、今日まで二人とも独身生活を続けまして、学術研究の一方に生涯を打ち込んでおりますところまで、そっくりそのまま、似通っているので御座いましたが……しかしその正木先生の頭脳の非凡さと、その資産の莫大さとの二つの点に到っては、トテモ私どもの思い及ぶところでは御座いませんでした。取りあえず学問の方だけで申しましても、その頃の私どもの研究というものは、只今のように外国の書物が自由自在に得られませぬために、あらゆる苦心を致しましたものです。学校の図書館の本を借りて来て、昼夜兼行で筆写したりなぞしておりましたのに、正木先生だけはタッタ一人、頗すこぶる呑気な状態で自費で外国から取寄せられた書物でも、一度眼を通したら、あとは惜し気もなく他人ひとに貸してやったりしておられたものでした。そうして御自身は道楽半分ともいうべき古生物の化石を探しまわったり、医学とは何の関係もない、神社仏閣の縁起を調べて廻まわったりしておられたような事でした。……尤もっともこうした正木先生の化石集めや、神社仏閣の縁起調べは、その当時から、決して無意義な道楽ではありませんでした。……『狂人解放治療』の実験と、重大な関係を持っている計劃的な仕事であった。……という事が、二十年後の今日に到って、やっと私にだけ解かりかけて参りましたので、今更のように正木先生の頭脳の卓抜、深遠さに驚目駭心きょうもくがいしんさせられているような次第で御座います。いずれに致しても、そのような訳で、正木先生はその当時から、一風変った人物として、学生教授間の注目を惹いておられた次第ですが、しかも、そのように偉大な正木先生の頭脳を真先に認められましたのがここに掲げてありますこの写真の主、斎藤寿八先生と申しても過言では御座いませんでした。 ……と申しますのは斯様かような次第で御座います。元来この斎藤先生と申しますのは、この大学の創立当初から勤続しておられたお方で、現在、この部屋に在ります標本の大部分を、独力で集められた程の、非常に篤学な方で御座いましたが、殊に非常な熱弁家で、余談ではありますが、こんな逸話が残っている位であります。嘗かつて、当大学創立の三週年記念祝賀会が、大講堂で行われました際に、学生を代表された正木先生が、こんな演説をされた事があります。「近頃当大学の学生や、諸先生が、よく花柳かりゅうの巷ちまたに出入したり、賭博に耽ふけったりされる噂が、新聞でタタカレているようであるが、これは決して問題にするには当らないと思う。そもそも学生、学者たるものの第一番の罪悪は、酒色に耽る事でもなければ、花札を弄もてあそぶことでもない。学士になるか博士になるかすると、それっきり忘れたように学術の研究をやめてしまう事である。これは日本の学界の一大弊害と思う」 と喝破された時には、満堂の学生教授の顔色が一変してしまったものでした。ところが、その中にタッタ一人斎藤先生が、自席から立上って熱狂的な拍手を送って、ブラボーを叫ばれました姿を、只今でも私はハッキリと印象しておりますので、この一事だけでもその性格の一端を窺うかがうのに十分で御座いましょう。 ……しかし先生が当大学に奉職をされました当初の中うちは、まだ、九大に精神病科なぞいう分科もありませず、斎藤先生は学内で、唯一人の精神病の専攻家として、助教授格で、僅かな講座を受持っておられました位のことでしたので、この点に就いては大分、御不平らしく見えておりました。いつもお気に入りの正木先生と、その頃から御指導を仰いでおりました私との二人を捉つかまえては、現代の唯物科学万能主義を罵倒したり、国体の将来を憂えたりしておられたものですが、そのような場合に私はどのような受け答えを致してよいのか解らなかったにも拘わらず、正木先生はいつも奇想天外式な逆襲をして、斎藤先生を閉口させておられたもので……その中でも特に私の記憶に残っておりますのはかような言葉で御座いました。「……ソ――ラ、又、先生一流の愚痴の紋切型が初まった。安月給取りの蓄音器じゃあるまいし、もうソロソロ蝋管ろうかんを取り換えちゃどうです。今の人間は、みんな西洋崇拝で、一人残らず唯物科学の中毒に罹かかっているのですから、先生の愚痴を注射した位ではナカナカ癒りませんよ。……まあまあ、そんなにヤキモキなさらずに、今から二十年ほど待っていらっしゃい。二十年経つ中うちには、もしかするとこの日本に一人のスバラシイ精神病患者が現われるかも知れないのです。……そうするとその患者は、自分の発病の原因と、その精神異常が回復して来た経過とを、自分自身に詳細に記録、発表して全世界の学者を驚倒させると同時に、今日まで人類が総がかりで作り上げて来た宗教、道徳、芸術、法律、科学なぞいうものは勿論のこと、自然主義、虚無主義、無政府主義、その他のアラユル唯物的な文化思想を粉微塵こなみじんに踏み潰して、その代りに人間の魂をドン底まで赤裸々に解放した、痛快この上なしの精神文化をこの地上にタタキ出すべく、そのキチガイが騒ぎ初めるのです。……そのキチガイ先生の騒ぎが、マンマと首尾よく成功した暁あかつきには、先生のお望み通りに精神科学が、この地上に於ける最高の学問となって来るのです。同時にこの大学みたように精神病科を継子ままこ扱いにする学校は、全然無価値なものになってしまうのです。……ですから、それを楽しみにして、精々せいぜい長生をして待っていらっしゃい。学者に停年はありませんからね」
その図は、西洋の火焙ひあぶりか何かの光景らしかった。 三本並んだ太い生木なまきの柱の中央に、白髪、白髯はくぜんの神々しい老人が、高々と括くくり付けられている。その右に、瘠やせこけた蒼白い若者……又、老人の左側には、花輪を戴いた乱髪の女性が、それぞれに丸裸体まるはだかのまま縛り付けられて、足の下に積み上げられた薪から燃え上る焔と煙に、むせび狂っている。 その酷むごたらしい光景を額面の向って右の方から、黄金色の輿こしに乗った貴族らしい夫婦が、美々しく装うた眷族けんぞくや、臣下らしいものに取巻かれつつも如何いかにも興味深そうに悠然と眺めているのであるが、これに反して、その反対側の左の端には、焔と煙の中から顔を出している母親を慕う一人の小児が、両手を差し伸べて泣き狂うている。それを父親らしい壮漢と、祖父らしい老翁が抱きすくめて、大きな掌てのひらで小児の口を押えながら、貴人達を恐るるかのように振り返っている表情が、それぞれに生き生きと描きあらわしてある。 又、その中央の広場の真中には、赤い三角型の頭巾ずきんを冠って、黒い長い外套を羽織った鼻の高い老婆がタッタ一人、撞木杖しゅもくづえを突いて立ち佇とどまっているが、如何にも手柄顔に火刑柱ひあぶりばしらの三人の苦悶を、貴人に指し示しつつ、粗まばらな歯を一パイに剥き出してニタニタと笑っている……という場面で、見ているうちにだんだんと真に迫って来る薄気味の悪い画面であった。「これは何の絵ですか」 私はその画面を指さして振り返った。若林博士は最前からそうして来た通りに、両手をズボンのポケットに入れたまま冷然として答えた。「それは欧洲の中世期に行われました迷信の図で、風俗から見るとフランスあたりかと思われます。精神病者を魔者に憑つかれたものとして、片端かたっぱしから焚やき殺している光景を描きあらわしたもので、中央に居おりまする、赤頭巾に黒外套の老婆が、その頃の医師、兼祈祷師、兼卜筮者うらないしゃであった巫女婆みこばばあです。昔は狂人をこんな風に残酷に取扱っていたという参考資料として正木先生が柳河やながわの骨董店こっとうてんから買って来られたというお話です。筆者はレムブラントだという人がこの頃、二三出て来たようですが、もしそうであればこの絵は、美術品としても容易ならぬ貴重品でありますが……」「……ハア……焚き殺すのがその頃の治療法だったのですね」「さようさよう。精神病という捉えどころのない病気には用いる薬がありませんので、寧むしろ徹底した治療法というべきでしょう」 私は笑いも泣きも出来ない気持ちになった。 そう云って私を見下した若林博士の青白い瞳の中に、学術のためとあれば今にも私を引っ捉えて、黒焼きにしかねない冷酷さが籠こもっていたので……。私は平手で顔を撫でまわしながら挨拶みたように云った。「今の世の中に生れた狂人は幸福ですね」 すると又も、若林博士の左の頬に、微笑みたようなものが現われて、すぐに又消え失せて行った。「……いや……必ずしもそうでないのです。或は一ひと思いに焚き殺された昔の精神病者の方が幸福であったかも知れません」 私は又も余計な事を云った事を後悔しいしい肩をすぼめた。そういう若林博士の気味のわるい視線を避けつつ、ハンカチで顔を拭いたが、その時に、ゆくりなくも、正面左手の壁にかかっている大きな、黒い木枠の写真が眼についた。 それは額の禿はげ上った、胡麻塩髯ごましおひげを長々と垂らした、福々しい六十恰好の老紳士の紋服姿で、いかにも温厚な、好人物らしい微笑を満面に湛たたえている。私はその写真に気が付いた最初に、これが正木博士ではないかと思って、わざわざその真正面に行って、正しく向い合ってみたが、どうも違うような気がするので、又も若林博士を振り返った。「この写真はどなたですか」 若林博士の顔は、私がこう尋ねると同時に、著いちじるしく柔らいだように見えた。何故だかわからないけれども、今までにない満足らしい輝やきを見せつつ、ゆっくりと頭を下げた。「……ハイ……その写真ですか。ハイ……それは斎藤寿八先生です。最前も、ちょっとお話をしました通り、正木先生の前にこの精神病科の教室を受持っておられましたお方で、私どもの恩師です」 そう云ううちに若林博士は軽い、感傷的な歎息ためいきをしたが、やがてその長大な顔に、深い感銘の色をあらわしつつ、悠々と私の方に近付いて来た。「……やっとお眼に止まりましたね」「……エッ……」 と私は驚きながら若林博士の顔を見上げた。そう云う若林博士の言葉の意味がわからなかったので……。しかし若林博士は構わずに、なおも悠々と私に接近すると、上半身を心持ち前に傾けながら、私の顔と写真を見比べて、一層真剣な、叮嚀な口調で言葉を続けた。「この写真がやっとお眼に止まりました事を申上げているので御座います。何故かと申しますとこの写真こそは、貴方の過去の御生涯と、最も深い関係を結んでいるものに相違ないので御座いますから……」 こう云われると同時に私はハッと気が付いた。この部屋に這入って来た最初の目的を、いつの間にか忘れていた事を思い出したのであった。そうして、それと同時に何かしら軽い、けれども深い胸の動悸を、心の奥底に感じさせられたのであった。 けれども又、それと同時に、まだ何一つ思い出したような気がしない、自分の頭の中の状態を考えまわすと、何となく安心したような、又は失望したような気持になって、ほっと一つ肩をゆすり上げた。そうして心持ち俛首うなだれながら若林博士の言葉に耳を傾けた。「……あなたの中に潜伏しております過去の御記憶は、最前から、極めて微妙に眼醒めかけているように思われるのです。貴方が只今、あの、ドグラ・マグラの原稿からこの狂人焚殺ふんさつの絵を見ておいでになるうちに、眼ざめかけて来ました貴方御自身の潜在意識が、只今、貴方を導いて、この写真の前に連れて来たものとしか思われないのです。何故かと申しますと、彼かの狂人焚殺の名画と、この斎藤先生の御肖像をここに並べて掲げた人は、ほかでも御座いませぬ。あなたの精神意識の実験者、正木先生だからで御座います。……正木先生はあの狂人焚殺の絵に描いてあるような残酷非道な精神病者の取扱い方が、二十世紀の今日に於ても、公然の秘密として、到る処に行われている事実に憤慨されまして、生涯を精神病の研究に捧ぐる決心をされたのですから……。そうして斎藤先生の御指導と御援助の下にトウトウその目的を達しられたのですから……」「狂人焚殺……狂人の虐殺が今でも行われているのですか」 と私は独言ひとりごとのように呟つぶやいた。又も底知れぬ恐怖に囚とらわれつつ……。しかし若林博士は平気でうなずいた。「……行われております。遺憾なく昔の通りに行われております。否。焚やき殺す以上の残虐が、世界中、到る処の精神病院で、堂々と行われているので御座います。今日只今でも……」「……そ……それはあんまり……」 と云いさして私は言葉を嚥のみ込んだ。あんまり非道ひどい云い方だと思ったので……。しかし若林博士は動じなかった。私と肩を並べて、狂人焚殺の油絵と、斎藤博士の写真を見比べながら冷然とした口調で私に云い聞かせた。「あんまりではありませぬ。儼然げんぜんたる事実に相違ないのです。その事実は追々おいおいと、おわかりになる事と思いますが、正木先生は、そうした虐待を受けている憐れな狂人の大衆を救うべく、非常な苦心をされました結果、遂に精神科学に関する空前の新学説を樹たてられる事になったのです。その驚異的な新学説の原理原則と申しますのは、前にもちょっとお話しました通り、極めてわかり易い、女子供にでも理解され得るような、興味深い、卑近な種類のもので……その学説の原理を実際に証明すべく『狂人解放』の実験を初められた訳です……が……しかも、その実験は、もはや、ほかならぬ貴方御自身の御提供によって、申分もうしぶんなく完成されておりますので……あとに残っている仕事と申しますのは唯一つ、貴方が昔の御記憶を回復されまして、その実験の報告書類に、署名さるるばかりの段取りとなっておるので御座います」 私は又も呆然となった。開あいた口が塞ふさがらないまま、並んで立っている若林博士の横顔を見上げた。そういう私が、何とも形容の出来ない厳粛な、恐ろしい因縁に囚とらわれつつ、この部屋の中に引寄せられて来て、その因縁を作った二つの額縁に向い合わせられたまま、動く事が出来ないように仕向けられているような気がしたので……。しかし若林博士は依然として、そうした私の気持ちに無関係のままスラスラと言葉を続けた。「……で御座いますからして、斎藤先生と正木先生と、あの狂人焚殺の因果関係をお話し致しますと、そのお話が一々、貴方の過去の御経歴に触れて来るので御座います。すなわち正木先生が、解放治療場に於て、貴方を精神科学の実験にかけるために、どれ程の周到な準備を整えてこの九大に来られたか……この実験に関する準備と研究のために、どのような恐ろしい苦心と努力を払って来られたか……」「エッ。エッ。僕を実験するために、そんなに恐ろしい準備……」「そうです、正木先生は実に二十余年の長い時日を、この実験の準備のために費されたので御座います」「……二十年……」 こう叫びかけた私の声は、まだ声にならないうちに、一種の唸り声みたようなものになって、咽喉のどの奥に引返した。その正木博士の二十年間の苦心が、そのまま私の頸筋くびに捲き付いて来るような気がしたので……。 すると今度は若林博士もそうした、私の気持ちを察したらしく又もゆっくりとうなずいた。「そうです。正木先生は、まだ貴方が、お生れにならない以前から、貴方のためにこの実験を準備して来られたのです」「……まだ生れない僕のために……」「さよう。こう申しますと、わざわざ奇矯な云い廻しを致しているように思われるかも知れませぬが、決してそのような訳では御座いませぬ。正木先生はたしかに、貴方がまだお生れにならないズット以前から、貴方の今日ある事を予期しておられたのです。貴方が只今にも、過去の御記憶を回復されました後のちに……否……たとい過去の御記憶を思い出されませずとも、これから私が提供致します事実によって、単に貴方御自身のお名前を推定されましただけでもよろしい。その上で前後の事実を照合てらしあわされましたならば、私の申します事が、決して誇張でありませぬ事実を、御首肯ごしゅこう出来る事と信じます。……又……そう致しますのが、貴方御自身のお名前をホントウに思い出して頂く、最上の、最後の手段ではないかと、私は信じている次第で御座いますが……」
六 戦闘、開始。 いつまでも、悲しみに沈んでもおられなかった。私には、是非とも、戦いとらなければならぬものがあった。新しい倫理。いいえ、そう言っても偽善めく。恋。それだけだ。ローザが新しい経済学にたよらなければ生きておられなかったように、私はいま、恋一つにすがらなければ、生きて行けないのだ。イエスが、この世の宗教家、道徳家、学者、権威者の偽善をあばき、神の真の愛情というものを少しも躊躇するところなくありのままに人々に告げあらわさんがために、その十二弟子をも諸方に派遣なさろうとするに当って、弟子たちに教え聞かせたお言葉は、私のこの場合にも全然、無関係でないように思われた。「帯のなかに金・銀または銭を持つな。旅の嚢も、二枚の下衣も、鞋も、杖も持つな。視よ、我なんじらを遣すは、羊を豺狼のなかに入るるが如し。この故に蛇のごとく慧く、鴿のごとく素直なれ。人々に心せよ、それは汝らを衆議所に付し、会堂にて鞭たん。また汝等わが故によりて、司たち王たちの前に曳かれん。かれら汝らを付さば、如何なにを言わんと思い煩うな、言うべき事は、その時さずけられるべし。これ言うものは汝等にあらず、其の中にありて言いたまう汝らの父の霊なり。又なんじら我が名のために凡ての人に憎まれん。されど終まで耐え忍ぶものは救わるべし。この町にて、責めらるる時は、かの町に逃れよ。誠に汝らに告ぐ、なんじらイスラエルの町々を巡り尽さぬうちに人の子は来るべし。身を殺して霊魂をころし得ぬ者どもを懼るな、身と霊魂とをゲヘナにて滅し得る者をおそれよ。われ地に平和を投ぜんために来れりと思うな、平和にあらず、反って剣を投ぜん為に来れり。それ我が来れるは人をその父より娘をその母より、嫁をその姑より分たん為なり。人の仇は、その家の者なるべし。我よりも父または母を愛する者は、我に相応しからず。我よりも息子または娘を愛する者は、我に相応しからず。又おのが十字架をとりて我に従わぬ者は、我に相応しからず。生命を得る者は、これを失い、我がために生命を失う者は、これを得べし」 戦闘、開始。 もし、私が恋ゆえに、イエスのこの教えをそっくりそのまま必ず守ることを誓ったら、イエスさまはお叱りになるかしら。なぜ、「恋」がわるくて、「愛」がいいのか、私にはわからない。同じもののような気がしてならない。何だかわからぬ愛のために、恋のために、その悲しさのために、身と霊魂とをゲヘナにて滅し得る者、ああ、私は自分こそ、それだと言い張りたいのだ。 叔父さまたちのお世話で、お母さまの密葬を伊豆で行い、本葬は東京ですまして、それからまた直治と私は、伊豆の山荘で、お互い顔を合せても口をきかぬような、理由のわからぬ気まずい生活をして、直治は出版業の資本金と称して、お母さまの宝石類を全部持ち出し、東京で飲み疲れると、伊豆の山荘へ大病人のような真蒼な顔をしてふらふら帰って来て、寝て、或る時、若いダンサアふうのひとを連れて来て、さすがに直治も少し間が悪そうにしているので、「きょう、私、東京へ行ってもいい? お友だちのところへ、久し振りで遊びに行ってみたいの。二晩か、三晩、泊って来ますから、あなた留守番してね。お炊事は、あのかたに、たのむといいわ」 直治の弱味にすかさず附け込み、謂わば蛇のごとく慧く、私はバッグにお化粧品やパンなど詰め込んで、きわめて自然に、あのひとと逢いに上京する事が出来た。 東京郊外、省線荻窪駅の北口に下車すると、そこから二十分くらいで、あのひとの大戦後の新しいお住居に行き着けるらしいという事は、直治から前にそれとなく聞いていたのである。 こがらしの強く吹いている日だった。荻窪駅に降りた頃には、もうあたりが薄暗く、私は往来のひとをつかまえては、あのひとのところ番地を告げて、その方角を教えてもらって、一時間ちかく暗い郊外の路地をうろついて、あまり心細くて、涙が出て、そのうちに砂利道の石につまずいて下駄の鼻緒がぷつんと切れて、どうしようかと立ちすくんで、ふと右手の二軒長屋のうちの一軒の家の表札が、夜目にも白くぼんやり浮んで、それに上原と書かれているような気がして、片足は足袋はだしのまま、その家の玄関に走り寄って、なおよく表札を見ると、たしかに上原二郎としたためられていたが、家の中は暗かった。 どうしようか、とまた瞬時立ちすくみ、それから、身を投げる気持で、玄関の格子戸に倒れかかるようにひたと寄り添い、「ごめん下さいまし」 と言い、両手の指先で格子を撫でながら、「上原さん」 と小声で囁いてみた。 返事は、有った。しかし、それは、女のひとの声であった。 玄関の戸が内からあいて、細おもての古風な匂いのする、私より三つ四つ年上のような女のひとが、玄関の暗闇の中でちらと笑い、「どちらさまでしょうか」 とたずねるその言葉の調子には、なんの悪意も警戒も無かった。「いいえ、あのう」 けれども私は、自分の名を言いそびれてしまった。このひとにだけは、私の恋も、奇妙にうしろめたく思われた。おどおどと、ほとんど卑屈に、「先生は? いらっしゃいません?」「はあ」 と答えて、気の毒そうに私の顔を見て、「でも、行く先は、たいてい、……」「遠くへ?」「いいえ」 と、可笑しそうに片手をお口に当てられて、「荻窪ですの。駅の前の、白石というおでんやさんへおいでになれば、たいてい、行く先がおわかりかと思います」 私は飛び立つ思いで、「あ、そうですか」「あら、おはきものが」 すすめられて私は、玄関の内へはいり、式台に坐らせてもらい、奥さまから、軽便鼻緒とでもいうのかしら、鼻緒の切れた時に手軽に繕うことの出来る革の仕掛紐をいただいて、下駄を直して、そのあいだに奥さまは、蝋燭をともして玄関に持って来て下さったりしながら、「あいにく、電球が二つとも切れてしまいまして、このごろの電球は馬鹿高い上に切れ易くていけませんわね、主人がいると買ってもらえるんですけど、ゆうべも、おとといの晩も帰ってまいりませんので、私どもは、これで三晩、無一文の早寝ですのよ」 などと、しんからのんきそうに笑っておっしゃる。奥さまのうしろには、十二、三歳の眼の大きな、めったに人になつかないような感じのほっそりした女のお子さんが立っている。 敵。私はそう思わないけれども、しかし、この奥さまとお子さんは、いつかは私を敵と思って憎む事があるに違いないのだ。それを考えたら、私の恋も、一時にさめ果てたような気持になって、下駄の鼻緒をすげかえ、立ってはたはたと手を打ち合せて両手のよごれを払い落しながら、わびしさが猛然と身のまわりに押し寄せて来る気配に堪えかね、お座敷に駈け上って、まっくら闇の中で奥さまのお手を掴んで泣こうかしらと、ぐらぐら烈しく動揺したけれども、ふと、その後の自分のしらじらしい何とも形のつかぬ味気無い姿を考え、いやになり、「ありがとうございました」 と、ばか叮嚀なお辞儀をして、外へ出て、こがらしに吹かれ、戦闘、開始、恋する、すき、こがれる、本当に恋する、本当にすき、本当にこがれる、恋いしいのだから仕様が無い、すきなのだから仕様が無い、こがれているのだから仕様が無い、あの奥さまはたしかに珍らしくいいお方、あのお嬢さんもお綺麗だ、けれども私は、神の審判の台に立たされたって、少しも自分をやましいとは思わぬ、人間は、恋と革命のために生れて来たのだ、神も罰し給う筈が無い、私はみじんも悪くない、本当にすきなのだから大威張り、あのひとに一目お逢いするまで、二晩でも三晩でも野宿しても、必ず。 駅前の白石というおでんやは、すぐに見つかった。けれども、あのひとはいらっしゃらない。「阿佐ヶ谷ですよ、きっと。阿佐ヶ谷駅の北口をまっすぐにいらして、そうですね、一丁半かな? 金物屋さんがありますからね、そこから右へはいって、半丁かな? 柳やという小料理屋がありますからね、先生、このごろは柳やのおステさんと大あつあつで、いりびたりだ、かなわねえ」 駅へ行き、切符を買い、東京行きの省線に乗り、阿佐ヶ谷で降りて、北口、約一丁半、金物屋さんのところから右へ曲って半丁、柳やは、ひっそりしていた。「たったいまお帰りになりましたが、大勢さんで、これから西荻のチドリのおばさんのところへ行って夜明しで飲むんだ、とかおっしゃっていましたよ」 私よりも年が若くて、落ちついて、上品で、親切そうな、これがあの、おステさんとかいうあのひとと大あつあつの人なのかしら。「チドリ? 西荻のどのへん?」 心細くて、涙が出そうになった。自分がいま、気が狂っているのではないかしら、とふと思った。「よく存じませんのですけどね、何でも西荻の駅を降りて、南口の、左にはいったところだとか、とにかく、交番でお聞きになったら、わかるんじゃないでしょうか。何せ、一軒ではおさまらないひとで、チドリに行く前にまたどこかにひっかかっているかも知れませんですよ」「チドリへ行ってみます。さようなら」 また、逆もどり。阿佐ヶ谷から省線で立川行きに乗り、荻窪、西荻窪、駅の南口で降りて、こがらしに吹かれてうろつき、交番を見つけて、チドリの方角をたずねて、それから、教えられたとおりの夜道を走るようにして行って、チドリの青い燈籠を見つけて、ためらわず格子戸をあけた。 土間があって、それからすぐ六畳間くらいの部屋があって、たばこの煙で濛々として、十人ばかりの人間が、部屋の大きな卓をかこんで、わあっわあっとひどく騒がしいお酒盛りをしていた。私より若いくらいのお嬢さんも三人まじって、たばこを吸い、お酒を飲んでいた。 私は土間に立って、見渡し、見つけた。そうして、夢見るような気持ちになった。ちがうのだ。六年。まるっきり、もう、違ったひとになっているのだ。 これが、あの、私の虹、M・C、私の生き甲斐の、あのひとであろうか。六年。蓬髪は昔のままだけれども哀れに赤茶けて薄くなっており、顔は黄色くむくんで、眼のふちが赤くただれて、前歯が抜け落ち、絶えず口をもぐもぐさせて、一匹の老猿が背中を丸くして部屋の片隅に坐っている感じであった。 お嬢さんのひとりが私を見とがめ、目で上原さんに私の来ている事を知らせた。あのひとは坐ったまま細長い首をのばして私のほうを見て、何の表情も無く、顎であがれという合図をした。一座は、私に何の関心も無さそうに、わいわいの大騒ぎをつづけ、それでも少しずつ席を詰めて、上原さんのすぐ右隣りに私の席をつくってくれた。 私は黙って坐った。上原さんは、私のコップにお酒をなみなみといっぱい注いでくれて、それからご自分のコップにもお酒を注ぎ足して、「乾杯」 としゃがれた声で低く言った。 二つのコップが、力弱く触れ合って、カチと悲しい音がした。 ギロチン、ギロチン、シュルシュルシュ、と誰かが言って、それに応じてまたひとりが、ギロチン、ギロチン、シュルシュルシュ、と言い、カチンと音高くコップを打ち合せてぐいと飲む。ギロチン、ギロチン、シュルシュルシュ、ギロチン、ギロチン、シュルシュルシュ、とあちこちから、その出鱈目みたいな歌が起って、さかんにコップを打ち合せて乾杯をしている。そんなふざけ切ったリズムでもってはずみをつけて、無理にお酒を喉に流し込んでいる様子であった。「じゃ、失敬」 と言って、よろめきながら帰るひとがあるかと思うと、また、新客がのっそりはいって来て、上原さんにちょっと会釈しただけで、一座に割り込む。「上原さん、あそこのね、上原さん、あそこのね、あああ、というところですがね、あれは、どんな工合いに言ったらいいんですか? あ、あ、あ、ですか? ああ、あ、ですか?」 と乗り出してたずねているひとは、たしかに私もその舞台顔に見覚えのある新劇俳優の藤田である。「ああ、あ、だ。ああ、あ、チドリの酒は、安くねえ、といったような塩梅だね」 と上原さん。「お金の事ばっかり」 とお嬢さん。「二羽の雀は一銭、とは、ありゃ高いんですか? 安いんですか?」 と若い紳士。「一厘も残りなく償わずば、という言葉もあるし、或者には五タラント、或者には二タラント、或者には一タラントなんて、ひどくややこしい譬話もあるし、キリストも勘定はなかなかこまかいんだ」 と別の紳士。「それに、あいつあ酒飲みだったよ。妙にバイブルには酒の譬話が多いと思っていたら、果せるかなだ、視よ、酒を好む人、と非難されたとバイブルに録されてある。酒を飲む人でなくて、酒を好む人というんだから、相当な飲み手だったに違いねえのさ。まず、一升飲みかね」 ともうひとりの紳士。「よせ、よせ。ああ、あ、汝らは道徳におびえて、イエスをダシに使わんとす。チエちゃん、飲もう。ギロチン、ギロチン、シュルシュルシュ」 と上原さん、一ばん若くて美しいお嬢さんと、カチンと強くコップを打ち合せて、ぐっと飲んで、お酒が口角からしたたり落ちて、顎が濡れて、それをやけくそみたいに乱暴に掌で拭って、それから大きいくしゃみを五つも六つも続けてなさった。 私はそっと立って、お隣りの部屋へ行き、病身らしく蒼白く痩せたおかみさんに、お手洗いをたずね、また帰りにその部屋をとおると、さっきの一ばんきれいで若いチエちゃんとかいうお嬢さんが、私を待っていたような恰好で立っていて、「おなかが、おすきになりません?」 と親しそうに笑いながら、尋ねた。「ええ、でも、私、パンを持ってまいりましたから」「何もございませんけど」 と病身らしいおかみさんは、だるそうに横坐りに坐って長火鉢に寄りかかったままで言う。「この部屋で、お食事をなさいまし。あんな呑んべえさんたちの相手をしていたら、一晩中なにも食べられやしません。お坐りなさい、ここへ。チエ子さんも一緒に」「おうい、キヌちゃん、お酒が無い」 とお隣りで紳士が叫ぶ。「はい、はい」 と返辞して、そのキヌちゃんという三十歳前後の粋な縞の着物を着た女中さんが、お銚子をお盆に十本ばかり載せて、お勝手からあらわれる。「ちょっと」 とおかみさんは呼びとめて、「ここへも二本」 と笑いながら言い、「それからね、キヌちゃん、すまないけど、裏のスズヤさんへ行って、うどんを二つ大いそぎでね」 私とチエちゃんは長火鉢の傍にならんで坐って、手をあぶっていた。「お蒲団をおあてなさい。寒くなりましたね。お飲みになりませんか」 おかみさんは、ご自分のお茶のお茶碗にお銚子のお酒をついで、それから別の二つのお茶碗にもお酒を注いだ。 そうして私たち三人は黙って飲んだ。「みなさん、お強いのね」 とおかみさんは、なぜだか、しんみりした口調で言った。 がらがらと表の戸のあく音が聞えて、「先生、持ってまいりました」 という若い男の声がして、「何せ、うちの社長ったら、がっちりしていますからね、二万円と言ってねばったのですが、やっと一万円」「小切手か?」 と上原さんのしゃがれた声。「いいえ、現なまですが。すみません」「まあ、いいや、受取りを書こう」 ギロチン、ギロチン、シュルシュルシュ、の乾杯の歌が、そのあいだも一座に於いて絶える事無くつづいている。「直さんは?」 と、おかみさんは真面目な顔をしてチエちゃんに尋ねる。私は、どきりとした。「知らないわ。直さんの番人じゃあるまいし」 と、チエちゃんは、うろたえて、顔を可憐に赤くなさった。「この頃、何か上原さんと、まずい事でもあったんじゃないの? いつも、必ず、一緒だったのに」 とおかみさんは、落ちついて言う。「ダンスのほうが、すきになったんですって。ダンサアの恋人でも出来たんでしょうよ」「直さんたら、まあ、お酒の上にまた女だから、始末が悪いね」「先生のお仕込みですもの」「でも、直さんのほうが、たちが悪いよ。あんなお坊ちゃんくずれは、……」「あの」 私は微笑んで口をはさんだ。黙っていては、かえってこのお二人に失礼なことになりそうだと思ったのだ。「私、直治の姉なんですの」 おかみさんは驚いたらしく、私の顔を見直したが、チエちゃんは平気で、「お顔がよく似ていらっしゃいますもの。あの土間の暗いところにお立ちになっていたのを見て、私、はっと思ったわ。直さんかと」「左様でございますか」 とおかみさんは語調を改めて、「こんなむさくるしいところへ、よくまあ。それで? あの、上原さんとは、前から?」「ええ、六年前にお逢いして、……」 言い澱み、うつむき、涙が出そうになった。「お待ちどおさま」 女中さんが、おうどんを持って来た。「召し上れ。熱いうちに」 とおかみさんはすすめる。「いただきます」 おうどんの湯気に顔をつっ込み、するするとおうどんを啜って、私は、いまこそ生きている事の侘びしさの、極限を味わっているような気がした。 ギロチン、ギロチン、シュルシュルシュ、ギロチン、ギロチン、シュルシュルシュ、と低く口ずさみながら、上原さんが私たちの部屋にはいって来て、私の傍にどかりとあぐらをかき、無言でおかみさんに大きい封筒を手渡した。「これだけで、あとをごまかしちゃだめですよ」 おかみさんは、封筒の中を見もせずに、それを長火鉢の引出しに仕舞い込んで笑いながら言う。「持って来るよ。あとの支払いは、来年だ」「あんな事を」 一万円。それだけあれば、電球がいくつ買えるだろう。私だって、それだけあれば、一年らくに暮せるのだ。 ああ、何かこの人たちは、間違っている。しかし、この人たちも、私の恋の場合と同じ様に、こうでもしなければ、生きて行かれないのかも知れない。人はこの世の中に生れて来た以上は、どうしても生き切らなければいけないものならば、この人たちのこの生き切るための姿も、憎むべきではないかも知れぬ。生きている事。生きている事。ああ、それは、何というやりきれない息もたえだえの大事業であろうか。「とにかくね」 と隣室の紳士がおっしゃる。「これから東京で生活して行くにはだね、コンチワァ、という軽薄きわまる挨拶が平気で出来るようでなければ、とても駄目だね。いまのわれらに、重厚だの、誠実だの、そんな美徳を要求するのは、首くくりの足を引っぱるようなものだ。重厚? 誠実? ペッ、プッだ。生きて行けやしねえじゃないか。もしもだね、コンチワァを軽く言えなかったら、あとは、道が三つしか無いんだ、一つは帰農だ、一つは自殺、もう一つは女のヒモさ」「その一つも出来やしねえ可哀想な野郎には、せめて最後の唯一の手段」 と別な紳士が、「上原二郎にたかって、痛飲」 ギロチン、ギロチン、シュルシュルシュ、ギロチン、ギロチン、シュルシュルシュ。「泊るところが、ねえんだろ」 と、上原さんは、低い声でひとりごとのようにおっしゃった。「私?」 私は自身に鎌首をもたげた蛇を意識した。敵意。それにちかい感情で、私は自分のからだを固くしたのである。「ざこ寝が出来るか。寒いぜ」 上原さんは、私の怒りに頓着なく呟く。「無理でしょう」 とおかみさんは、口をはさみ、「お可哀そうよ」 ちぇっ、と上原さんは舌打ちして、「そんなら、こんなところへ来なけれあいいんだ」 私は黙っていた。このひとは、たしかに、私のあの手紙を読んだ。そうして、誰よりも私を愛している、と、私はそのひとの言葉の雰囲気から素早く察した。「仕様がねえな。福井さんのとこへでも、たのんでみようかな。チエちゃん、連れて行ってくれないか。いや、女だけだと、途中が危険か。やっかいだな。かあさん、このひとのはきものを、こっそりお勝手のほうに廻して置いてくれ。僕が送りとどけて来るから」 外は深夜の気配だった。風はいくぶんおさまり、空にいっぱい星が光っていた。私たちは、ならんで歩きながら、「私、ざこ寝でも何でも、出来ますのに」 上原さんは、眠そうな声で、「うん」 とだけ言った。「二人っきりに、なりたかったのでしょう。そうでしょう」 私がそう言って笑ったら、上原さんは、「これだから、いやさ」 と口をまげて、にが笑いなさった。私は自分がとても可愛がられている事を、身にしみて意識した。「ずいぶん、お酒を召し上りますのね。毎晩ですの?」「そう、毎日。朝からだ」「おいしいの? お酒が」「まずいよ」 そう言う上原さんの声に、私はなぜだか、ぞっとした。「お仕事は?」「駄目です。何を書いても、ばかばかしくって、そうして、ただもう、悲しくって仕様が無いんだ。いのちの黄昏。芸術の黄昏。人類の黄昏。それも、キザだね」「ユトリロ」 私は、ほとんど無意識にそれを言った。「ああ、ユトリロ。まだ生きていやがるらしいね。アルコールの亡者。死骸だね。最近十年間のあいつの絵は、へんに俗っぽくて、みな駄目」「ユトリロだけじゃないんでしょう? 他のマイスターたちも全部、……」「そう、衰弱。しかし、新しい芽も、芽のままで衰弱しているのです。霜。フロスト。世界中に時ならぬ霜が降りたみたいなのです」 上原さんは私の肩を軽く抱いて、私のからだは上原さんの二重廻しの袖で包まれたような形になったが、私は拒否せず、かえってぴったり寄りそってゆっくり歩いた。
「……さあ……それにつきましても私は迷わされましたもので、要するにこの一文は、標題から内容に到るまで、徹頭徹尾、人を迷わすように仕組まれているものとしか考えられませぬ。……と申します理由は外でも御座いませぬ。この原稿を読み終りました私が、その内容の不思議さに眩惑されました結果、もしやこの標題の中に、この不思議な謎語なぞを解決する鍵が隠されているのではないか。このドグラ・マグラというのは、そうした意味の隠語ではあるまいかと考えましたからで御座います。……ところが、これを書きました本人の青年患者は、この原稿を僅か一週間ばかりの間に、精神病者特有の精力を発揮しまして、不眠不休で書上げてしまいますと、流石さすがに疲れたと見えまして、夜も昼もなくグウグウと眠るようになりましたために、この標題の意味を尋ねる事が、当分の間、出来なくなってしまいました。……といって斯様かような不思議な言葉は、字典や何かには一つも発見出来ませぬし、語源等もむろんハッキリ致しませぬので、私は一時、行き詰まってしまいましたが、そのうちに又、計はからず面白い事に気付きました。元来この九州地方には『ゲレン』とか『ハライソ』とか『バンコ』『ドンタク』『テレンパレン』なぞいうような旧欧羅巴ヨーロッパ系統の訛なまり言葉が、方言として多数に残っているようですから、或あるいは、そんなものの一種ではあるまいかと考え付きましたので、そのような方言を専門に研究している篤志家の手で、色々と取調べてもらいますと、やっとわかりました。……このドグラ・マグラという言葉は、維新前後までは切支丹伴天連キリシタンバテレンの使う幻魔術のことをいった長崎地方の方言だそうで、只今では単に手品とか、トリックとかいう意味にしか使われていない一種の廃語同様の言葉だそうです。語源、系統なんぞは、まだ判明致しませぬが、強しいて訳しますれば今の幻魔術もしくは『堂廻目眩どうめぐりめぐらみ』『戸惑面喰とまどいめんくらい』という字を当てて、おなじように『ドグラ・マグラ』と読ませてもよろしいというお話ですが、いずれにしましてもそのような意味の全部を引っくるめたような言葉には相違御座いません。……つまりこの原稿の内容が、徹頭徹尾、そういったような意味の極度にグロテスクな、端的にエロチックな、徹底的に探偵小説式な、同時にドコドコまでもノンセンスな……一種の脳髄の地獄……もしくは心理的な迷宮遊びといったようなトリックでもって充実させられておりますために、斯様な名前を附けたものであろうと考えられます」「……脳髄の地獄……ドグラ・マグラ……まだよく解かりませぬが……つまりドンナ事なのですか」「……それはこの原稿の中に記述されている事柄をお話し致しましたら、幾分、御想像がつきましょう。……すなわちこのドグラ・マグラ物語の中に記述しるされております問題というものは皆、一つ残らず、常識で否定出来ない、わかり易い、興味の深い事柄でありますと同時に、常識以上の常識、科学以上の科学ともいうべき深遠な真理の現われを基礎とした事実ばかりで御座います。たとえば、……「精神病院はこの世の活いき地獄」という事実を痛切に唄いあらわした阿呆陀羅経あほだらきょうの文句…………「世界の人間は一人残らず精神病者」という事実を立証する精神科学者の談話筆記…………胎児を主人公とする万有進化の大悪夢に関する学術論文…………「脳髄は一種の電話交換局に過ぎない」と喝破した精神病患者の演説記録…………冗談半分に書いたような遺言書…………唐時代の名工が描いた死美人の腐敗画像…………その腐敗美人の生前に生写しともいうべき現代の美少女に恋い慕われた一人の美青年が、無意識のうちに犯した残虐、不倫、見るに堪えない傷害、殺人事件の調査書類…… ……そのようなものが、様々の不可解な出来事と一緒に、本筋と何の関係もないような姿で、百色眼鏡のように回転し現われて来るのですが、読んだ後で気が付いてみますと、それが皆、一言一句、極めて重要な本筋の記述そのものになっておりますので……のみならず、そうした幻魔作用ドグラ・マグラの印象をその一番冒頭になっている真夜中の、タッタ一つの時計の音から初めまして、次から次へと逐おいかけて行きますと、いつの間にか又、一番最初に聞いた真夜中のタッタ一つの時計の音の記憶に立帰って参りますので……それは、ちょうど真に迫った地獄のパノラマ絵を、一方から一方へ見まわして行くように、おんなじ恐ろしさや気味悪さを、同じ順序で思い出しつつ、いつまでもいつまでも繰返して行くばかり……逃れ出す隙間がどこにも見当りませぬ。……というのは、それ等の出来事の一切合財が、とりも直さず、只一点の時計の音を、或る真夜中に聞いた精神病者が、ハッとした一瞬間に見た夢に過ぎない。しかも、その一瞬間に見た夢の内容が、実際は二十何時間の長さに感じられたので、これを学理的に説明すると、最初と、最終の二つの時計の音は、真実のところ、同じ時計の、同じ唯一つの時鐘じしょうの音であり得る……という事が、そのドグラ・マグラの全体によって立証されている精神科学上の真理によって証明され得る……という……それ程左様さようにこのドグラ・マグラの内容は玄妙、不可思議に出来上っておるので御座います。……論より証拠……読んで御覧になれば、すぐにおわかりになる事ですが……」 といううちに若林博士は進み寄って一番上の一冊を取上げかけた。 しかし私は慌てて押し止めた。「イヤ。モウ結構です」 と云ううちに両手を烈しく左右に振った。若林博士の説明を聞いただけで、最早もはや私のアタマが「ドグラ・マグラ」にかかってしまいそうな気がしたので……同時に…………どうせキチガイの書いたものなら結局無意味なものにきまっている。「百科全書の丸暗記」と「カチューシャ可愛や」と「火星征伐」をゴッチャにした程度のシロモノに過ぎないのであろう。……現在の私が直面しているドグラ・マグラだけでも沢山なのに、他人のドグラ・マグラまでも背負い込まされて、この上にヘンテコな気持にでもなっては大変だ。……こんな話は最早もはや、これっきり忘れてしまうに限る……。 ……と思ったので、ポケットに両手を突込みながら頭を強く左右に振った。そうして戸棚の出外ではずれの窓際に歩み寄ると、そこいらに貼り並べて在る写真だの、一覧表みたようなものを見まわしながら、引続いて若林博士の説明を求めて行った。それは……――精神病者の発病前後に於ける表情の比較写真――――同じく発病前後に於ける食物と排泄物の分析比較表―― といったような珍らしい研究に属するものから……――幻覚錯覚に基く絵画――――ヒステリー婦人の痙攣けいれん、発作が現わす怪姿態、写真各種――――各種の精神病に於ける患者の扮装、仮装写真、種類別―― なぞいう、痛々しい種類のもの等々であったが、そんなものが三方の壁から、戸棚の横腹まで、一面に、ゴチャゴチャと貼り交まぜてある光景は、一種特別のグロテスクな展覧会を見るようであった。又その先に並んだ数層の硝子戸棚の中に陳列して在るものは……――並外れて巨大な脳髄と、小さな脳髄と、普通の脳髄との比較(巨大な方は普通の分の二倍、小さい方の三倍ぐらいの容積。いずれもフォルマリン漬)――――色情狂、殺人狂、中風患者、一寸法師等々々の精神異状者の脳髄のフォルマリン漬(いずれも肥大、萎縮、出血、又は黴毒ばいどくに犯された個所の明瞭なもの)――――精神病で滅亡した家の宝物になっていた応挙おうきょ筆の幽霊画像――――磨とぐとその家の主人が発狂するという村正むらまさの短刀――――精神病者が人魚の骨と信じて売り歩いていた鯨骨の数片――――同じく精神病者が一家を毒殺する目的の下に煎せんじていた金銀瞳めの黒猫の頭――――同じく精神病者が自分で斬り棄てた左手の五指と、それに使用した藁切庖丁わらきりほうちょう――――寝台から逆様さかさまに飛降りて自殺した患者の亀裂した頭蓋骨――――女房に擬して愛撫した枕と毛布製の人形――――手品を使うと称して、嚥下のみくだした真鍮煙管しんちゅうきせる――――素手すでで引裂いた錻力板ブリキいた――――女患者が捻じ曲げた檻房の鉄柵―― ……といったようなモノスゴイ品物が、やはり狂人の作った優美な、精巧な編物や、造花や、刺繍ししゅうなぞと一緒に押し合いへし合い並んでいるのであった。 私は、そんな物の中で、どれが自分に関係の在るものだろうとヒヤヒヤしながら、若林博士の説明を聞いて行った。こんな飛んでもないものの中の、どれか一つでも、私に関係の在るものだったらどうしようと、心配しいしい覗のぞきまわって行ったが、幸か不幸か、それらしい感じを受けたものは一つも無いようであった。却かえって、そんなものの中に含まれている、精神病者特有のアカラサマな意志や感情が、一つ一つにヒシヒシと私の神経に迫って来て、一種、形容の出来ない痛々しい、心苦しい気持ちになっただけであった。 私はそうした気持ちを一所懸命に我慢しいしい一種の責任観念みたようなものに囚われながら戸棚の中を覗いて行ったが、そのうちにヤットの思いで一通り見てしまって、以前の大卓子テーブルの片脇に出て来ると、思わずホッと安心の溜息をした。又もニジミ出して来る額の生汗なまあせをハンカチで拭いた。そうして急に靴の踵かかとで半回転をして西の方に背中を向けた。 ……同時に部屋の中の品物が全部、右から左へグルリと半回転して、右手の入口に近く架けられた油絵の額面が、中央の大卓子テーブル越しに、私の真正面まで辷すべって来てピッタリと停止した。さながらにその額面と向い合うべく、私が運命附けられていたかのように……。 私は前こごみになっていた身体からだをグッと引き伸ばした。そうして改めて、長い長い深呼吸をしいしい、その古ぼけた油絵具の、黄色と、茶色と、薄ぼやけた緑色の配合に見惚みとれた。
翌日、手の腫れは、昨日よりも、また一そうひどくなっていた。お食事は、何も召し上らなかった。お蜜柑みかんのジュースも、口が荒れて、しみて、飲めないとおっしゃった。「お母さま、また、直治のあのマスクを、なさったら?」 と笑いながら言うつもりであったが、言っているうちに、つらくなって、わっと声を挙げて泣いてしまった。「毎日いそがしくて、疲れるでしょう。看護婦さんを、やとって頂戴ちょうだい」 と静かにおっしゃったが、ご自分のおからだよりも、かず子の身を心配していらっしゃる事がよくわかって、なおの事かなしく、立って、走って、お風呂場の三畳に行って、思いのたけ泣いた。 お昼すこし過ぎ、直治が三宅さまの老先生と、それから看護婦さん二人を、お連れして来た。 いつも冗談ばかりおっしゃる老先生も、その時は、お怒りになっていらっしゃるような素振りで、どしどし病室へはいって来られて、すぐにご診察を、おはじめになった。そうして、誰に言うともなく、「お弱りになりましたね」 と一こと低くおっしゃって、カンフルを注射して下さった。「先生のお宿は?」 とお母さまは、うわ言のようにおっしゃる。「また長岡です。予約してありますから、ご心配無用。このご病人は、ひとの事など心配なさらず、もっとわがままに、召し上りたいものは何でも、たくさん召し上るようにしなければいけませんね。栄養をとったら、よくなります。明日また、まいります。看護婦をひとり置いて行きますから、使ってみて下さい」 と老先生は、病床のお母さまに向って大きな声で言い、それから直治に眼くばせして立ち上った。 直治ひとり、先生とお供の看護婦さんを送って行って、やがて帰って来た直治の顔を見ると、それは泣きたいのを怺こらえている顔だった。 私たちは、そっと病室から出て、食堂へ行った。「だめなの? そうでしょう?」「つまらねえ」 と直治は口をゆがめて笑って、「衰弱が、ばかに急激にやって来たらしいんだ。今こん、明日みょうにちも、わからねえと言っていやがった」 と言っているうちに直治の眼から涙があふれて出た。「ほうぼうへ、電報を打たなくてもいいかしら」 私はかえって、しんと落ちついて言った。「それは、叔父さんにも相談したが、叔父さんは、いまはそんな人集めの出来る時代では無いと言っていた。来ていただいても、こんな狭い家では、かえって失礼だし、この近くには、ろくな宿もないし、長岡の温泉にだって、二部屋も三部屋も予約は出来ない、つまり、僕たちはもう貧乏で、そんなお偉えらがたを呼び寄せる力が無えってわけなんだ。叔父さんは、すぐあとで来る筈だが、でも、あいつは、昔からケチで、頼みにも何もなりゃしねえ。ゆうべだってもう、ママの病気はそっちのけで、僕にさんざんのお説教だ。ケチなやつからお説教されて、眼がさめたなんて者は、古今東西にわたって一人もあった例ためしが無えんだ。姉と弟でも、ママとあいつとではまるで、雲泥うんでいのちがいなんだからなあ、いやになるよ」「でも、私はとにかく、あなたは、これから叔父さまにたよらなければ、……」「まっぴらだ。いっそ乞食こじきになったほうがいい。姉さんこそ、これから、叔父さんによろしくおすがり申し上げるさ」「私には、……」 涙が出た。「私には、行くところがあるの」「縁談? きまってるの?」「いいえ」「自活か? はたらく婦人。よせ、よせ」「自活でもないの。私ね、革命家になるの」「へえ?」 直治は、へんな顔をして私を見た。 その時、三宅先生の連れていらした附添いの看護婦さんが、私を呼びに来た。「奥さまが、何かご用のようでございます」 いそいで病室に行って、お蒲団ふとんの傍に坐り、「何?」 と顔を寄せてたずねた。 けれども、お母さまは、何か言いたげにして、黙っていらっしゃる。「お水?」 とたずねた。 幽かすかに首を振る。お水でも無いらしかった。 しばらくして、小さいお声で、「夢を見たの」 とおっしゃった。「そう? どんな夢?」「蛇へびの夢」 私は、ぎょっとした。「お縁側の沓脱石くつぬぎいしの上に、赤い縞しまのある女の蛇が、いるでしょう。見てごらん」 私はからだの寒くなるような気持で、つと立ってお縁側に出て、ガラス戸越しに、見ると、沓脱石の上に蛇が、秋の陽ひを浴びて長くのびていた。私は、くらくらと目まいした。 私はお前を知っている。お前はあの時から見ると、すこし大きくなって老ふけているけど、でも、私のために卵を焼かれたあの女蛇なのね。お前の復讐ふくしゅうは、もう私よく思い知ったから、あちらへお行き。さっさと、向うへ行ってお呉くれ。 と心の中で念じて、その蛇を見つめていたが、いっかな蛇は、動こうとしなかった。私はなぜだか、看護婦さんに、その蛇を見られたくなかった。トンと強く足踏みして、「いませんわ、お母さま。夢なんて、あてになりませんわよ」 とわざと必要以上の大声で言って、ちらと沓脱石のほうを見ると、蛇は、やっと、からだを動かし、だらだらと石から垂れ落ちて行った。 もうだめだ。だめなのだと、その蛇を見て、あきらめが、はじめて私の心の底に湧わいて出た。お父上のお亡くなりになる時にも、枕もとに黒い小さい蛇がいたというし、またあの時に、お庭の木という木に蛇がからみついていたのを、私は見た。 お母さまはお床の上に起き直るお元気もなくなったようで、いつもうつらうつらしていらして、もうおからだをすっかり附添いの看護婦さんにまかせて、そうして、お食事は、もうほとんど喉のどをとおらない様子であった。蛇を見てから、私は、悲しみの底を突き抜けた心の平安、とでも言ったらいいのかしら、そのような幸福感にも似た心のゆとりが出て来て、もうこの上は、出来るだけ、ただお母さまのお傍にいようと思った。 そうしてその翌あくる日から、お母さまの枕元にぴったり寄り添って坐って編物などをした。私は、編物でもお針でも、人よりずっと早いけれども、しかし、下手だった。それで、いつもお母さまは、その下手なところを、いちいち手を取って教えて下さったものである。その日も私は、別に編みたい気持も無かったのだが、お母さまの傍にべったりくっついていても不自然でないように、恰好かっこうをつけるために、毛糸の箱を持ち出して余念無げに編物をはじめたのだ。 お母さまは私の手もとをじっと見つめて、「あなたの靴下くつしたをあむんでしょう? それなら、もう、八つふやさなければ、はくとき窮屈よ」 とおっしゃった。 私は子供の頃、いくら教えて頂いても、どうもうまく編めなかったが、その時のようにまごつき、そうして、恥ずかしく、なつかしく、ああもう、こうしてお母さまに教えていただく事も、これでおしまいと思うと、つい涙で編目が見えなくなった。 お母さまは、こうして寝ていらっしゃると、ちっともお苦しそうでなかった。お食事は、もう、けさから全然とおらず、ガーゼにお茶をひたして時々お口をしめしてあげるだけなのだが、しかし意識は、はっきりしていて、時々私におだやかに話しかける。「新聞に陛下のお写真が出ていたようだけど、もういちど見せて」 私は新聞のその箇所をお母さまのお顔の上にかざしてあげた。「お老けになった」「いいえ、これは写真がわるいのよ。こないだのお写真なんか、とてもお若くて、はしゃいでいらしたわ。かえってこんな時代を、お喜びになっていらっしゃるんでしょう」「なぜ?」「だって、陛下もこんど解放されたんですもの」 お母さまは、淋しそうにお笑いになった。それから、しばらくして、「泣きたくても、もう、涙が出なくなったのよ」 とおっしゃった。 私は、お母さまはいま幸福なのではないかしら、とふと思った。幸福感というものは、悲哀の川の底に沈んで、幽かに光っている砂金のようなものではなかろうか。悲しみの限りを通り過ぎて、不思議な薄明りの気持、あれが幸福感というものならば、陛下も、お母さまも、それから私も、たしかにいま、幸福なのである。静かな、秋の午前。日ざしの柔らかな、秋の庭。私は、編物をやめて、胸の高さに光っている海を眺め、「お母さま。私いままで、ずいぶん世間知らずだったのね」 と言い、それから、もっと言いたい事があったけれども、お座敷の隅すみで静脈注射の支度などしている看護婦さんに聞かれるのが恥ずかしくて、言うのをやめた。「いままでって、……」 とお母さまは、薄くお笑いになって聞きとがめて、「それでは、いまは世間を知っているの?」 私は、なぜだか顔が真赤になった。「世間は、わからない」 とお母さまはお顔を向うむきにして、ひとりごとのように小さい声でおっしゃる。「私には、わからない。わかっているひとなんか、無いんじゃないの? いつまで経たっても、みんな子供です。なんにも、わかってやしないのです」 けれども、私は生きて行かなければならないのだ。子供かも知れないけれども、しかし、甘えてばかりもおられなくなった。私はこれから世間と争って行かなければならないのだ。ああ、お母さまのように、人と争わず、憎まずうらまず、美しく悲しく生涯しょうがいを終る事の出来る人は、もうお母さまが最後で、これからの世の中には存在し得ないのではなかろうか。死んで行くひとは美しい。生きるという事。生き残るという事。それは、たいへん醜くて、血の匂いのする、きたならしい事のような気もする。私は、みごもって、穴を掘る蛇の姿を畳の上に思い描いてみた。けれども、私には、あきらめ切れないものがあるのだ。あさましくてもよい、私は生き残って、思う事をしとげるために世間と争って行こう。お母さまのいよいよ亡くなるという事がきまると、私のロマンチシズムや感傷が次第に消えて、何か自分が油断のならぬ悪がしこい生きものに変って行くような気分になった。 その日のお昼すぎ、私がお母さまの傍で、お口をうるおしてあげていると、門の前に自動車がとまった。和田の叔父さまが、叔母さまと一緒に東京から自動車で馳はせつけて来て下さったのだ。叔父さまが、病室にはいっていらして、お母さまの枕元まくらもとに黙ってお坐りになったら、お母さまは、ハンケチでご自分のお顔の下半分をかくし、叔父さまのお顔を見つめたまま、お泣きになった。けれども、泣き顔になっただけで、涙は出なかった。お人形のような感じだった。「直治は、どこ?」 と、しばらくしてお母さまは、私のほうを見ておっしゃった。 私は二階へ行って、洋間のソファに寝そべって新刊の雑誌を読んでいる直治に、「お母さまが、お呼びですよ」 というと、「わあ、また愁歎場しゅうたんばか。汝等なんじらは、よく我慢してあそこに頑張っておれるね。神経が太いんだね。薄情なんだね。我等は、何とも苦しくて、実げに心こころは熱ねつすれども肉体にくたいよわく、とてもママの傍にいる気力は無い」 などと言いながら上衣うわぎを着て、私と一緒に二階から降りて来た。 二人ならんでお母さまの枕もとに坐ると、お母さまは、急にお蒲団の下から手をお出しになって、そうして、黙って直治のほうを指差し、それから私を指差し、それから叔父さまのほうへお顔をお向けになって、両方の掌をひたとお合せになった。 叔父さまは、大きくうなずいて、「ああ、わかりましたよ。わかりましたよ」 とおっしゃった。 お母さまは、ご安心なさったように、眼を軽くつぶって、手をお蒲団の中へそっとおいれになった。 私も泣き、直治もうつむいて嗚咽おえつした。 そこへ、三宅さまの老先生が、長岡からいらして、取り敢あえず注射した。お母さまも、叔父さまに逢えて、もう、心残りが無いとお思いになったか、「先生、早く、楽にして下さいな」 とおっしゃった。 老先生と叔父さまは、顔を見合せて、黙って、そうしてお二人の眼に涙がきらと光った。 私は立って食堂へ行き、叔父さまのお好きなキツネうどんをこしらえて、先生と直治と叔母さまと四人分、支那間へ持って行き、それから叔父さまのお土産の丸ノ内ホテルのサンドウィッチを、お母さまにお見せして、お母さまの枕元に置くと、「忙しいでしょう」 とお母さまは、小声でおっしゃった。 支那間で皆さんがしばらく雑談をして、叔父さま叔母さまは、どうしても今夜、東京へ帰らなければならぬ用事があるとかで、私に見舞いのお金包を手渡し、三宅さまも看護婦さんと一緒にお帰りになる事になり、附添いの看護婦さんに、いろいろ手当の仕方を言いつけ、とにかくまだ意識はしっかりしているし、心臓のほうもそんなにまいっていないから、注射だけでも、もう四、五日は大丈夫だろうという事で、その日いったん皆さんが自動車で東京へ引き上げたのである。 皆さんをお送りして、お座敷へ行くと、お母さまが、私にだけ笑う親しげな笑いかたをなさって、「忙しかったでしょう」 と、また、囁ささやくような小さいお声でおっしゃった。そのお顔は、活いき活いきとして、むしろ輝いているように見えた。叔父さまにお逢い出来てうれしかったのだろう、と私は思った。「いいえ」 私もすこし浮き浮きした気分になって、にっこり笑った。 そうして、これが、お母さまとの最後のお話であった。 それから、三時間ばかりして、お母さまは亡くなったのだ。秋のしずかな黄昏たそがれ、看護婦さんに脈をとられて、直治と私と、たった二人の肉親に見守られて、日本で最後の貴婦人だった美しいお母さまが。 お死顔は、殆ほとんど、変らなかった。お父上の時は、さっと、お顔の色が変ったけれども、お母さまのお顔の色は、ちっとも変らずに、呼吸だけが絶えた。その呼吸の絶えたのも、いつと、はっきりわからぬ位であった。お顔のむくみも、前日あたりからとれていて、頬ほおが蝋ろうのようにすべすべして、薄い唇くちびるが幽かにゆがんで微笑ほほえみを含んでいるようにも見えて、生きているお母さまより、なまめかしかった。私は、ピエタのマリヤに似ていると思った。
部屋の中央から南北に区切った西側は、普通の板張で、標本らしいものが一パイに並んだ硝子戸棚の行列が立塞がっているが、反対に東側の半分の床は、薄いホコリを冠った一面のリノリウム張りになっていて、その中央に幅四五尺、長さ二間ぐらいに見える大卓子が、中程を二つの肘掛廻転椅子に挟まれながら横たわっている。その大卓子の表面に張詰めてある緑色の羅紗は、やはり薄いホコリを被ったまま、南側の窓からさし込む光線を眩しく反射して、この部屋の厳粛味を一層、高潮させているかのようである。又、その緑色の反射の中央にカンバス張りの厚紙に挟まれた数冊の書類の綴込みらしいものと、青い、四角いメリンスの風呂敷包みが、勿体らしくキチンと置き並べてあるが、その上から卓子の表面と同様の灰色のホコリが一面に蔽い被さっているのを見ると、何でも余程以前から誰も手を触れないまま置き放しにしてあるものらしい。しかもその前には瀬戸物の赤い達磨の灰落しが一個、やはり灰色のホコリを被ったまま置き放しにしてあるが、それが、その書類に背中を向けながら、毛だらけの腕を頭の上に組んで、大きな口を開きながら、永遠の欠伸を続けているのが、何だか故意と、そうした位置に置いてあるかのようで、妙に私の気にかかるのであった。 その赤い達磨の真正面に衝き立っている東側の壁面は一面に、塗上げてから間もないらしい爽かな卵色で、中央に人間一人が楽に跼まれる位の大暖炉が取付けられて、黒塗の四角い蓋がしてある。その真上には差渡し二尺以上もあろうかと思われる丸型の大時計が懸かっているが、セコンドの音も何も聞えないままに今の時間……七時四十二分を示しているところを見ると、多分、電気仕掛か何かになっているのであろう。その向って右には大きな油絵の金縁額面、又、左側には黒い枠に囲まれた大きな引伸し写真の肖像と、カレンダーが懸かっている。その又肖像写真の左側には今一つ、隣りの部屋に通ずるらしい扉が見えるが、それ等のすべてが、清々しい朝の光りの中に、或は眩しく、又はクッキリと照し出されて、大学教授の居室らしい、厳粛な静寂を作っている光景を眺めまわしているうちに、私は自から襟を正したい気持ちになって来た。 事実……私はこの時に、ある崇高なインスピレーションに打たれた感じがした。最前から持っていたような一種の投やりな気持ちや、彼女の運命に対する好奇心なぞいうものは、どこへか消え失せてしまって……何事も天命のまま……というような神聖な気分に充たされつつ詰襟のカラを両手で直した。それから、やはり神秘的な運命の手によって導かれる行者のような気持ちでソロソロと前に進み出て、参考品を陳列した戸棚の行列の中へ歩み入った。 私はまず一番明るい南側の窓に近く並んでいる戸棚に近付いて行ったが、その窓に面した硝子戸の中には、色々な奇妙な書類や、掛軸のようなものが、一々簡単な説明を書いた紙を貼付けられて並んでいた。若林博士の説明によると、そんなものは皆「私の頭も、これ位に治癒りましたから、どうぞ退院させて下さい」という意味で、入院患者から主任教授宛に提出されたものばかり……という話であった。――歯齦はぐきの血で描いたお雛様ひなさまの掛軸――(女子大学卒業生作)――火星征伐の建白書――(小学教員提出)――唐詩選五言絶句「竹里館ちくりかん」隷書れいしょ――(無学文盲の農夫が発病後、曾祖父に当る漢法医の潜在意識を隔世的に再現、揮毫きごうせしもの)――大英百科全書の数十頁ページを暗記筆記した西洋半紙数十枚――(高文試験に失格せし大学生提出)――「カチューシャ可愛や別れの辛つらさ」という同一文句の繰返しばかりで埋めた学生用ノート・ブックの数十冊――(大芸術家を以て任ずる失職活動俳優の自称「創作」)――紙で作った懐中日時計――(老理髪師製作)――竹片たけきれで赤煉瓦に彫刻した聖母像――(天主教を信ずる小学校長製作)――鼻糞で固めた観音像、硝子ガラス箱入り――(曹洞宗布教師作) 私は、あんまりミジメな、痛々しいものばかりが次から次に出て来るので、その一列の全部を見てしまわないうちに、思わず顔を反向けて通り抜けようとしたが、その時にフト、その戸棚の一番おしまいの、硝子戸の壊れている片隅に、ほかの陳列品から少し離れて、妙なものが置いてあるのを発見した。それは最初には硝子が破れているお蔭でヤット眼に止まった程度の、眼に立たない品物であったが、しかし、よく見れば見る程、奇妙な陳列物であった。 それは五寸ぐらいの高さに積み重ねてある原稿紙の綴込で、かなり大勢の人が読んだものらしく、上の方の数枚は破れ穢れてボロボロになりかけている。硝子の破れ目から怪我をしないように、手を突込んで、注意して調べてみると、全部で五冊に別れていて、その第一頁ごとに赤インキの一頁大の亜剌比亜アラビア数字で、Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴと番号が打ってある。その一番上の一冊の半分千切れた第一頁をめくってみると何かしら和歌みたようなものがノート式の赤インキ片仮名マジリで横書にしてある。 巻頭歌胎児よ胎児よ何故躍る 母親の 心がわかっておそろしいのか その次のページに黒インキのゴジック体で『ドグラ・マグラ』と標題が書いてあるが、作者の名前は無い。 一番最初の第一行が……ブウウ――ンンン……ンンンン……という片仮名の行列から初まっているようであるが、最終の一行が、やはり……ブウウ――ンンン……ンンンン……という同じ片仮名の行列で終っているところを見ると、全部一続きの小説みたような物ではないかと思われる。何となく人を馬鹿にしたような、キチガイジミた感じのする大部の原稿である。「……これは何ですか先生……このドグラ・マグラというのは……」 若林博士は今までになく気軽そうに、私の背後からうなずいた。「ハイ。それは、やはり精神病者の心理状態の不可思議さを表現した珍奇な、面白い製作の一つです。当科の主任の正木先生が亡くなられますと間もなく、やはりこの附属病室に収容されております一人の若い大学生の患者が、一気呵成に書上げて、私の手許に提出したものですが……」「若い大学生が……」「そうです」「……ハア……やはり退院さしてくれといったような意味で、自分の頭の確かな事を証明するために書いたものですか」「イヤ。そこのところが、まだハッキリ致しませぬので、実は判断に苦しんでいるのですが、要するにこの内容と申しますのは、正木先生と、かく申す私とをモデルにして、書いた一種の超常識的な科学物語とでも申しましょうか」「……超常識的な科学物語……先生と正木博士をモデルにした……」「さようで……」「論文じゃないのですか……」「……さようで……その辺が、やはり何とも申上げかねますので……一体に精神病者の文章は理屈ばったものが多いものだそうですが、この製作だけは一種特別で御座います。つまり全部が一貫した学術論文のようにも見えまするし、今までに類例の無い形式と内容の探偵小説といったような読後感も致します。そうかと思うと単に、正木先生と私どもの頭脳を嘲笑し、飜弄するために書いた無意味な漫文とも考えられるという、実に奇怪極まる文章で、しかも、その中に盛込まれている事実的な内容が亦非常に変っておりまして科学趣味、猟奇趣味、色情表現、探偵趣味、ノンセンス味、神秘趣味なぞというものが、全篇の隅々まで百パーセントに重なり合っているという極めて眩惑的な構想で、落付いて読んでみますと流石に、精神異常者でなければトテモ書けないと思われるような気味の悪い妖気が全篇に横溢しております。……もちろん火星征伐の建白なぞとは全然、性質を異にした、精神科学上研究価値の高いものと認められましたところから、とりあえずここに保管してもらっているのですが、恐らくこの部屋の中でも……否。世界中の精神病学界でも、一番珍奇な参考品ではないかと考えているのですが……」 若林博士は私にこの原稿を読ませたいらしく、次第に能弁に説明し初めた。その熱心振りが異様だったので私は思わず眼をパチパチさせた。「ヘエ。そんなに若いキチガイが、そんなに複雑な、むずかしい筋道を、どうして考え出したのでしょう」「……それは斯様な訳です。その若い学生は尋常一年生から高等学校を卒業して、当大学に入学するまで、ズッと首席で一貫して来た秀才なのですが、非常な探偵小説好きで、将来の探偵小説は心理学と、精神分析と、精神科学方面に在りと信じました結果、精神に異状を呈しましたものらしく、自分自身で或る幻覚錯覚に囚われた一つの驚くべき惨劇を演出しました。そうしてこの精神病科病室に収容されると間もなく、自分自身をモデルにした一つの戦慄的な物語を書いてみたくなったものらしいのです。……しかもその小説の構想は前に申しました通り極めて複雑、精密なものでありますにも拘わらず、大体の本筋というのは驚ろくべき簡単なものなのです。つまりその青年が、正木先生と私とのために、この病室に幽閉められて、想像も及ばない恐ろしい精神科学の実験を受けている苦しみを詳細に描写したものに過ぎないのですが」「……ヘエ。先生にはソンナ記憶が、お在りになるのですか」 若林博士の眼の下に、最前の通りの皮肉な、淋しい微笑の皺が寄った。それが窓から来る逆光線を受けて、白く、ピクピクと輝いた。「そんな事は絶対に御座いませぬ」「それじゃ全部が出鱈目なのですね」「ところが書いてある事実を見ますと、トテモ出鱈目とは思えない記述ばかりが出て来るのです」「ヘエ。妙ですね。そんな事があり得るでしょうか」「さあ……実はその点でも判断に迷っているのですが……読んで御覧になれば、おわかりになりますが……」「イヤ。読まなくてもいいですが、内容は面白いですか」「さあ……その点もチョット説明に苦しみますが、少くとも専門家にとっては面白いという形容では追付かない位、深刻な興味を感ずる内容らしいですねえ。専門家でなくとも精神病とか、脳髄とかいうものについて、多少共に科学的な興味や、神秘的な趣味を持っている人々にとっては非常な魅力の対象になるらしいのです。現に当大学の専門家諸氏の中でも、これを読んだものは最小限、二三回は読み直させられているようです。そうして、やっと全体の機構がわかると同時に、自分の脳髄が発狂しそうになっている事に気が付いたと云っております。甚しいのになるとこの原稿を読んでから、精神病の研究がイヤになって、私の受持っております法医学部へ転じて来た者が一人、それからモウ一人はやはりこの原稿を読んでから自分の脳髄の作用に信用が措けなくなったから自殺すると云って鉄道往生をした者が一人居る位です」「ヘエ。何だかモノスゴイ話ですね。正気の人間がキチガイに顔負けしたんですね。よっぽどキチガイじみた事が書いてあるんですね」「……ところが、その内容の描写が極めて冷静で、理路整然としている事は普通の論文や小説以上なのです。しかも、その見た事や聞いた事に対する、精神異状者特有の記憶力の素晴しさには、私も今更ながら感心させられておりますので、只今御覧になりました『大英百科全書の暗記筆記』なぞの遠く及ぶところでは御座いませぬ。……それから今一つ、今も申します通り、その構想の不可思議さが又、普通人の所謂、推理とか想像とかを超越しておりまして、読んでいるうちにこちらの頭が、いつの間にか一種異様、幻覚錯覚、倒錯観念に捲き込まれそうになるのです。その意味で、斯様な標題を附けたものであろうと考えられるのですが……」「……じゃ……このドグラ・マグラという標題は本人が附けたのですね」「さようで……まことに奇妙な標題ですが……」「……どういう意味なんですか……このドグラ・マグラという言葉のホントウの意味は……日本語なのですか、それとも……」
「寒くない?」「ええ、少し。霧でお耳が濡れて、お耳の裏が冷たい」 と言って笑いながら、「お母さまは、どうなさるのかしら」 とたずねた。 すると、青年は、とても悲しく慈愛深く微笑ほほえんで、「あのお方は、お墓の下です」 と答えた。「あ」 と私は小さく叫んだ。そうだったのだ。お母さまは、もういらっしゃらなかったのだ。お母さまのお葬とむらいも、とっくに済ましていたのじゃないか。ああ、お母さまは、もうお亡くなりになったのだと意識したら、言い知れぬ凄さびしさに身震いして、眼がさめた。 ヴェランダは、すでに黄昏たそがれだった。雨が降っていた。みどり色のさびしさは、夢のまま、あたり一面にただよっていた。「お母さま」 と私は呼んだ。 静かなお声で、「何してるの?」 というご返事があった。 私はうれしさに飛び上って、お座敷へ行き、「いまね、私、眠っていたのよ」「そう。何をしているのかしら、と思っていたの。永いおひる寝ね」 と面白そうにお笑いになった。 私はお母さまのこうして優雅に息づいて生きていらっしゃる事が、あまりうれしくて、ありがたくて、涙ぐんでしまった。「御夕飯のお献立は? ご希望がございます?」 私は、少しはしゃいだ口調でそう言った。「いいの。なんにも要らない。きょうは、九度五分にあがったの」 にわかに私は、ぺしゃんこにしょげた。そうして、途方にくれて薄暗い部屋の中をぼんやり見廻し、ふと、死にたくなった。「どうしたんでしょう。九度五分なんて」「なんでもないの。ただ、熱の出る前が、いやなのよ。頭がちょっと痛くなって、寒気さむけがして、それから熱が出るの」 外は、もう、暗くなっていて、雨はやんだようだが、風が吹き出していた。灯をつけて、食堂へ行こうとすると、お母さまが、「まぶしいから、つけないで」 とおっしゃった。「暗いところで、じっと寝ていらっしゃるの、おいやでしょう」 と立ったまま、おたずねすると、「眼をつぶって寝ているのだから、同じことよ。ちっとも、さびしくない。かえって、まぶしいのが、いやなの。これから、ずっと、お座敷の灯はつけないでね」 とおっしゃった。 私には、それもまた不吉な感じで、黙ってお座敷の灯を消して、隣りの間へ行き、隣りの間のスタンドに灯をつけ、たまらなく侘わびしくなって、いそいで食堂へ行き、罐詰の鮭さけを冷たいごはんにのせて食べたら、ぽろぽろと涙が出た。 風は夜になっていよいよ強く吹き、九時頃から雨もまじり、本当の嵐あらしになった。二、三日前に巻き上げた縁先の簾すだれが、ばたんばたんと音をたてて、私はお座敷の隣りの間で、ローザルクセンブルグの「経済学入門」を奇妙な興奮を覚えながら読んでいた。これは私が、こないだお二階の直治の部屋から持って来たものだが、その時、これと一緒に、レニン選集、それからカウツキイの「社会革命」なども無断で拝借して来て、隣りの間の私の机の上にのせて置いたら、お母さまが、朝お顔を洗いにいらした帰りに、私の机の傍そばを通り、ふとその三冊の本に目をとどめ、いちいちお手にとって、眺ながめて、それから小さい溜息ためいきをついて、そっとまた机の上に置き、淋しいお顔で私のほうをちらと見た。けれども、その眼つきは、深い悲しみに満ちていながら、決して拒否や嫌悪けんおのそれではなかった。お母さまのお読みになる本は、ユーゴー、デゥマ父子、ミュッセ、ドオデエなどであるが、私はそのような甘美な物語の本にだって、革命のにおいがあるのを知っている。お母さまのように、天性の教養、という言葉もへんだが、そんなものをお持ちのお方は、案外なんでもなく、当然の事として革命を迎える事が出来るのかも知れない。私だって、こうして、ローザルクセンブルグの本など読んで、自分がキザったらしく思われる事もないではないが、けれどもまた、やはり私は私なりに深い興味を覚えるのだ。ここに書かれてあるのは、経済学という事になっているのだが、経済学として読むと、まことにつまらない。実に単純でわかり切った事ばかりだ。いや、或あるいは、私には経済学というものがまったく理解できないのかも知れない。とにかく、私には、すこしも面白くない。人間というものは、ケチなもので、そうして、永遠にケチなものだという前提が無いと全く成り立たない学問で、ケチでない人にとっては、分配の問題でも何でも、まるで興味の無い事だ。それでも私はこの本を読み、べつなところで、奇妙な興奮を覚えるのだ。それは、この本の著者が、何の躊躇ちゅうちょも無く、片端から旧来の思想を破壊して行くがむしゃらな勇気である。どのように道徳に反しても、恋するひとのところへ涼しくさっさと走り寄る人妻の姿さえ思い浮ぶ。破壊思想。破壊は、哀れで悲しくて、そうして美しいものだ。破壊して、建て直して、完成しようという夢。そうして、いったん破壊すれば、永遠に完成の日が来ないかも知れぬのに、それでも、したう恋ゆえに、破壊しなければならぬのだ。革命を起さなければならぬのだ。ローザはマルキシズムに、悲しくひたむきの恋をしている。 あれは、十二年前の冬だった。「あなたは、更級さらしな日記の少女なのね。もう、何を言っても仕方が無い」 そう言って、私から離れて行ったお友達。あのお友達に、あの時、私はレニンの本を読まないで返したのだ。「読んだ?」「ごめんね。読まなかったの」 ニコライ堂の見える橋の上だった。「なぜ? どうして?」 そのお友達は、私よりさらに一寸くらい背せいが高くて、語学がとてもよく出来て、赤いベレー帽がよく似合って、お顔もジョコンダみたいだという評判の、美しいひとだった。「表紙の色が、いやだったの」「へんなひと。そうじゃないんでしょう? 本当は、私をこわくなったのでしょう?」「こわかないわ。私、表紙の色が、たまらなかったの」「そう」 と淋しそうに言い、それから、私を更級日記だと言い、そうして、何を言っても仕方がない、ときめてしまった。 私たちは、しばらく黙って、冬の川を見下みおろしていた。「ご無事で。もし、これが永遠の別れなら、永遠に、ご無事で。バイロン」 と言い、それから、そのバイロンの詩句を原文で口早に誦しょうして、私のからだを軽く抱いた。 私は恥ずかしく、「ごめんなさいね」 と小声でわびて、お茶の水駅のほうに歩いて、振り向いてみると、そのお友達は、やはり橋の上に立ったまま、動かないで、じっと私を見つめていた。 それっきり、そのお友達と逢わない。同じ外人教師の家へかよっていたのだけれども、学校がちがっていたのである。 あれから十二年たったけれども、私はやっぱり更級日記から一歩も進んでいなかった。いったいまあ、私はそのあいだ、何をしていたのだろう。革命を、あこがれた事も無かったし、恋さえ、知らなかった。いままで世間のおとなたちは、この革命と恋の二つを、最も愚かしく、いまわしいものとして私たちに教え、戦争の前も、戦争中も、私たちはそのとおりに思い込んでいたのだが、敗戦後、私たちは世間のおとなを信頼しなくなって、何でもあのひとたちの言う事の反対のほうに本当の生きる道があるような気がして来て、革命も恋も、実はこの世で最もよくて、おいしい事で、あまりいい事だから、おとなのひとたちは意地わるく私たちに青い葡萄ぶどうだと嘘うそついて教えていたのに違いないと思うようになったのだ。私は確信したい。人間は恋と革命のために生れて来たのだ。 すっと襖ふすまがあいて、お母さまが笑いながら顔をお出しになって、「まだ起きていらっしゃる。眠くないの?」 とおっしゃった。 机の上の時計を見たら、十二時だった。「ええ、ちっとも眠くないの。社会主義のご本を読んでいたら、興奮しちゃいましたわ」「そう。お酒ないの? そんな時には、お酒を飲んでやすむと、よく眠れるんですけどね」 とからかうような口調でおっしゃったが、その態度には、どこやらデカダンと紙一重のなまめかしさがあった。 やがて十月になったが、からりとした秋晴れの空にはならず、梅雨時つゆどきのような、じめじめして蒸し暑い日が続いた。そうして、お母さまのお熱は、やはり毎日夕方になると、三十八度と九度のあいだを上下した。 そうして或る朝、おそろしいものを私は見た。お母さまのお手が、むくんでいるのだ。朝ごはんが一ばんおいしいと言っていらしたお母さまも、このごろは、お床に坐って、ほんの少し、おかゆを軽く一碗わん、おかずも匂においの強いものは駄目だめで、その日は、松茸まつたけのお清汁すましをさし上げたのに、やっぱり、松茸の香さえおいやになっていらっしゃる様子で、お椀わんをお口元まで持って行って、それきりまたそっとお膳ぜんの上におかえしになって、その時、私は、お母さまの手を見て、びっくりした。右の手がふくらんで、まあるくなっていたのだ。「お母さま! 手、なんともないの?」 お顔さえ少し蒼あおく、むくんでいるように見えた。「なんでもないの。これくらい、なんでもないの」「いつから、腫はれたの?」 お母さまは、まぶしそうなお顔をなさって、黙っていらした。私は、声を挙げて泣きたくなった。こんな手は、お母さまの手じゃない。よそのおばさんの手だ。私のお母さまのお手は、もっとほそくて小さいお手だ。私のよく知っている手。優しい手。可愛い手。あの手は、永遠に、消えてしまったのだろうか。左の手は、まだそんなに腫れていなかったけれども、とにかく傷いたましく、見ている事が出来なくて、私は眼をそらし、床の間の花籠はなかごをにらんでいた。 涙が出そうで、たまらなくなって、つと立って食堂へ行ったら、直治がひとりで、半熟卵をたべていた。たまに伊豆のこの家にいる事があっても、夜はきまってお咲さんのところへ行って焼酎しょうちゅうを飲み、朝は不機嫌な顔で、ごはんは食べずに半熟の卵を四つか五つ食べるだけで、それからまた二階へ行って、寝たり起きたりなのである。「お母さまの手が腫れて」 と直治に話しかけ、うつむいた。言葉をつづける事が出来ず、私は、うつむいたまま、肩で泣いた。 直治は黙っていた。 私は顔を挙げて、「もう、だめなの。あなた、気が附つかなかった? あんなに腫れたら、もう、駄目なの」 と、テーブルの端を掴つかんで言った。 直治も、暗い顔になって、「近いぞ、そりゃ。ちぇっ、つまらねえ事になりやがった」「私、もう一度、なおしたいの。どうかして、なおしたいの」 と右手で左手をしぼりながら言ったら、突然、直治が、めそめそと泣き出して、「なんにも、いい事が無ねえじゃねえか。僕たちには、なんにもいい事が無えじゃねえか」 と言いながら、滅茶苦茶めちゃくちゃにこぶしで眼をこすった。 その日、直治は、和田の叔父さまにお母さまの容態を報告し、今後の事の指図さしずを受けに上京し、私はお母さまのお傍そばにいない間、朝から晩まで、ほとんど泣いていた。朝霧の中を牛乳をとりに行く時も、鏡に向って髪を撫なでつけながらも、口紅を塗りながらも、いつも私は泣いていた。お母さまと過した仕合せの日の、あの事この事が、絵のように浮んで来て、いくらでも泣けて仕様が無かった。夕方、暗くなってから、支那間のヴェランダへ出て、永いことすすり泣いた。秋の空に星が光っていて、足許あしもとに、よその猫ねこがうずくまって、動かなかった。
九州帝国大学、医学部、精神病科本館というのは、最前の浴場を含んだ青ペンキ塗ぬり、二階建の木造洋館であった。 その中央まんなかを貫く長い廊下を、今しがた来た花畑添いの外廊下づたいに、一直線に引返して、向う側に行抜けると、監獄の入口かと思われる物々しい、鉄張りの扉に行き当った……と思ううちにその扉は、どこからかこっちを覗いているらしい番人の手でゴロゴロと一方に引き開いて、二人は暗い、ガランとした玄関に出た。 その玄関の扉はピッタリと閉め切ってあったが多分まだ朝が早いせいであったろう。その扉の上の明窓あかりまどから洩れ込んで来る、仄青ほのあおい光線をたよりに、両側に二つ並んでいる急な階段の向って左側を、ゴトンゴトンと登り詰めて右に折れると、今度はステキに明るい南向きの廊下になって、右側に「実験室」とか「図書室」とかいう木札をかけた、いくつもの室が並んでいる。その廊下の突当りに「出入厳禁……医学部長」と筆太に書いた白紙を貼り附けた茶褐色の扉が見えた。 先に立った若林博士は、内ポケットから大きな木札の付いた鍵を出してその扉を開いた。背後うしろを振り返って私を招き入れると、謹しみ返った態度で外套がいとうを脱いで、扉のすぐ横の壁に取付けてある帽子掛にかけた。だから私もそれに倣ならって、霜降しもふりのオーバーと角帽をかけ並べた。私たちの靴の痕跡あとが、そのまま床に残ったところを見ると、部屋中が薄いホコリに蔽おおわれているらしい。 それはステキに広い、明るい部屋であった。北と、西と、南の三方に、四ツ宛ずつ並んだ十二の窓の中で、北と西の八ツの窓は一面に、濃緑色の松の枝で蔽おおわれているが、南側に並んだ四ツの窓は、何も遮さえぎるものが無いので、青い青い朝の空の光りが、程近い浪の音と一所に、洪水のように眩まぶしく流れ込んでいる。その中に並んで突立っている若林博士の、非常に細長いモーニング姿と、チョコナンとした私の制服姿とは、そのままに一種の奇妙な対照をあらわして、何となく現実世界から離れた、遠い処に来ているような感じがした。 その時に若林博士は、その細長い右手をあげて、部屋の中をグルリと指さしまわした。同時に、高い処から出る弱々しい声が、部屋の隅々に、ゆるやかな余韻を作った。「この部屋は元来、この精神病科教室の図書室と、標本室とを兼ねたものでしたが、その図書や標本と申しますのは、いずれもこの精神病科の前々主任教授をつとめていられました斎藤寿八さいとうじゅはち先生が、苦心をして集められました精神病科の研究資料、もしくは参考材料となるべき文書類や、又はこの病院に居りました患者の製作品、若もしくは身の上に関係した物品書類なぞで、中には世界の学界に誇るに足るものが尠すくなくありませぬ。ところがその斎藤先生が他界されました後のち、本年の二月に、正木先生が主任教授となって着任されますと、この部屋の方が明るくて良いというので、こちらの東側の半分を埋めていた図書文献の類を全部、今までの教授室に移して、その跡を御覧の通り、御自分の居間に改造してあのような美事な煖炉ストーブまで取付けられたものです。しかも、それが総長の許可も受けず、正規の届とどけも出さないまま、自分勝手にされたものであることが判明しましたので、本部の塚江事務官が大きに狼狽しまして、大急ぎで届書とどけしょを出して正規の手続きをしてもらうように、言葉を卑ひくうして頼みに来たものだそうですが、その時に正木先生は、用向きの返事は一つもしないまま、済ましてこんな事を云われたそうです。「なあに……そんなに心配するがものはないよ。ちょっと標本の位置を並べ換えたダケの事なんだからね。総長にそう云っといてくれ給え……というのはコンナ理由わけなんだ。聞き給え。……何を隠そう、かく云う吾輩わがはい自身の事なんだが、おかげでこうして大学校の先生に納まりは納まったものの、正直のところ、考えまわしてみると吾輩は、一種の研究狂、兼誇大妄想狂に相違ないんだからね。そこいらの精神病学者の研究材料になる資格は充分に在るという事実を、自分自身でチャント診断しているんだ。……しかしそうかといって今更、自分自身で名乗を上げて自分の受持の病室に入院する訳にも行かないからね。とりあえずこんな参考材料と一所いっしょに、自分自身の脳髄を、生きた標本として陳列してみたくなったダケの事なんだ。……むろん内科や外科なぞいう処ではコンナ必要がないかも知れないが、精神病科に限っては、その主任教授の脳髄も研究材料の一つとして取扱わなければならぬ……徹底的の研究を遂げておかねばならぬ……というのが吾輩一流の学術研究態度なんだから仕方がない。この標本室を作った斎藤先生も、むろん地下で双手を挙げて賛成して御座ると思うんだがね……」 と云って大笑されましたので、流石さすが老練の塚江事務官も煙けむに捲まかれたまま引退ひきさがったものだそうです」 こうした若林博士の説明は、極めて平調にスラスラと述べられたのであったが、しかしそれでも私の度胆どぎもを抜くのには充分であった。今までは形容詞ばかりで聞いていた正木博士の頭脳のホントウの素破すばらしさが、こうした何でもない諧謔かいぎゃくの中からマザマザと輝やき現われるのを感じた一刹那せつなに、私は思わずゾッとさせられたのであった。世間一般が大切だいじがる常識とか、規則とかいうものを遥かに超越しているばかりでなく、冗談半分とはいいながら、自分自身をキチガイの標本ぐらいにしか考えていない気持を通じて、大学全体、否、世界中の学者たちを馬鹿にし切っている、そのアタマの透明さ……その皮肉の辛辣しんらつ、偉大さが、私にわかり過ぎるほどハッキリとわかったので、私は唯呆然として開あいた口が塞ふさがらなくなるばかりであった。 しかし若林博士は、例によって、そうした私の驚きとは無関係に言葉を続けて行った。「……ところで、貴方あなたをこの部屋にお伴いたしました目的と申しますのは他事ほかでも御座いませぬ。只今も階下したの七号室で、ちょっとお話いたしました通り、何よりもまず第一に、かように一パイに並んでおります標本や、参考品の中で、どの品が最も深く、貴方の御注意を惹くかという事を、試験させて頂きたいのです。これは人間の潜在意識……すなわち普通の方法では思い出す事の出来ない、深い処に在る記憶を探り出す一つの方法で御座いますが、しかもその潜在意識というものは、いつも、本人に気付かれないままに常住不断の活躍をして、その人間を根強く支配している事実が、既に数限りなく証明されているのですから、貴方の潜在意識の中に封じ込められている、貴方の過去の御記憶も同様に、きっとこの部屋の中のどこかに陳列して在る、あなたの過去の記念物の処へ、貴方を導き近づけて、それに関する御記憶を、鮮やかに喚び起すに違いないと考えられるので御座います。……正木先生は曾かつて、バルカン半島を御旅行中に、その地方特有のイスメラと称する女祈祷師からこの方法を伝授されまして、度々の実験に成功されたそうですが……もちろん万が一にも、あなたが最前の令嬢と、何等の関係も無い、赤の他人でおいでになると致しますれば、この実験は、絶対に成功しない筈で御座います。何故かと申しますと、貴方の過去の御記憶を喚び起すべき記念物は、この部屋の中に一つも無い訳ですから……ですから何でも構いませぬ、この部屋の中で、お眼に止まるものに就て順々に御質問なすって御覧なさい。あなた御自身が、精神病に関する御研究をなさるようなお心持ちで……そうすればそのうちに、やがて何かしら一つの品物について、電光のように思い当られるところが出来て参りましょう。それが貴方の過去の御記憶を喚び起す最初のヒントになりますので、それから先は恐らく一瀉千里いっしゃせんりに、貴方の過去の御記憶の全部を思い出される事に相成りましょう」 若林博士のこうした言葉は、やはり極めて無造作に、スラスラと流れ出たのであった。 恰あたかも大人が小児こどもに云って聞かせるような、手軽い、親切な気持ちをこめて……しかし、それを聞いているうちに私は、今朝からまだ一度も経験しなかった新らしい戦慄が、心の底から湧き起って来るのを、押え付ける事が出来なくなった。 私が先刻さっきから感じていた……何もかも出鱈目でたらめではないか……といったような、あらゆる疑いの気持は、若林博士の説明を聞いているうちに、ドン底から引っくり返されてしまったのであった。 若林博士は流石さすがに権威ある法医学者であった。私を真実に彼女の恋人と認めているにしても、決して無理押し付けに、そう思わせようとしているのではなかった。最も公明正大な、且つ、最も遠まわしな科学的の方法によって、一分一厘の隙間すきまもなく私の心理を取り囲んで、私自身の手で直接に、私自身を彼女の恋人として指ささせようとしている。その確信の底深さ……その計劃の冷静さ……周到さ……。 ……それならば先刻さっきから見たり聞いたりした色々な出来事は、やっぱり真実ほんとうに、私の身の上に関係した事だったのか知らん。そうしてあの少女は、やはり私の正当な従妹いとこで、同時に許嫁いいなずけだったのか知らん……。 ……もしそうとすれば私は、否いやでも応おうでも彼女のために、私自身の過去の記念物を、この部屋の中から探し出してやらねばならぬ責任が在ることになる。そうして私は、それによって過去の記憶を喚び起して、彼女の狂乱を救うべく運命づけられつつ、今、ここに突立っている事になる。 ……ああ。「自分の過去」を「狂人きちがい病院の標本室」の中から探し出さねばならぬとは……絶対に初対面としか思えない絶世の美少女が、自分の許嫁でなければならなかった証拠を「精神病研究用の参考品」の中から発見しなければならぬとは……何という奇妙な私の立場であろう。何という恥かしい……恐ろしい……そうして不可解な運命であろう。 こんな風に考えが変って来た私は、われ知らず額ひたいにニジミ出る汗を、ポケットの新しいハンカチで拭いながら、今一度部屋の内部なかを恐る恐る見廻しはじめた。思いもかけない過去の私が、ツイ鼻の先に隠れていはしまいかという、世にも気味の悪い想像を、心の奥深くおののかせ、縮みこませつつ、今一度オズオズと部屋の中を見まわしたのであった。
五 私は、ことしの夏、或る男のひとに、三つの手紙を差し上げたが、ご返事は無かった。どう考えても、私には、それより他に生き方が無いと思われて、三つの手紙に、私のその胸のうちを書きしたため、岬の尖端から怒濤めがけて飛び下りる気持で、投函したのに、いくら待っても、ご返事が無かった。弟の直治に、それとなくそのひとの御様子を聞いても、そのひとは何の変るところもなく、毎晩お酒を飲み歩き、いよいよ不道徳の作品ばかり書いて、世間のおとなたちに、ひんしゅくせられ、憎まれているらしく、直治に出版業をはじめよ、などとすすめて、直治は大乗気で、あのひとの他にも二、三、小説家のかたに顧問になってもらい、資本を出してくれるひともあるとかどうとか、直治の話を聞いていると、私の恋しているひとの身のまわりの雰囲気に、私の匂いがみじんも滲み込んでいないらしく、私は恥ずかしいという思いよりも、この世の中というものが、私の考えている世の中とは、まるでちがった別な奇妙な生き物みたいな気がして来て、自分ひとりだけ置き去りにされ、呼んでも叫んでも、何の手応えの無いたそがれの秋の曠野に立たされているような、これまで味わった事のない悽愴の思いに襲われた。これが、失恋というものであろうか。曠野にこうして、ただ立ちつくしているうちに、日がとっぷり暮れて、夜露にこごえて死ぬより他は無いのだろうかと思えば、涙の出ない慟哭で、両肩と胸が烈しく浪打ち、息も出来ない気持になるのだ。 もうこの上は、何としても私が上京して、上原さんにお目にかかろう、私の帆は既に挙げられて、港の外に出てしまったのだもの、立ちつくしているわけにゆかない、行くところまで行かなければならない、とひそかに上京の心支度をはじめたとたんに、お母さまの御様子が、おかしくなったのである。 一夜、ひどいお咳が出て、お熱を計ってみたら、三十九度あった。「きょう、寒かったからでしょう。あすになれば、なおります」 とお母さまは、咳き込みながら小声でおっしゃったが、私には、どうも、ただのお咳ではないように思われて、あすはとにかく下の村のお医者に来てもらおうと心にきめた。翌る朝、お熱は三十七度にさがり、お咳もあまり出なくなっていたが、それでも私は、村の先生のところへ行って、お母さまが、この頃にわかにお弱りになったこと、ゆうべからまた熱が出て、お咳も、ただの風邪のお咳と違うような気がすること等を申し上げて、御診察をお願いした。 先生は、ではのちほど伺いましょう、これは到来物でございますが、とおっしゃって応接間の隅の戸棚から梨を三つ取り出して私に下さった。そうして、お昼すこし過ぎ、白絣に夏羽織をお召しになって診察にいらした。れいの如く、ていねいに永い事、聴診や打診をなさって、それから私のほうに真正面に向き直り、「御心配はございません。おくすりを、お飲みになれば、なおります」 とおっしゃる。 私は妙に可笑しく、笑いをこらえて、「お注射は、いかがでしょうか」 とおたずねすると、まじめに、「その必要は、ございませんでしょう。おかぜでございますから、しずかにしていらっしゃると、間もなくおかぜが抜けますでしょう」 とおっしゃった。 けれども、お母さまのお熱は、それから一週間経っても下らなかった。咳はおさまったけれども、お熱のほうは、朝は七度七分くらいで、夕方になると九度になった。お医者は、あの翌日から、おなかをこわしたとかで休んでいらして、私がおくすりを頂きに行って、お母さまのご容態の思わしくない事を看護婦さんに告げて、先生に伝えていただいても、普通のお風邪で心配はありません、という御返事で、水薬と散薬をくださる。 直治は相変らずの東京出張で、もう十日あまり帰らない。私ひとりで、心細さのあまり和田の叔父さまへ、お母さまの御様子の変った事を葉書にしたためて知らせてやった。 発熱してかれこれ十日目に、村の先生が、やっと腹工合いがよろしくなりましたと言って、診察しにいらした。 先生は、お母さまのお胸を注意深そうな表情で打診なさりながら、「わかりました、わかりました」 とお叫びになり、それから、また私のほうに真正面に向き直られて、「お熱の原因が、わかりましてございます。左肺に浸潤を起しています。でも、ご心配は要りません。お熱は、当分つづくでしょうけれども、おしずかにしていらっしゃったら、ご心配はございません」 とおっしゃっる。 そうかしら? と思いながらも、溺れる者の藁にすがる気持もあって、村の先生のその診断に、私は少しほっとしたところもあった。 お医者がお帰りになってから、「よかったわね、お母さま。ほんの少しの浸潤なんて、たいていのひとにあるものよ。お気持を丈夫にお持ちになっていさえしたら、わけなくなおってしまいますわ。ことしの夏の季候不順がいけなかったのよ。夏はきらい。かず子は、夏の花も、きらい」 お母さまはお眼をつぶりながらお笑いになり、「夏の花の好きなひとは、夏に死ぬっていうから、私もことしの夏あたり死ぬのかと思っていたら、直治が帰って来たので、秋まで生きてしまった」 あんな直治でも、やはりお母さまの生きるたのみの柱になっているのか、と思ったら、つらかった。「それでも、もう夏がすぎてしまったのですから、お母さまの危険期も峠を越したってわけなのね。お母さま、お庭の萩が咲いていますわ。それから、女郎花、われもこう、桔梗、かるかや、芒。お庭がすっかり秋のお庭になりましたわ。十月になったら、きっとお熱も下るでしょう」 私は、それを祈っていた。早くこの九月の、蒸暑い、謂わば残暑の季節が過ぎるといい。そうして、菊が咲いて、うららかな小春日和がつづくようになると、きっとお母さまのお熱も下ってお丈夫になり、私もあのひとと逢えるようになって、私の計画も大輪の菊の花のように見事に咲き誇る事が出来るかも知れないのだ。ああ、早く十月になって、そうしてお母さまのお熱が下るとよい。 和田の叔父さまにお葉書を差し上げてから、一週間ばかりして、和田の叔父さまのお取計いで、以前侍医などしていらした三宅さまの老先生が看護婦さんを連れて東京から御診察にいらして下さった。 老先生は私どもの亡くなったお父上とも御交際のあった方なので、お母さまは、たいへんお喜びの御様子だった。それに、老先生は昔からお行儀が悪く、言葉遣いもぞんざいで、それがまたお母さまのお気に召しているらしく、その日は御診察など、そっちのけで何かとお二人で打ち解けた世間話に興じていらっしゃった。私がお勝手で、プリンをこしらえて、それをお座敷に持って行ったら、もうその間に御診察もおすみの様子で、老先生は聴診器をだらしなく頸飾りみたいに肩にひっかけたまま、お座敷の廊下の籐椅子に腰をかけ、「僕などもね、屋台にはいって、うどんの立食いでさ。うまいも、まずいもありゃしません」 と、のんきそうに世間話をつづけていらっしゃる。お母さまも、何気ない表情で天井を見ながら、そのお話を聞いていらっしゃる。なんでも無かったんだ、と私は、ほっとした。「いかがでございました? この村の先生は、胸の左のほうに浸潤があるとかおっしゃっていましたけど?」 と私も急に元気が出て、三宅さまにおたずねしたら、老先生は、事もなげに、「なに、大丈夫だ」 と軽くおっしゃる。「まあ、よかったわね、お母さま」 と私は心から微笑して、お母さまに呼びかけ、「大丈夫なんですって」 その時、三宅さまは籐椅子から、つと立ち上って支那間のほうへいらっしゃった。何か私に用事がありげに見えたので、私はそっとその後を追った。 老先生は支那間の壁掛の蔭に行って立ちどまって、「バリバリ音が聞えているぞ」 とおっしゃった。「浸潤では、ございませんの?」「違う」「気管支カタルでは?」 私は、もはや涙ぐんでおたずねした。「違う」結核テーベ! 私はそれだと思いたくなかった。肺炎や浸潤や気管支カタルだったら、必ず私の力でなおしてあげる。けれども、結核だったら、ああ、もうだめかも知れない。私は足もとが、崩れて行くような思いをした。「音、とても悪いの? バリバリ聞えてるの?」 心細さに、私はすすり泣きになった。「右も左も全部だ」「だって、お母さまは、まだお元気なのよ。ごはんだって、おいしいおいしいとおっしゃって、……」「仕方がない」「うそだわ。ね、そんな事ないんでしょう? バタやお卵や、牛乳をたくさん召し上ったら、なおるんでしょう? おからだに抵抗力さえついたら、熱だって下るんでしょう?」「うん、なんでも、たくさん食べる事だ」「ね? そうでしょう? トマトも毎日、五つくらいは召し上っているのよ」「うん、トマトはいい」「じゃあ、大丈夫ね? なおるわね?」「しかし、こんどの病気は命取りになるかも知れない。そのつもりでいたほうがいい」 人の力で、どうしても出来ない事が、この世の中にたくさんあるのだという絶望の壁の存在を、生れてはじめて知ったような気がした。「二年? 三年?」 私は震えながら小声でたずねた。「わからない。とにかくもう、手のつけようが無い」 そうして、三宅さまは、その日は伊豆の長岡温泉に宿を予約していらっしゃるとかで、看護婦さんと一緒にお帰りになった。門の外までお見送りして、それから、夢中で引返してお座敷のお母さまの枕もとに坐り、何事も無かったように笑いかけると、お母さまは、「先生は、なんとおっしゃっていたの?」 とおたずねになった。「熱さえ下ればいいんですって」「胸のほうは?」「たいした事もないらしいわ。ほら、いつかのご病気の時みたいなのよ、きっと。いまに涼しくなったら、どんどんお丈夫になりますわ」 私は自分の嘘を信じようと思った。命取りなどというおそろしい言葉は、忘れようと思った。私には、このお母さまが、亡くなるという事は、それは私の肉体も共に消失してしまうような感じで、とても事実として考えられないことだった。これからは何も忘れて、このお母さまに、たくさんたくさんご馳走をこしらえて差し上げよう。おさかな。スウプ。罐詰。レバ。肉汁。トマト。卵。牛乳。おすまし。お豆腐があればいいのに。お豆腐のお味噌汁。白い御飯。お餅。おいしそうなものは何でも、私の持物を皆売って、そうしてお母さまにご馳走してあげよう。 私は立って、支那間へ行った。そうして、支那間の寝椅子をお座敷の縁側ちかくに移して、お母さまのお顔が見えるように腰かけた。やすんでいらっしゃるお母さまのお顔は、ちっとも病人らしくなかった。眼は美しく澄んでいるし、お顔色も生き生きしていらっしゃる。毎朝、規則正しく起床なさって洗面所へいらして、それからお風呂場の三畳でご自分で髪を結って、身じまいをきちんとなさって、それからお床に帰って、お床にお坐りのままお食事をすまし、それからお床に寝たり起きたり、午前中はずっと新聞やご本を読んでいらして、熱の出るのは午後だけである。「ああ、お母さまは、お元気なのだ。きっと、大丈夫なのだ」 と私は、心の中で三宅さまのご診断を強く打ち消した。 十月になって、そうして菊の花の咲く頃になれば、など考えているうちに私は、うとうとと、うたた寝をはじめた。現実には、私はいちども見た事の無い風景なのに、それでも夢では時々その風景を見て、ああ、またここへ来たと思うなじみの森の中の湖のほとりに私は出た。私は、和服の青年と足音も無く一緒に歩いていた。風景全体が、みどり色の霧のかかっているような感じであった。そうして、湖の底に白いきゃしゃな橋が沈んでいた。「ああ、橋が沈んでいる。きょうは、どこへも行けない。ここのホテルでやすみましょう。たしか、空いた部屋があった筈だ」 湖のほとりに、石のホテルがあった。そのホテルの石は、みどり色の霧でしっとり濡れていた。石の門の上に、金文字でほそく、HOTEL SWITZERLAND と彫り込まれていた。SWI と読んでいるうちに、不意に、お母さまの事を思い出した。お母さまは、どうなさるのだろう。お母さまも、このホテルへいらっしゃるのかしら? と不審になった。そうして、青年と一緒に石の門をくぐり、前庭へはいった。霧の庭に、アジサイに似た赤い大きい花が燃えるように咲いていた。子供の頃、お蒲団の模様に、真赤なアジサイの花が散らされてあるのを見て、へんに悲しかったが、やっぱり赤いアジサイの花って本当にあるものなんだと思った。
けれども、この時に若林博士は何と思ったか、急に唖おしにでもなったかのように、ピッタリと口を噤つぐんでしまった。そうして冷たい、青白い眼付きで、チラリと私を一瞥しただけで、そのまま静かに眼を伏せると、左手で胴衣チョッキのポケットをかい探って、大きな銀色の懐中時計を取り出して、掌てのひらの上に載せた。それからその左の手頸に、右手の指先をソッと当てて、七時三十分を示している文字板を覗き込みながら、自身の脈搏を計り初めたのであった。 身体からだの悪い若林博士は、毎朝この時分になると、こうして脈を取ってみるのが習慣になっているのかも知れなかった。しかし、それにしても、そうしている若林博士の態度には、今の今まで、あれ程に緊張していた気持が、あとかたも残っていなかった。その代りに、路傍でスレ違う赤の他人と同様の冷淡さが、あらわれていた。小さな眼を幽霊のように伏せて、白い唇を横一文字に閉じて、左手の脈搏の上の中指を、強く押えたり、弛ゆるめたりしている姿を見ると、恰あたかもタッタ今、隣りの部屋で見せ付けられた、不可思議な出来事に対する私の昂奮を、そうした態度で押え付けようとしているかのように見えた。……事もあろうに過去と現在と未来と……夢と現実とをゴッチャにした、変妙奇怪な世界で、二重三重の恋に悶もだえている少女……想像の出来ないほど不義不倫な……この上もなく清浄純真な……同時に処女とも人妻ともつかず、正気ともキチガイとも区別されない……実在不可能とも形容すべき絶世の美少女を「お前の従妹で、同時に許嫁だ」と云って紹介するばかりでなく、その証拠を現在、眼の前に見せ付けておきながら、そうした途方もない事実に対する私の質問を、故意に避けようとしているかのように見えたのであった。 だから私は、どうしていいかわからない不満さを感じながら、仕方なしに帽子をイジクリつつ、うつむいてしまったのであった。 ……しかも……私が、何だかこの博士から小馬鹿まわしにされているような気持を感じたのは、実に、そのうつむいた瞬間であった。 何故という事は解らないけれども若林博士は、私の頭がどうかなっているのに付け込んで、人がビックリするような作り話を持かけて、根も葉もない事を信じさせようと試みているのじゃないか知らん。そうして何かしら学問上の実験に使おうとしているのではあるまいか……というような疑いが、チラリと頭の中に湧き起ると、見る見るその疑いが真実でなければならないように感じられて、頭の中一パイに拡がって来たのであった。 何も知らない私を捉つかまえて、思いもかけぬ大学生に扮装させたり、美しい少女を許嫁だなぞと云って紹介ひきあわせたり、いろいろ苦心しているところを見るとドウモ可怪おかしいようである。この服や帽子は、私が夢うつつになっているうちに、私の身体からだに合せて仕立てたものではないかしらん。又、あの少女というのも、この病院に収容されている色情狂か何かで、誰を見ても、あんな変テコな素振りをするのじゃないかしらん。この病院も、九州帝国大学ではないのかもしれぬ。ことによると、眼の前に突立っている若林博士も、何かしらエタイのわからない掴ませもので、何かの理由で脳味噌を蒸発させるかどうかしている私を、どこからか引っぱって来て、或る一つの勿体もったいらしい錯覚に陥おとしいれて、何かの役に立てようとしているのではないかしらん。そうでもなければ、私自身の許嫁だという、あんな美しい娘に出会いながら、私が何一つ昔の事を思い出さない筈はない。なつかしいとか、嬉しいとか……何とかいう気持を、感じない筈はない。 ……そうだ、私はたしかに一パイ喰わされかけていたのだ。 ……こう気が付いて来るに連れて、今まで私の頭の中一パイにコダワっていた疑問だの、迷いだの、驚ろきだのいうものが、みるみるうちにスースーと頭の中から蒸発して行った。そうして私の頭の中は、いつの間にか又、もとの木阿弥もくあみのガンガラガンに立ち帰って行ったのであった。何等の責任も、心配もない……。 けれども、それに連れて、私自身が全くの一人ポッチになって、何となくタヨリないような、モノ淋しいような気分に襲われかけて来たので、私は今一度、細い溜息をしいしい顔を上げた。すると若林博士も、ちょうど脈搏の診察を終ったところらしく、左掌ひだりての上の懐中時計を、やおら旧もとのポケットの中に落し込みながら、今朝、一番最初に会った時の通りの叮嚀な態度に帰った。「いかがです。お疲れになりませんか」 私は又も少々面喰らわせられた、あんまり何でもなさそうな若林博士の態度を通じて、いよいよ馬鹿にされている気持を感じながらも、つとめて何でもなさそうにうなずいた。「いいえ。ちっとも……」「……あ……それでは、あなたの過去の御経歴を思い出して頂く試験を、もっと続けてもよろしいですね」 私は今一度、何でもなくうなずいた。どうでもなれ……という気持で……。それを見ると若林博士も調子を合わせてうなずいた。「それでは只今から、この九大精神病科本館の教授室……先程申しました正木敬之まさきけいし先生が、御臨終の当日まで居おられました部屋に御案内いたしましょう。そこに陳列してあります、あなたの過去の記念物を御覧になっておいでになるうちには、必ずや貴方の御一身に関する奇怪な謎が順々に解けて行きまして、最後には立派に、あなたの過去の御記憶の全部を御回復になることと信じます。そうして貴方と、あの令嬢に絡からまる怪奇を極めた事件の真相をも、一時に氷解させて下さる事と思いますから……」 若林博士のこうした言葉には、鉄よりも固い確信と共に、何等かの意味深い暗示が含まれているかのように響いた。 しかし私は、そんな事には無頓着なまま、頭を今一つ下げた。……どこへでも連れて行くがいい。どうせ、なるようにしかならないのだから……というような投げやりな気持で……。同時に今度はドンナ不思議なものを持出して来るか……といったような、多少の好奇心にも駈られながら……。 すると若林博士も満足げにうなずいた。「……では……こちらへどうぞ……」
私がいま、あなたに求めているものは、ロパーヒンではございません。それは、はっきり言えるんです。ただ、中年の女の押しかけを、引受けて下さい。 私がはじめて、あなたとお逢いしたのは、もう六年くらい昔の事でした。あの時には、私はあなたという人に就いて何も知りませんでした。ただ、弟の師匠さん、それもいくぶん悪い師匠さん、そう思っていただけでした。そうして、一緒にコップでお酒を飲んで、それから、あなたは、ちょっと軽いイタズラをなさったでしょう。けれども、私は平気でした。ただ、へんに身軽になったくらいの気分でいました。あなたを、すきでもきらいでも、なんでもなかったのです。そのうちに、弟のお機嫌をとるために、あなたの著書を弟から借りて読み、面白かったり面白くなかったり、あまり熱心な読者ではなかったのですが、六年間、いつの頃からか、あなたの事が霧のように私の胸に滲しみ込んでいたのです。あの夜、地下室の階段で、私たちのした事も、急にいきいきとあざやかに思い出されて来て、なんだかあれは、私の運命を決定するほどの重大なことだったような気がして、あなたがしたわしくて、これが、恋かも知れぬと思ったら、とても心細くたよりなく、ひとりでめそめそ泣きました。あなたは、他の男のひとと、まるで全然ちがっています。私は、「かもめ」のニーナのように、作家に恋しているのではありません。私は、小説家などにあこがれてはいないのです。文学少女、などとお思いになったら、こちらも、まごつきます。私は、あなたの赤ちゃんがほしいのです。 もっとずっと前に、あなたがまだおひとりの時、そうして私もまだ山木へ行かない時に、お逢いして、二人が結婚していたら、私もいまみたいに苦しまずにすんだのかも知れませんが、私はもうあなたとの結婚は出来ないものとあきらめています。あなたの奥さまを押しのけるなど、それはあさましい暴力みたいで、私はいやなんです。私は、おメカケ、(この言葉、言いたくなくて、たまらないのですけど、でも、愛人、と言ってみたところで、俗に言えば、おメカケに違いないのですから、はっきり、言うわ)それだって、かまわないんです。でも、世間普通のお妾めかけの生活って、むずかしいものらしいのね。人の話では、お妾は普通、用が無くなると、捨てられるものですって。六十ちかくなると、どんな男のかたでも、みんな、本妻の所へお戻りになるんですって。ですから、お妾にだけはなるものじゃないって、西片町のじいやと乳母うばが話合っているのを、聞いた事があるんです。でも、それは、世間普通のお妾のことで、私たちの場合は、ちがうような気がします。あなたにとって、一番、大事なのは、やはり、あなたのお仕事だと思います。そうして、あなたが、私をおすきだったら、二人が仲よくする事が、お仕事のためにもいいでしょう。すると、あなたの奥さまも、私たちの事を納得して下さいます。へんな、こじつけの理窟りくつみたいだけど、でも、私の考えは、どこも間違っていないと思うわ。 問題は、あなたの御返事だけです。私を、すきなのか、きらいなのか、それとも、なんともないのか、その御返事、とてもおそろしいのだけれども、でも、伺わなければなりません。こないだの手紙にも、私、押しかけ愛人、と書き、また、この手紙にも、中年の女の押しかけ、などと書きましたが、いまよく考えてみましたら、あなたからの御返事が無ければ、私、押しかけようにも、何も、手がかりが無く、ひとりでぼんやり痩やせて行くだけでしょう。やはりあなたの何かお言葉が無ければ、ダメだったんです。 いまふっと思った事でございますが、あなたは、小説ではずいぶん恋の冒険みたいな事をお書きになり、世間からもひどい悪漢のように噂をされていながら、本当は、常識家なんでしょう。私には、常識という事が、わからないんです。すきな事が出来さえすれば、それはいい生活だと思います。私は、あなたの赤ちゃんを生みたいのです。他のひとの赤ちゃんは、どんな事があっても、生みたくないんです。それで、私は、あなたに相談をしているのです。おわかりになりましたら、御返事を下さい。あなたのお気持を、はっきり、お知らせ下さい。 雨があがって、風が吹き出しました。いま午後三時です。これから、一級酒(六合)の配給を貰もらいに行きます。ラム酒の瓶びんを二本、袋にいれて、胸のポケットに、この手紙をいれて、もう十分ばかりしたら、下の村に出かけます。このお酒は、弟に飲ませません。かず子が飲みます。毎晩、コップで一ぱいずついただきます。お酒は、本当は、コップで飲むものですわね。 こちらに、いらっしゃいません?M・C様 きょうも雨降りになりました。目に見えないような霧雨が降っているのです。毎日々々、外出もしないで御返事をお待ちしているのに、とうとうきょうまでおたよりがございませんでした。いったいあなたは、何をお考えになっているのでしょう。こないだの手紙で、あの大師匠さんの事など書いたのが、いけなかったのかしら。こんな縁談なんかを書いて、競争心をかき立てようとしていやがる、とでもお思いになったのでしょうか。でも、あの縁談は、もうあれっきりだったのです。さっきも、お母さまと、その話をして笑いました。お母さまは、こないだ舌の先が痛いとおっしゃって、直治にすすめられて、美学療法をして、その療法に依って、舌の痛みもとれて、この頃はちょっとお元気なのです。 さっき私がお縁側に立って、渦を巻きつつ吹かれて行く霧雨を眺めながら、あなたのお気持の事を考えていましたら、「ミルクを沸したから、いらっしゃい」 とお母さまが食堂のほうからお呼びになりました。「寒いから、うんと熱くしてみたの」 私たちは、食堂で湯気の立っている熱いミルクをいただきながら、先日の師匠さんの事を話合いました。「あの方と、私とは、どだい何も似合いませんでしょう?」 お母さまは平気で、「似合わない」 とおっしゃいました。「私、こんなにわがままだし、それに芸術家というものをきらいじゃないし、おまけに、あの方にはたくさんの収入があるらしいし、あんな方と結婚したら、そりゃいいと思うわ。だけど、ダメなの」 お母さまは、お笑いになって、「かず子は、いけない子ね。そんなに、ダメでいながら、こないだあの方と、ゆっくり何かとたのしそうにお話をしていたでしょう。あなたの気持が、わからない」「あら、だって、面白かったんですもの。もっと、いろいろ話をしてみたかったわ。私、たしなみが無いのね」「いいえ、べったりしているのよ。かず子べったり」 お母さまは、きょうは、とてもお元気。 そうして、きのうはじめてアップにした私の髪をごらんになって、「アップはね、髪の毛の少いひとがするといいのよ。あなたのアップは立派すぎて、金の小さい冠でも載せてみたいくらい。失敗ね」「かず子がっかり。だって、お母さまはいつだったか、かず子は頸すじが白くて綺麗だから、なるべく頸すじを隠さないように、っておっしゃったじゃないの」「そんな事だけは、覚えているのね」「少しでもほめられた事は、一生わすれません。覚えていたほうが、たのしいもの」「こないだ、あの方からも、何かとほめられたのでしょう」「そうよ。それで、べったりになっちゃったの。私と一緒にいると霊感が、ああ、たまらない。私、芸術家はきらいじゃないんですけど、あんな、人格者みたいに、もったいぶってるひとは、とても、ダメなの」「直治の師匠さんは、どんなひとなの?」 私は、ひやりとしました。「よくわからないけど、どうせ直治の師匠さんですもの、札つきの不良らしいわ」「札つき?」 と、お母さまは、楽しそうな眼つきをなさって呟き、「面白い言葉ね。札つきなら、かえって安全でいいじゃないの。鈴を首にさげている子猫みたいで可愛らしいくらい。札のついていない不良が、こわいんです」「そうかしら」 うれしくて、うれしくて、すうっとからだが煙になって空に吸われて行くような気持でした。おわかりになります? なぜ、私が、うれしかったか。おわかりにならなかったら、……殴るわよ。 いちど、本当に、こちらへ遊びにいらっしゃいません? 私から直治に、あなたをお連れして来るように、って言いつけるのも、何だか不自然で、へんですから、あなたご自身の酔興から、ふっとここへ立寄ったという形にして、直治の案内でおいでになってもいいけれども、でも、なるべくならおひとりで、そうして直治が東京に出張した留守においでになって下さい。直治がいると、あなたを直治にとられてしまって、きっとあなたたちは、お咲さんのところへ焼酎なんかを飲みに出かけて行って、それっきりになるにきまっていますから。私の家では、先祖代々、芸術家を好きだったようです。光琳という画家も、むかし私どもの京都のお家に永く滞在して、襖に綺麗な絵をかいて下さったのです。だから、お母さまも、あなたの御来訪を、きっと喜んで下さると思います。あなたは、たぶん、二階の洋間におやすみという事になるでしょう。お忘れなく電燈を消して置いて下さい。私は小さい蝋燭を片手に持って、暗い階段をのぼって行って、それは、だめ? 早すぎるわね。 私、不良が好きなの。それも、札つきの不良が、すきなの。そうして私も、札つきの不良になりたいの。そうするよりほかに、私の生きかたが、無いような気がするの。あなたは、日本で一ばんの、札つきの不良でしょう。そうして、このごろはまた、たくさんのひとが、あなたを、きたならしい、けがらわしい、と言って、ひどく憎んで攻撃しているとか、弟から聞いて、いよいよあなたを好きになりました。あなたの事ですから、きっといろいろのアミをお持ちでしょうけれども、いまにだんだん私ひとりをすきにおなりでしょう。なぜだか、私には、そう思われて仕方が無いんです。そうして、あなたは私と一緒に暮して、毎日、たのしくお仕事が出来るでしょう。小さい時から私は、よく人から、「あなたと一緒にいると苦労を忘れる」と言われて来ました。私はいままで、人からきらわれた経験が無いんです。みんなが私を、いい子だと言って下さいました。だから、あなたも、私をおきらいの筈は、けっしてないと思うのです。 逢えばいいのです。もう、いまは御返事も何も要りません。お逢いしとうございます。私のほうから、東京のあなたのお宅へお伺いすれば一ばん簡単におめにかかれるのでしょうけれど、お母さまが、何せ半病人のようで、私は附きっきりの看護婦兼お女中さんなのですから、どうしてもそれが出来ません。おねがいでございます。どうか、こちらへいらして下さい。ひとめお逢いしたいのです。そうして、すべては、お逢いすれば、わかること。私の口の両側に出来た幽かな皺を見て下さい。世紀の悲しみの皺を見て下さい。私のどんな言葉より、私の顔が、私の胸の思いをはっきりあなたにお知らせする筈でございます。 さいしょに差し上げた手紙に、私の胸にかかっている虹の事を書きましたが、その虹は螢の光みたいな、またはお星さまの光みたいな、そんなお上品な美しいものではないのです。そんな淡い遠い思いだったら、私はこんなに苦しまず、次第にあなたを忘れて行く事が出来たでしょう。私の胸の虹は、炎の橋です。胸が焼きこげるほどの思いなのです。麻薬中毒者が、麻薬が切れて薬を求める時の気持だって、これほどつらくはないでしょう。間違ってはいない、よこしまではないと思いながらも、ふっと、私、たいへんな、大馬鹿の事をしようとしているのではないかしら、と思って、ぞっとする事もあるんです。発狂しているのではないかしらと反省する、そんな気持も、たくさんあるんです。でも、私だって、冷静に計画している事もあるんです。本当に、こちらへいちどいらして下さい。いつ、いらして下さっても大丈夫。私はどこへも行かずに、いつもお待ちしています。私を信じて下さい。 もう一度お逢いして、その時、いやならハッキリ言って下さい。私のこの胸の炎は、あなたが点火したのですから、あなたが消して行って下さい。私ひとりの力では、とても消す事が出来ないのです。とにかく逢ったら、逢ったら、私が助かります。万葉や源氏物語の頃だったら、私の申し上げているようなこと、何でもない事でしたのに。私の望み。あなたの愛妾になって、あなたの子供の母になる事。 このような手紙を、もし嘲笑するひとがあったら、そのひとは女の生きて行く努力を嘲笑するひとです。女のいのちを嘲笑するひとです。私は港の息づまるような澱んだ空気に堪え切れなくて、港の外は嵐であっても、帆をあげたいのです。憩える帆は、例外なく汚い。私を嘲笑する人たちは、きっとみな、憩える帆です。何も出来やしないんです。 困った女。しかし、この問題で一ばん苦しんでいるのは私なのです。この問題に就いて、何も、ちっとも苦しんでいない傍観者が、帆を醜くだらりと休ませながら、この問題を批判するのは、ナンセンスです。私を、いい加減に何々思想なんて言ってもらいたくないんです。私は無思想です。私は思想や哲学なんてもので行動した事は、いちどだってないんです。 世間でよいと言われ、尊敬されているひとたちは、みな嘘つきで、にせものなのを、私は知っているんです。私は、世間を信用していないんです。札つきの不良だけが、私の味方なんです。札つきの不良。私は、その十字架にだけは、かかって死んでもいいと思っています。万人に非難せられても、それでも、私は言いかえしてやれるんです。お前たちは、札のついていないもっと危険な不良じゃないか、と。 おわかりになりまして? こいに理由はございません。すこし理窟みたいな事を言いすぎました。弟の口真似くちまねに過ぎなかったような気もします。おいでをお待ちしているだけなのです。もう一度おめにかかりたいのです。それだけなのです。 待つ。ああ、人間の生活には、喜んだり怒ったり悲しんだり憎んだり、いろいろの感情があるけれども、けれどもそれは人間の生活のほんの一パーセントを占めているだけの感情で、あとの九十九パーセントは、ただ待って暮らしているのではないでしょうか。幸福の足音が、廊下に聞えるのを今か今かと胸のつぶれる思いで待って、からっぽ。ああ、人間の生活って、あんまりみじめ。生れて来ないほうがよかったとみんなが考えているこの現実。そうして毎日、朝から晩まで、はかなく何かを待っている。みじめすぎます。生れて来てよかったと、ああ、いのちを、人間を、世の中を、よろこんでみとうございます。 はばむ道徳を、押しのけられませんか? M・C(マイ、チェホフのイニシャルではないんです。私は、作家にこいしているのではございません。マイ、チャイルド)
しかし私はもとの通り、狐に抓つままれたように眼を瞠みはりつつ、寝台の上を振り返るばかりであった。……見た事もない天女のような少女を、だしぬけに、お前のものだといって指さされたその気味の悪さ……疑わしさ……そうして、その何とも知れない馬鹿らしさ……。「……僕の……たった一人の従妹……でも……今……姉さんと云ったのは……」「あれは夢を見ていられるのです。……今申します通りこの令嬢には最初から御同胞ごきょうだいがおいでにならない、タッタ一人のお嬢さんなのですが……しかし、この令嬢の一千年前の祖先に当る婦人には、一人のお姉さんが居おられたという事実が記録に残っております。それを直接のお姉さんとして只今、夢に見ておられますので……」「……どうして……そんな事が……おわかりに……なるのですか……」 といううちに私は声を震わした。若林博士の顔を見上げながらジリジリと後退あとずさりせずにはおられなかった。若林博士の頭脳あたまが急に疑わしくなって来たので……他人の見ている夢の内容を、外ほかから見て云い当てるなぞいう事は、魔法使いよりほかに出来る筈がない……況まして推理も想像も超越した……人間の力では到底、測り知る事の出来ない一千年も前の奇怪な事実を、平気で、スラスラと説明しているその無気味さ……若林博士は最初から当り前の人間ではない。事によると私と同様に、この精神病院に収容されている一種特別の患者の一人ではないか知らんと疑われ出したので……。 けれども若林博士は、ちっとも不思議な顔をしていなかった。依然として科学者らしい、何でもない口調で答えた。依然として響の無い、切れ切れの声で……。「……それは……この令嬢が、眼を醒さましておられる間にも、そんな事を云ったり、為したりしておられるから判明わかるのです。……この髪の奇妙な結ゆい方を御覧なさい。この結髪のし方は、この令嬢の一千年前ぜんの御先祖が居られた時代の、夫を持った婦人の髪の恰好で、時々御自身に結い換えられるのです……つまりこの令嬢は、只今でも、清浄無垢の処女でおられるのですが、しかし、御自身で、かような髪の形に結い変えておられる間は、この令嬢の精神生活の全体が、一千年前の御先祖であった或る既婚婦人の習慣とか、記憶とか、性格とかいうものに立返っておられる証拠と認められますので、むろんその時には、眼付から、身体からだのこなしまでも、処女らしいところが全然見当らなくなります。年齢としごろまでも見違えるくらい成熟された、優雅みやびやかな若夫人の姿に見えて来るのです。……尤もっとも、そのような夢を忘れておいでになる間は、附添人の結うがまにまに、一般の患者と同様のグルグル巻まきにしておられるのですが……」 私は開あいた口が閉ふさがらなかった。その神秘的な髪の恰好と、若林博士の荘重な顔付きとを惘々然ぼうぼうぜんと見比べない訳に行かなかった。「……では……では……兄さんと云ったのは……」「それは矢張やはり貴方の、一千年前ぜんの御先祖に当るお方の事なのです。その時のお姉様の御主人となっておられた貴方の御先祖……すなわち、この令嬢の一千年前の義理の兄さんであった貴方と、同棲しておられる情景ありさまを、現在夢に見ておられるのです」「……そ……そんな浅ましい……不倫な……」 と叫びかけて、私はハッと息を詰めた。若林博士がゆるやかに動かした青白い手に制せられつつ……。「シッ……静かに……貴方が今にも御自分のお名前を思い出されますれば、何もかも……」 と云いさして若林博士もピッタリと口を噤つぐんだ。二人とも同時に寝台の上の少女をかえりみた。けれども最早もう、遅かった。 私達の声が、少女の耳に這入ったらしい。その小さい、紅い唇をムズムズと動かしながら、ソッと眼を見開いて、ちょうどその真横に立っている私の顔を見ると、パチリパチリと大きく二三度瞬まばたきをした。そうしてその二重瞼の眼を一瞬間キラキラと光らしたと思うと、何かしら非常に驚いたと見えて、その頬の色が見る見る真白になって来た。その潤んだ黒い瞳が、大きく大きく、殆んどこの世のものとは思われぬ程の美しさにまで輝やきあらわれて来た。それに連つれて頬の色が俄にわかに、耳元までもパッと燃え立ったと思ううちに、「……アッ……お兄さまッ……どうしてここにッ……」 と魂消たまぎるように叫びつつ身を起した。素跣足すはだしのまま寝台から飛び降りて、裾すそもあらわに私に縋すがり付こうとした。 私は仰天した。無意識の裡うちにその手を払い除のけた。思わず二三歩飛び退のいて睨にらみ付けた……スッカリ面喰ってしまいながら……。 ……すると、その瞬間に少女も立ち止まった。両手をさし伸べたまま電気に打たれたように固くなった。顔色が真青になって、唇の色まで無くなった……と見るうちに、眼を一パイに見開いて、私の顔を凝視みつめながら、よろよろと、うしろに退さがって寝台の上に両手を支ついた。唇をワナワナと震わせて、なおも一心に私の顔を見た。 それから少女は若林博士の顔と、部屋の中の様子を恐る恐る見廻わしていた……が、そのうちに、その両方の眼にキラキラと光る涙を一パイに溜めた。グッタリとうなだれて、石の床の上に崩折くずおれ座りつつ、白い患者服の袖そでを顔に当てたと思うと、ワッと声を立てながら、寝台の上に泣き伏してしまった。 私はいよいよ面喰った。顔中一パイに湧き出した汗を拭いつつ、シャ嗄がれた声でシャクリ上げシャクリ上げ泣く少女の背中と、若林博士の顔とを見比べた。 若林博士は……しかし顔の筋肉すじ一つ動かさなかった。呆然となっている私の顔を、冷やかに見返しながら、悠々と少女に近付いて腰を屈かがめた。耳に口を当てるようにして問うた。「思い出されましたか。この方のお名前を……そうして貴女あなたのお名前も……」 この言葉を聞いた時、少女よりも私の方が驚かされた。……さてはこの少女も私と同様に、夢中遊行状態から醒めかけた「自我忘失状態」に陥っているのか……そうして若林博士は、現在、私にかけているのと同じ実験を、この少女にも試みているのか……と思いつつ、耳の穴がシイ――ンと鳴るほど緊張して少女の返事を期待した。 けれども少女は返事をしなかった。ただ、ちょっとの間ま、泣き止んで、寝台に顔を一層深く埋めながら、頭を左右に振っただけであった。「……それではこの方が、貴方とお許嫁いいなずけになっておられた、あのお兄さまということだけは記憶おぼえておいでになるのですね」 少女はうなずいた。そうして前よりも一層烈はげしい、高い声で泣き出した。 それは、何も知らずに聞いていても、真まことに悲痛を極めた、腸はらわたを絞るような声であった。自分の恋人の名前を思い出す事が出来ないために、その相手とは、遥かに隔たった精神病患者の世界に取り残されている……そうして折角せっかくその相手にめぐり合って縋り付こうとしても、素気そっけなく突き離される身の上になっていることを、今更にヒシヒシと自覚し初めているらしい少女の、身も世もあられぬ歎きの声であった。 男女の相違こそあれ、同じ精神状態に陥って、おなじ苦しみを体験させられている私は、心の底までその嗄かれ果てた泣声に惹き付けられてしまった。今朝、暗いうちに呼びかけられた時とは全然まるで違った……否あの時よりも数層倍した、息苦しい立場に陥おとしいれられてしまったのであった。この少女の顔も名前も、依然として思い出す事が出来ないままに、タッタ今それを思い出して、何とかしてやらなければ堪たまらないほど痛々しい少女の泣声と、そのいじらしい背面うしろ姿が、白い寝床の上に泣伏して、わななき狂うのを、どうする事も出来ないのが、全く私一人の責任であるかのような心苦しさに苛責さいなまれて、両手を顔に当てて、全身に冷汗を流したのであった。気が遠くなって、今にもよろめき倒れそうになった位であった。 けれども若林博士は、そうした私の苦しみを知るや知らずや、依然として上半身を傾けつつ、少女の肩をいたわり撫でた。「……さ……さ……落ち付いて……おちついて……もう直じきに思い出されます。この方も……あなたのお兄さまも、あなたのお顔を見忘れておいでになるのです。しかし、もう間もなく思い出されます。そうしたら直ぐに貴女にお教えになるでしょう。そうして御一緒に退院なさるでしょう。……さ……静かにおやすみなさい。時期の来るのをお待ちなさい。それは決して遠いことではありませんから……」 こう云い聞かせつつ若林博士は顔を上げた。……驚いて、弱って、暗涙あんるいを拭い拭い立ち竦すくんでいる私の手を引いて、サッサと扉の外に出ると、重い扉を未練気もなくピッタリと閉めた。廊下の向うの方で、鶏頭の花をいじっている附添の婆さんを、ポンポンと手を鳴らして呼び寄せると、まだ何かしら躊躇している私を促しつつ、以前の七号室の中に誘い込んだ。 耳を澄ますと、少女の泣く声が、よほど静まっているらしい。その歔欷すすり上げる呼吸の切れ目切れ目に、附添の婆さんが何か云い聞かせている気はいである。 人造石の床の上に突立った私は、深い溜息を一つホーッと吐つきながら気を落ち付けた。とりあえず若林博士の顔を見上げて説明の言葉を待った。……今の今まで私が夢にも想像し得なかったばかりか、恐らく世間の人々も人形以外には見た事のないであろう絶世の美少女が、思いもかけぬ隣りの部屋に、私と壁一重ひとえを隔てたまま、ミジメな精神病患者として閉じ籠められている。……しかもその美少女は、私のタッタ一人の従妹いとこで、私と許嫁の間柄になっているばかりでなく「一千年前の姉さんのお婿むこさんであった私」というような奇怪極まる私と同棲している夢を見ている。……のみならずその夢から醒めて、私の顔を見るや否や「お兄さま」と叫んで抱き付こうとした。……それを私から払い除のけられたために、床の上へ崩折くずおれて、腸はらわたを絞るほど歎き悲しんでいる…… というような、世にも不可思議な、ヤヤコシイ事実に対して、若林博士がドンナ説明をしてくれるかと、胸を躍らして待っていた。
四 お手紙、書こうか、どうしようか、ずいぶん迷っていました。けれども、けさ、鳩のごとく素直に、蛇のごとく慧かれ、というイエスの言葉をふと思い出し、奇妙に元気が出て、お手紙を差し上げる事にしました。直治の姉でございます。お忘れかしら。お忘れだったら、思い出して下さい。 直治が、こないだまたお邪魔にあがって、ずいぶんごやっかいを、おかけしたようで、相すみません。(でも、本当は、直治の事は、それは直治の勝手で、私が差し出ておわびをするなど、ナンセンスみたいな気もするのです。)きょうは、直治の事でなく、私の事で、お願いがあるのです。京橋のアパートで罹災なさって、それから今の御住所にお移りになった事を直治から聞きまして、よっぽど東京の郊外のそのお宅にお伺いしようかと思ったのですが、お母さまがこないだからまた少しお加減が悪く、お母さまをほっといて上京する事は、どうしても出来ませぬので、それで、お手紙で申し上げる事に致しました。 あなたに、御相談してみたい事があるのです。 私のこの相談は、これまでの「女大学」の立場から見ると、非常にずるくて、けがらわしくて、悪質の犯罪でさえあるかも知れませんが、けれども私は、いいえ、私たちは、いまのままでは、とても生きて行けそうもありませんので、弟の直治がこの世で一ばん尊敬しているらしいあなたに、私のいつわらぬ気持を聞いていただき、お指図をお願いするつもりなのです。 私には、いまの生活が、たまらないのです。すき、きらいどころではなく、とても、このままでは私たち親子三人、生きて行けそうもないのです。 昨日も、くるしくて、からだも熱っぽく、息ぐるしくて、自分をもてあましていましたら、お昼すこしすぎ、雨の中を下の農家の娘さんが、お米を背負って持って来ました。そうして私のほうから、約束どおりの衣類を差し上げました。娘さんは、食堂で私と向い合って腰かけてお茶を飲みながら、じつに、リアルな口調で、「あなた、ものを売って、これから先、どのくらい生活して行けるの?」 と言いました。「半歳か、一年くらい」 と私は答えました。そうして、右手で半分ばかり顔をかくして、「眠いの。眠くて、仕方がないの」 と言いました。「疲れているのよ。眠くなる神経衰弱でしょう」「そうでしょうね」 涙が出そうで、ふと私の胸の中に、リアリズムという言葉と、ロマンチシズムという言葉が浮んで来ました。私に、リアリズムは、ありません。こんな具合いで、生きて行けるのかしら、と思ったら、全身に寒気を感じました。お母さまは、半分御病人のようで、寝たり起きたりですし、弟は、ご存じのように心の大病人で、こちらにいる時は、焼酎を飲みに、この近所の宿屋と料理屋とをかねた家へ御精勤で、三日にいちどは、私たちの衣類を売ったお金を持って東京方面へ御出張です。でも、くるしいのは、こんな事ではありません。私はただ、私自身の生命が、こんな日常生活の中で、芭蕉の葉が散らないで腐って行くように、立ちつくしたままおのずから腐って行くのをありありと予感せられるのが、おそろしいのです。とても、たまらないのです。だから私は、「女大学」にそむいても、いまの生活からのがれ出たいのです。 それで、私、あなたに、相談いたします。 私は、いま、お母さまや弟に、はっきり宣言したいのです。私が前から、或るお方に恋をしていて、私は将来、そのお方の愛人として暮らすつもりだという事を、はっきり言ってしまいたいのです。そのお方は、あなたもたしかご存じの筈です。そのお方のお名前のイニシャルは、M・Cでございます。私は前から、何か苦しい事が起ると、そのM・Cのところに飛んで行きたくて、こがれ死にをするような思いをして来たのです。 M・Cには、あなたと同じ様に、奥さまもお子さまもございます。また、私より、もっと綺麗で若い、女のお友達もあるようです。けれども私は、M・Cのところへ行くより他に、私の生きる途が無い気持なのです。M・Cの奥さまとは、私はまだ逢った事がありませんけれども、とても優しくてよいお方のようでございます。私は、その奥さまの事を考えると、自分をおそろしい女だと思います。けれども、私のいまの生活は、それ以上におそろしいもののような気がして、M・Cにたよる事を止せないのです。鳩のごとく素直に、蛇のごとく慧く、私は、私の恋をしとげたいと思います。でも、きっと、お母さまも、弟も、また世間の人たちも、誰ひとり私に賛成して下さらないでしょう。あなたは、いかがです。私は結局、ひとりで考えて、ひとりで行動するより他は無いのだ、と思うと、涙が出て来ます。生れて初めての、ことなのですから。この、むずかしいことを、周囲のみんなから祝福されてしとげる法はないものかしら、とひどくややこしい代数の因数分解か何かの答案を考えるように、思いをこらして、どこかに一箇所、ぱらぱらと綺麗に解きほぐれる糸口があるような気持がして来て、急に陽気になったりなんかしているのです。 けれども、かんじんのM・Cのほうで、私をどう思っていらっしゃるのか。それを考えると、しょげてしまいます。謂わば、私は、押しかけ、………なんというのかしら、押しかけ女房といってもいけないし、押しかけ愛人、とでもいおうかしら、そんなものなのですから、M・Cのほうでどうしても、いやだといったら、それっきり。だから、あなたにお願いします。どうか、あのお方に、あなたからきいてみて下さい。六年前の或る日、私の胸に幽かな淡い虹がかかって、それは恋でも愛でもなかったけれども、年月の経つほど、その虹はあざやかに色彩の濃さを増して来て、私はいままで一度も、それを見失った事はございませんでした。夕立の晴れた空にかかる虹は、やがてはかなく消えてしまいますけど、ひとの胸にかかった虹は、消えないようでございます。どうぞ、あのお方に、きいてみて下さい。あのお方は、ほんとに、私を、どう思っていらっしゃったのでしょう。それこそ、雨後の空の虹みたいに、思っていらっしゃったのでしょうか。そうして、とっくに消えてしまったものと? それなら、私も、私の虹を消してしまわなければなりません。けれども、私の生命をさきに消さなければ、私の胸の虹は消えそうもございません。 御返事を、祈っています。上原二郎様(私のチェホフ。マイ、チェホフ。M・C)私は、このごろ、少しずつ、太って行きます。動物的な女になってゆくというよりは、ひとらしくなったのだと思っています。この夏は、ロレンスの小説を、一つだけ読みました。 御返事が無いので、もういちどお手紙を差し上げます。こないだ差し上げた手紙は、とても、ずるい、蛇のような奸策に満ち満ちていたのを、いちいち見破っておしまいになったのでしょう。本当に、私はあの手紙の一行々々に狡智の限りを尽してみたのです。結局、私はあなたに、私の生活をたすけていただきたい、お金がほしいという意図だけ、それだけの手紙だとお思いになった事でしょう。そうして、私もそれを否定いたしませぬけれども、しかし、ただ私が自身のパトロンが欲しいのなら、失礼ながら、特にあなたを選んでお願い申しませぬ。他にたくさん、私を可愛がって下さる老人のお金持などあるような気がします。げんにこないだも、妙な縁談みたいなものがあったのです。そのお方のお名前は、あなたもご存じかも知れませんが、六十すぎた独身のおじいさんで、芸術院とかの会員だとか何だとか、そういう大師匠のひとが、私をもらいにこの山荘にやって来ました。この師匠さんは、私どもの西片町のお家の近所に住んでいましたので、私たちも隣組のよしみで、時たま逢う事がありました。いつか、あれは秋の夕暮だったと覚えていますが、私とお母さまと二人で、自動車でその師匠さんのお家の前を通り過ぎた時、そのお方がおひとりでぼんやりお宅の門の傍に立っていらして、お母さまが自動車の窓からちょっと師匠さんにお会釈なさったら、その師匠さんの気むずかしそうな蒼黒いお顔が、ぱっと紅葉よりも赤くなりました。「こいかしら」 私は、はしゃいで言いました。「お母さまを、すきなのね」 けれども、お母さまは落ちついて、「いいえ、偉いお方」 とひとりごとのように、おっしゃいました。芸術家を尊敬するのは、私どもの家の家風のようでございます。 その師匠さんが、先年奥さまをなくなさったとかで、和田の叔父さまと謡曲のお天狗仲間の或る宮家のお方を介し、お母さまに申し入れをなさって、お母さまは、かず子から思ったとおりの御返事を師匠さんに直接さしあげたら? とおっしゃるし、私は深く考えるまでもなく、いやなので、私にはいま結婚の意志がございません、という事を何でもなくスラスラと書けました。「お断りしてもいいのでしょう?」「そりゃもう。……私も、無理な話だと思っていたわ」 その頃、師匠さんは軽井沢の別荘のほうにいらしたので、そのお別荘へお断りの御返事をさし上げたら、それから、二日目に、その手紙と行きちがいに、師匠さんご自身、伊豆の温泉へ仕事に来た途中でちょっと立ち寄らせていただきましたとおっしゃって、私の返事の事は何もご存じでなく、出し抜けに、この山荘にお見えになったのです。芸術家というものは、おいくつになっても、こんな子供みたいな気ままな事をなさるものらしいのね。 お母さまは、お加減がわるいので、私が御相手に出て、支那間でお茶を差し上げ、「あの、お断りの手紙、いまごろ軽井沢のほうに着いている事と存じます。私、よく考えましたのですけど」 と申し上げました。「そうですか」 とせかせかした調子でおっしゃって、汗をお拭きになり、「でも、それは、もう一度、よくお考えになってみて下さい。私は、あなたを、何と言ったらいいか、謂わば精神的には幸福を与える事が出来ないかも知れないが、その代り、物質的にはどんなにでも幸福にしてあげる事が出来る。これだけは、はっきり言えます。まあ、ざっくばらんの話ですが」「お言葉の、その、幸福というのが、私にはよくわかりません。生意気を申し上げるようですけど、ごめんなさい。チェホフの妻への手紙に、子供を生んでおくれ、私たちの子供を生んでおくれ、って書いてございましたわね。ニイチェだかのエッセイの中にも、子供を生ませたいと思う女、という言葉がございましたわ。私、子供がほしいのです。幸福なんて、そんなものは、どうだっていいのですの。お金もほしいけど、子供を育てて行けるだけのお金があったら、それでたくさんですわ」 師匠さんは、へんな笑い方をなさって、「あなたは、珍らしい方ですね。誰にでも、思ったとおりを言える方だ。あなたのような方と一緒にいると、私の仕事にも新しい霊感が舞い下りて来るかも知れない」 と、おとしに似合わず、ちょっと気障みたいな事を言いました。こんな偉い芸術家のお仕事を、もし本当に私の力で若返らせる事が出来たら、それも生き甲斐のある事に違いない、とも思いましたが、けれども、私は、その師匠さんに抱かれる自分の姿を、どうしても考えることが出来なかったのです。「私に、恋のこころが無くてもいいのでしょうか?」 と私は少し笑っておたずねしたら、師匠さんはまじめに、「女のかたは、それでいいんです。女のひとは、ぼんやりしていて、いいんですよ」 とおっしゃいます。「でも、私みたいな女は、やっぱり、恋のこころが無くては、結婚を考えられないのです。私、もう、大人なんですもの。来年は、もう、三十」 と言って、思わず口を覆いたいような気持がしました。 三十。女には、二十九までは乙女の匂いが残っている。しかし、三十の女のからだには、もう、どこにも、乙女の匂いが無い、というむかし読んだフランスの小説の中の言葉がふっと思い出されて、やりきれない淋しさに襲われ、外を見ると、真昼の光を浴びて海が、ガラスの破片のようにどぎつく光っていました。あの小説を読んだ時には、そりゃそうだろうと軽く肯定して澄ましていた。三十歳までで、女の生活は、おしまいになると平気でそう思っていたあの頃がなつかしい。腕輪、頸飾り、ドレス、帯、ひとつひとつ私のからだの周囲から消えて無くなって行くに従って、私のからだの乙女の匂いも次第に淡くうすれて行ったのでしょう。まずしい、中年の女。おお、いやだ。でも、中年の女の生活にも、女の生活が、やっぱり、あるんですのね。このごろ、それがわかって来ました。英人の女教師が、イギリスにお帰りの時、十九の私にこうおっしゃったのを覚えています。「あなたは、恋をなさっては、いけません。あなたは、恋をしたら、不幸になります。恋を、なさるなら、もっと、大きくなってからになさい。三十になってからになさい」 けれども、そう言われても私は、きょとんとしていました。三十になってからの事など、その頃の私には、想像も何も出来ないことでした。「このお別荘を、お売りになるとかいう噂を聞きましたが」 師匠さんは、意地わるそうな表情で、ふいとそうおっしゃいました。 私は笑いました。「ごめんなさい。桜の園を思い出したのです。あなたが、お買いになって下さるのでしょう?」 師匠さんは、さすがに敏感にお察しになったようで、怒ったように口をゆがめて黙しました。 或る宮様のお住居として、新円五十万円でこの家を、どうこうという話があったのも事実ですが、それは立ち消えになり、その噂でも師匠さんは聞き込んだのでしょう。でも、桜の園のロパーヒンみたいに私どもに思われているのではたまらないと、すっかりお機嫌を悪くした様子で、あと、世間話を少ししてお帰りになってしまいました。
今朝暗いうちに、七号室で撫でまわして想像した時には、三十前後の鬚武者ひげむしゃで、人相の悪いスゴイ風采だろうと思っていたが、それから手入れをしてもらったにしても、掌てのひらで撫でまわした感じと、実物とが、こんなに違っていようとは思わなかった。 眼の前の等身大の鏡の中に突立っている私は、まだやっと二十歳はたちかそこいらの青二才としか見えない。額の丸い、腮あごの薄い、眼の大きい、ビックリしたような顔である。制服がなければ中学生と思われるかも知れない。こんな青二才が私だったのかと思うと、今朝からの張り合いが、みるみる抜けて行くような、又は、何ともいえない気味の悪いような……嬉しいような……悲しいような……一種異様な気持ちになってしまった。 その時に背後うしろから若林博士が、催促をするように声をかけた。「……いかがです……思い出されましたか……御自分のお名前を……」 私は冠かむりかけていた帽子を慌てて脱いだ。冷めたい唾液つばをグッと嚥のみ込んで振り返ったが、その時に若林博士が、先刻から私を、色々な不思議な方法でイジクリまわしている理由がやっと判明わかった。若林博士は私に、私自身の過去の記念物を見せる約束をしたその手初めに、まず私に、私の過去の姿を引合わせて見せたのだ。つまり若林博士は、私の入院前の姿を、細かいところまで記憶していたので、その時の通りの姿に私を復旧してから、突然に私の眼の前に突付けて、昔の事を思い出させようとしているのに違いなかった。……成る程これなら間違いはない。たしかに私の過去の記念物に相違ない。……ほかの事は全部、感違いであるにしても、これだけは絶対に間違いようのないであろう、私自身の思い出の姿……。 しかしながら……そうした博士の苦心と努力は、遺憾ながら酬むくいられなかった。初めて自分の姿を見せ付けられて、ビックリさせられたにも拘わらず、私は元の通り何一つ思い出す事が出来なかった……のみならず、自分がまだ、こんな小僧っ子であることがわかると、今までよりも一層気が引けるような……馬鹿にされたような……空恐ろしいような……何ともいえない気持ちになって、われ知らず流れ出した額の汗を拭き拭きうなだれていたのであった。 その私の顔と、鏡の中の顔とを、依然として無表情な眼付きで、マジマジと見比べていた若林博士は、やがて仔細らしく点頭うなずいた。「……御尤ごもっともです。以前よりもズット色が白くなられて、多少肥ってもおられるようですから、御入院以前の感じとは幾分違うかも知れませぬ……では、こちらへお出でなさい。次の方法を試みてみますから……。今度は、きっと思い出されるでしょう……」 私は新らしい編上靴を穿はいた足首と、膝頭ひざがしらを固こわばらせつつ、若林博士の背後に跟随くっついて、鶏頭けいとうの咲いた廊下を引返して行った。そうして元の七号室に帰るのかと思っていたら、その一つ手前の六号室の標札を打った扉の前で、若林博士は立ち止まって、コツコツとノックをした。それから大きな真鍮しんちゅうの把手ノッブを引くと、半開きになった扉の間から、浅黄色のエプロンを掛けた五十位の附添人らしい婆さんが出て来て、叮嚀に一礼した。その婆さんは若林博士の顔を見上げながら、「只今、よくお寝やすみになっております」 と慎しやかに報告しつつ、私たちが出て来た西洋館の方へ立ち去った。 若林博士は、そのあとから、用心深く首をさし伸ばして内部なかに這入った。片手で私の手をソッと握って、片手で扉を静かに閉めると、靴音を忍ばせつつ、向うの壁の根方ねかたに横たえてある、鉄の寝台に近付いた。そうしてそこで、私の手をソッと離すと、その寝台の上に睡っている一人の少女の顔を、毛ムクジャラの指でソッと指し示しながら、ジロリと私を振り返った。 私は両手で帽子の庇ひさしをシッカリと握り締めた。自分の眼を疑って、二三度パチパチと瞬まばたきをした。 ……それ程に美しい少女が、そこにスヤスヤと睡っているのであった。 その少女は艶々つやつやした夥おびただしい髪毛かみのけを、黒い、大きな花弁はなびらのような、奇妙な恰好に結んだのを白いタオルで包んだ枕の上に蓬々ぼうぼうと乱していた。肌にはツイ私が今さっきまで着ていたのとおんなじ白木綿の患者服を着て、胸にかけた白毛布の上に、新しい繃帯ほうたいで包んだ左右の手を、行儀よく重ね合わせているところを見ると、今朝早くから壁をたたいたり呼びかけたりして、私を悩まし苦しめたのは、たしかにこの少女であったろう。むろん、そこいらの壁には、私が今朝ほど想像したような凄惨な、血のにじんだ痕跡を一つも発見する事が出来なかったが、それにしても、あれ程の物凄い、息苦しい声を立てて泣き狂った人間とは、どうしても思えないその眠りようの平和さ、無邪気さ……その細長い三日月眉、長い濃い睫毛まつげ、品のいい高い鼻、ほんのりと紅をさした頬、クローバ型に小さく締まった唇、可愛い恰好に透きとおった二重顎ふたえあごまで、さながらに、こうした作り付けの人形ではあるまいかと思われるくらい清らかな寝姿であった。……否。その時の私はホントウにそう疑いつつ、何もかも忘れて、その人形の寝顔に見入っていたのであった。 すると……その私の眼の前で、不思議とも何とも形容の出来ない神秘的な変化が、その人形の寝顔に起り初めたのであった。 新しいタオルで包んだ大きな枕の中に、生うぶ毛げで包まれた赤い耳をホンノリと並べて、長い睫毛を正しく、楽しそうに伏せている少女の寝顔が、眼に見えぬくらい静かに、静かに、悲しみの表情にかわって行くのであった。しかも、その細長い眉や、濃い睫毛や、クローバ型の小さな唇の輪廓りんかくのすべては、初めの通りの美しい位置に静止したままであった。ただ、少女らしい無邪気な桃色をしていた頬の色が、何となく淋さびしい薔薇ばら色に移り変って行くだけであったが、それだけの事でありながら、たった今まで十七八に見えていた、あどけない寝顔が、いつの間にか二十二三の令夫人かと思われる、気品の高い表情に変って来た。そうして、その底から、どことなく透きとおって見えて来る悲しみの色の神々こうごうしいこと……。 私は又も、自分の眼を疑いはじめた。けれども、眼をこすることは愚か、呼吸いきも出来ないような気持になって、なおも瞬またたき一つせずに、見惚みとれていると、やがてその長く切れた二重瞼の間に、すきとおった水玉がにじみ現われはじめた。それが見る見るうちに大きい露の珠たまになって、長い睫毛にまつわって、キラキラと光って、あなやと思ううちにハラハラと左右へ流れ落ちた……と思うと、やがて、小さな唇が、微かすかにふるえながら動き出して、夢のように淡い言葉が、切れ切れに洩れ出した。「……お姉さま……お姉さま……すみませんすみません。……あたしは……妾あたしは心からお兄様を、お慕い申しておりましたのです。お姉様の大事な大事なお兄様と知りながら……ずっと以前から、お慕い申して……ですから、とうとうこんな事に……ああ……済みません済みません……どうぞ……どうぞ……許して下さいましね……ゆるして……ね……お姉様……どうぞ……ね……」 それは、そのふるえわななく唇の動き方で、やっと推察が出来たかと思えるほどの、タドタドとした音調であった。けれども、その涙は、あとからあとから新らしく湧き出して、長い睫毛の間を左右の眥めじりへ……ほのかに白いコメカミへ……そうして青々とした両鬢りょうびんの、すきとおるような生はえ際ぎわへ消え込んで行くのであった。 しかし、その涙はやがて止まった。そうして左右の頬に沈んでいた、さびしい薔薇色が、夜が明けて行くように、元のあどけない桃色にさしかわって行くにつれて、その表情は、やはり人形のように動かないまま、健康すこやかな、十七八の少女らしい寝顔にまで回復して来た。……僅かな夢の間に五六年も年を取って悲しんだ。そうして又、元の通りに若返って来たのだな……と見ているうちにその唇の隅には、やがて和なごやかな微笑さえ浮かみ出たのであった。 私は又も心の底から、ホ――ッと長い溜め息をさせられた。そうして、まだ自分自身が夢から醒め切れないような気持ちで、おずおずと背後うしろをふり返った。 私の背後に突立った若林博士は、最前さっきからの通りの無表情な表情をして、両手をうしろにまわしたまま、私をジッと見下していた。しかし内心は非常に緊張しているらしい事が、その蝋石ろうせきのように固くなっている顔色でわかったが、そのうちに私が振り返った顔を静かに見返すと、白い唇をソッと嘗なめて、今までとはまるで違った、響ひびきの無い声を出した。「……この方の……お名前を……御存じですか」 私は今一度、少女の寝顔を振り返った。あたりを憚はばかるように、ヒッソリと頭を振った。 ……イイエ……チットモ……。 という風に……。すると、そのあとから追っかけるように若林博士はモウ一度、低い声で囁ささやいた。「……それでは……この方のお顔だけでも見覚えておいでになりませんか」 私はそう云う若林博士の顔を振り仰いで、二三度大きく瞬まばたきをして見せた。 ……飛んでもない……自分の顔さえ知らなかった私が、どうして他人の顔を見おぼえておりましょう…… といわんばかりに……。 すると、私がそうした瞬間に、又も云い知れぬ失望の色が、スウット若林博士の表情を横切った。そのまま空虚になったような眼付きで、暫くの間、私を凝視していたが、やがて又、いつとなく元の淋しい表情に返って、二三度軽くうなずいたと思うと、私と一緒に、静かに少女の方に向き直った。極めて荘重な足取で、半歩ほど前に進み出て、恰あたかも神前で何事かを誓うかのように、両手を前に握り合せつつ私を見下した。暗示的な、ゆるやかな口調で云った。「……それでは……申します。この方は、あなたのタッタ一人のお従妹いとこさんで、あなたと許嫁いいなずけの間柄になっておられる方ですよ」「……アッ……」 と私は驚きの声を呑んだ。額ひたいを押えつつ、よろよろとうしろに、よろめいた。自分の眼と耳を同時に疑いつつカスレた声を上げた。「……そ……そんな事が……コ……こんなに美しい……」「……さよう、世にも稀まれな美しいお方です。しかし間違い御座いませぬ。本年……大正十五年の四月二十六日……ちょうど六個月以前に、あなたと式をお挙げになるばかりになっておりました貴方あなたの、たった一人のお従妹さんです。その前の晩に起りました世にも不可思議な出来事のために、今日まで斯様かようにお気の毒な生活をしておられますので……」「……………………」「……ですから……このお方と貴方のお二人を無事に退院されまするように……そうして楽しい結婚生活にお帰りになるように取計らいますのが、やはり、正木先生から御委托を受けました私の、最後の重大な責任となっているので御座います」 若林博士の口調は、私を威圧するかのように緩ゆるやかに、且かつ荘重であった。
そこまで読んで私は、その夕顔日誌を閉じ、木の箱にかえして、それから窓のほうに歩いて行き、窓を一ぱいにひらいて、白い雨に煙っているお庭を見下みおろしながら、あの頃の事を考えた。 もう、あれから、六年になる。直治の、この麻薬中毒が、私の離婚の原因になった、いいえ、そう言ってはいけない、私の離婚は、直治の麻薬中毒がなくっても、べつな何かのきっかけで、いつかは行われているように、そのように、私の生れた時から、さだまっていた事みたいな気もする。直治は、薬屋への支払いに困って、しばしば私にお金をねだった。私は山木へ嫁とついだばかりで、お金などそんなに自由になるわけは無し、また、嫁ぎ先のお金を、里の弟へこっそり融通してやるなど、たいへん工合いの悪い事のようにも思われたので、里から私に附つき添って来たばあやのお関せきさんと相談して、私の腕輪や、頸飾くびかざりや、ドレスを売った。弟は私に、お金を下さい、という手紙を寄こして、そうして、いまは苦しくて恥ずかしくて、姉上と顔を合せる事も、また電話で話する事さえ、とても出来ませんから、お金は、お関に言いつけて、京橋の×町×丁目のカヤノアパートに住んでいる、姉上も名前だけはご存じの筈の、小説家上原二郎さんのところにとどけさせるよう、上原さんは、悪徳のひとのように世の中から評判されているが、決してそんな人ではないから、安心してお金を上原さんのところへとどけてやって下さい、そうすると、上原さんがすぐに僕に電話で知らせる事になっているのですから、必ずそのようにお願いします、僕はこんどの中毒を、ママにだけは気附かれたくないのです、ママの知らぬうちに、なんとかしてこの中毒をなおしてしまうつもりなのです、僕は、こんど姉上からお金をもらったら、それでもって薬屋への借りを全部支払って、それから塩原の別荘へでも行って、健康なからだになって帰って来るつもりなのです、本当です、薬屋の借りを全部すましたら、もう僕は、その日から麻薬を用いる事はぴったりよすつもりです、神さまに誓います、信じて下さい、ママには内緒に、お関をつかってカヤノアパートの上原さんに、たのみます、というような事が、その手紙に書かれていて、私はその指図さしずどおりに、お関さんにお金を持たせて、こっそり上原さんのアパートにとどけさせたものだが、弟の手紙の誓いは、いつも嘘うそで、塩原の別荘にも行かず、薬品中毒はいよいよひどくなるばかりの様子で、お金をねだる手紙の文章も、悲鳴に近い苦しげな調子で、こんどこそ薬をやめると、顔をそむけたいくらいの哀切な誓いをするので、また嘘かも知れぬと思いながらも、ついまた、ブローチなどお関さんに売らせて、そのお金を上原さんのアパートにとどけさせるのだった。「上原さんって、どんな方?」「小柄こがらで顔色の悪い、ぶあいそな人でございます」 と、お関さんは答える。「でも、アパートにいらっしゃる事は、めったにございませぬです。たいてい、奥さんと、六つ七つの女のお子さんと、お二人がいらっしゃるだけでございます。この奥さんは、そんなにお綺麗きれいでもございませぬけれども、お優しくて、よく出来たお方のようでございます。あの奥さんになら、安心してお金をあずける事が出来ます」 その頃の私は、いまの私に較くらべて、いいえ、較べものにも何もならぬくらい、まるで違った人みたいに、ぼんやりの、のんき者ではあったが、それでも流石さすがに、つぎつぎと続いてしかも次第に多額のお金をねだられて、たまらなく心配になり、一日、お能からの帰り、自動車を銀座でかえして、それからひとりで歩いて京橋のカヤノアパートを訪ねた。 上原さんは、お部屋でひとり、新聞を読んでいらした。縞しまの袷あわせに、紺絣こんがすりのお羽織を召していらして、お年寄りのような、お若いような、いままで見た事もない奇獣のような、へんな初印象を私は受取った。「女房はいま、子供と、一緒に、配給物を取りに」 すこし鼻声で、とぎれとぎれにそうおっしゃる。私を、奥さんのお友達とでも思いちがいしたらしかった。私が、直治の姉だと言う事を申し上げたら、上原さんは、ふん、と笑った。私は、なぜだか、ひやりとした。「出ましょうか」 そう言って、もう二重廻にじゅうまわしをひっかけ、下駄箱げたばこから新しい下駄を取り出しておはきになり、さっさとアパートの廊下を先に立って歩かれた。 外は、初冬の夕暮。風が、つめたかった。隅田川すみだがわから吹いて来る川風のような感じであった。上原さんは、その川風にさからうように、すこし右肩をあげて築地のほうに黙って歩いて行かれる。私は小走りに走りながら、その後を追った。 東京劇場の裏手のビルの地下室にはいった。四、五組の客が、二十畳くらいの細長いお部屋で、それぞれ卓をはさんで、ひっそりお酒を飲んでいた。 上原さんは、コップでお酒をお飲みになった。そうして、私にも別なコップを取り寄せて下さって、お酒をすすめた。私は、そのコップで二杯飲んだけれども、なんともなかった。 上原さんは、お酒を飲み、煙草たばこを吸い、そうしていつまでも黙っていた。私も、黙っていた。私はこんなところへ来たのは、生まれてはじめての事であったけれども、とても落ちつき、気分がよかった。「お酒でも飲むといいんだけど」「え?」「いいえ、弟さん。アルコールのほうに転換するといいんですよ。僕も昔、麻薬中毒になった事があってね、あれは人が薄気味わるがってね、アルコールだって同じ様なものなんだが、アルコールのほうは、人は案外ゆるすんだ。弟さんを、酒飲みにしちゃいましょう。いいでしょう?」「私、いちど、お酒飲みを見た事がありますわ。新年に、私が出掛けようとした時、うちの運転手の知合いの者が、自動車の助手席で、鬼のような真赤まっかな顔をして、ぐうぐう大いびきで眠っていましたの。私がおどろいて叫んだら、運転手が、これはお酒飲みで、仕様が無いんです、と言って、自動車からおろして肩にかついでどこかへ連れて行きましたの。骨が無いみたいにぐったりして、何だかそれでも、ぶつぶつ言っていて、私あの時、はじめてお酒飲みってものを見たのですけど、面白かったわ」「僕だって、酒飲みです」「あら、だって、違うんでしょう?」「あなただって、酒飲みです」「そんな事は、ありませんわ。私は、お酒飲みを見た事があるんですもの。まるで、違いますわ」 上原さんは、はじめて楽しそうにお笑いになって、「それでは、弟さんも、酒飲みにはなれないかも知れませんが、とにかく、酒を飲む人になったほうがいい。帰りましょう。おそくなると、困るんでしょう?」「いいえ、かまわないんですの」「いや、実は、こっちが窮屈でいけねえんだ。ねえさん! 会計!」「うんと高いのでしょうか。少しなら、私、持っているんですけど」「そう。そんなら、会計は、あなただ」「足りないかも知れませんわ」 私は、バッグの中を見て、お金がいくらあるかを上原さんに教えた。「それだけあれば、もう二、三軒飲める。馬鹿にしてやがる」 上原さんは顔をしかめておっしゃって、それから笑った。「どこかへ、また、飲みにおいでになりますか?」 と、おたずねしたら、まじめに首を振って、「いや、もうたくさん。タキシーを拾ってあげますから、お帰りなさい」 私たちは、地下室の暗い階段をのぼって行った。一歩さきにのぼって行く上原さんが、階段の中頃なかごろで、くるりとこちら向きになり、素早く私にキスをした。私は唇くちびるを固く閉じたまま、それを受けた。 べつに何も、上原さんをすきでなかったのに、それでも、その時から私に、あの「ひめごと」が出来てしまったのだ。かたかたかたと、上原さんは走って階段を上って行って、私は不思議な透明な気分で、ゆっくり上って、外へ出たら、川風が頬ほおにとても気持よかった。 上原さんに、タキシーを拾っていただいて、私たちは黙ってわかれた。 車にゆられながら、私は世間が急に海のようにひろくなったような気持がした。「私には、恋人があるの」 或ある日、私は、夫からおこごとをいただいて淋しくなって、ふっとそう言った。「知っています。細田でしょう? どうしても、思い切る事が出来ないのですか?」 私は黙っていた。 その問題が、何か気まずい事の起る度毎たびごとに、私たち夫婦の間に持ち出されるようになった。もうこれは、だめなんだ、と私は思った。ドレスの生地きじを間違って裁断した時みたいに、もうその生地は縫い合せる事も出来ず、全部捨てて、また別の新しい生地の裁断にとりかからなければならぬ。「まさか、その、おなかの子は」 と或る夜、夫に言われた時には、私はあまりおそろしくて、がたがた震えた。いま思うと、私も夫も、若かったのだ。私は、恋も知らなかった。愛、さえ、わからなかった。私は、細田さまのおかきになる絵に夢中になって、あんなお方の奥さまになったら、どんなに、まあ、美しい日常生活を営むことが出来るでしょう、あんなよい趣味のお方と結婚するのでなければ、結婚なんて無意味だわ、と私は誰にでも言いふらしていたので、そのために、みんなに誤解されて、それでも私は、恋も愛もわからず、平気で細田さまを好きだという事を公言し、取消そうともしなかったので、へんにもつれて、その頃、私のおなかで眠っていた小さい赤ちゃんまで、夫の疑惑の的になったりして、誰ひとり離婚などあらわに言い出したお方もいなかったのに、いつのまにやら周囲が白々しくなっていって、私は附き添いのお関さんと一緒に里のお母さまのところに帰って、それから、赤ちゃんが死んで生れて、私は病気になって寝込んで、もう、山木との間は、それっきりになってしまったのだ。 直治は、私が離婚になったという事に、何か責任みたいなものを感じたのか、僕は死ぬよ、と言って、わあわあ声を挙げて、顔が腐ってしまうくらいに泣いた。私は弟に、薬屋の借りがいくらになっているのかたずねてみたら、それはおそろしいほどの金額であった。しかも、それは弟が実際の金額を言えなくて、嘘をついていたのがあとでわかった。あとで判明した実際の総額は、その時に弟が私に教えた金額の約三倍ちかくあったのである。「私、上原さんに逢あったわ。いいお方ね。これから、上原さんと一緒にお酒を飲んで遊んだらどう? お酒って、とても安いものじゃないの。お酒のお金くらいだったら、私いつでもあなたにあげるわ。薬屋の払いの事も、心配しないで。どうにか、なるわよ」 私が上原さんと逢って、そうして上原さんをいいお方だと言ったのが、弟を何だかひどく喜ばせたようで、弟は、その夜、私からお金をもらって早速、上原さんのところに遊びに行った。 中毒は、それこそ、精神の病気なのかも知れない。私が上原さんをほめて、そうして弟から上原さんの著書を借りて読んで、偉いお方ねえ、などと言うと、弟は、姉さんなんかにはわかるもんか、と言って、それでも、とてもうれしそうに、じゃあこれを読んでごらん、とまた別の上原さんの著書を私に読ませ、そのうちに私も上原さんの小説を本気に読むようになって、二人であれこれ上原さんの噂うわさなどして、弟は毎晩のように上原さんのところに大威張りで遊びに行き、だんだん上原さんの御計画どおりにアルコールのほうへ転換していったようであった。薬屋の支払いに就いて、私がお母さまにこっそり相談したら、お母さまは、片手でお顔を覆おおいなさって、しばらくじっとしていらっしゃったが、やがてお顔を挙げて淋しそうにお笑いになり、考えたって仕様が無いわね、何年かかるかわからないけど、毎月すこしずつでもかえして行きましょうよ、とおっしゃった。 あれから、もう、六年になる。 夕顔。ああ、弟も苦しいのだろう。しかも、途みちがふさがって、何をどうすればいいのか、いまだに何もわかっていないのだろう。ただ、毎日、死ぬ気でお酒を飲んでいるのだろう。 いっそ思い切って、本職の不良になってしまったらどうだろう。そうすると、弟もかえって楽になるのではあるまいか。 不良でない人間があるだろうか、とあのノートブックに書かれていたけれども、そう言われてみると、私だって不良、叔父さまも不良、お母さまだって、不良みたいに思われて来る。不良とは、優しさの事ではないかしら。
そう云う中うちにモウ私の頭の上で鋏が鳴出した。若林博士は又も寝台の枕元の籐椅子に埋まり込んで、何やら赤い表紙の洋書を外套のポケットから引っぱり出している様子である。 私は眼を閉じて考え初めた。 私の過去はこうして兎とにも角かくにもイクラカずつ明るくなって来る。若林博士から聞かされた途方もない因縁話や何かは、全然別問題としても、私が自分で事実と信じて差支えないらしい事実だけはこうして、すこしずつ推定されて来るようだ。 私は大正十五年(それはいつの事だかわからないが)以来、この九州帝国大学、精神病科の入院患者になっていたもので、昨日きのうが昨日まで夢中遊行状態の無我夢中で過して来たものらしい。そうしてその途中か、又は、その前かわからないが、一個月ぐらい以前まえに、頭をハイカラの学生風に刈っていた事があるらしい。その時の姿に私は今、復旧しつつあるのだ……なぞと……。 ……けれども……そうは思われるものの、それは一人の人間の過去の記憶としては何という貧弱なものであろう。しかも、それとても赤の他人の医学博士と、理髪師から聞いた事に過ぎないので、真実ほんとうに、自分の過去として記憶しているのは今朝、あの……ブーンンン……という時計の音を聞いてから今までの、数時間の間に起った事柄だけである。その……ブーン……以前の事は、私にとっては全くの虚無で、自分が生きていたか、死んでいたかすら判然しない。 私はいったいどこで生まれて、どうしてコンナに成長おおきくなったか。あれは何、これは何と、一々見分け得る判断力だの……知識だの……又は、若林博士の説明を震え上るほど深刻に理解して行く学力だの……そんなものはどこで自分の物になって来たのか。そんなに夥おびただしい、限りもないであろう、過去の記憶を、どうしてコンナに綺麗サッパリと忘れてしまったのか……。 ……そんな事を考えまわしながら眼を閉じて、自分の頭の中の空洞がらんどうをジッと凝視していると、私の霊魂たましいは、いつの間にか小さく小さく縮こまって来て、無限の空虚の中を、当てもなくさまよいまわる微生物アトムのように思われて来る。……淋しい……つまらない……悲しい気持ちになって……眼の中が何となく熱くなって……。 ……ヒヤリ……としたものが、私の首筋に触れた。それは、いつの間にか頭を刈ってしまった理髪師が、私の襟筋えりすじを剃そるべくシャボンの泡を塗なすり付けたのであった。 私はガックリと項垂うなだれた。 ……けれども……又考えてみると私は、その一箇月以前にも今一度、若林博士からこの頭を復旧された事があるわけである。それならば私は、その一箇月以前にも、今朝みたような恐ろしい経験をした事があるのかも知れない。しかも博士の口ぶりによると、博士が私の頭の復旧を命じたのは、この理髪師ばかりではないようにも思える。もしそうとすれば私は、その前にも、その又以前にも……何遍も何遍もこんな事を繰返した事があるのかも知れないので、とどの詰つまり私は、そんな事ばかりを繰返し繰返し演やっている、つまらない夢遊病患者みたような者ではあるまいか……とも考えられる。 若林博士は又、そんな試験ばかりをやっている冷酷無情な科学者なのではあるまいか?……否。今朝から今まで引き続いて私の周囲まわりに起って来た事柄も、みんな私という夢遊病患者の幻覚に過ぎないのではあるまいか?……私は現在、ここで、こうして、頭をハイカラに刈られて、モミアゲから眉の上下を手入れしてもらっているような夢を見ているので、ホントウの私は……私の肉体はここに居るのではない。どこか非常に違った、飛んでもない処で、飛んでもない夢中遊行を……。 ……私はそう考える中うちにハッとして椅子から飛び上った。……白いキレを頸に巻き付けたまま、一直線に駈け出した……と思ったが、それは違っていた。……不意に大変な騒ぎが頭の上で初まって、眼も口も開けられなくなったので、思わず浮かしかけた尻を椅子の中に落ち付けて、首をギュッと縮めてしまったのであった。 それは二個ふたつの丸い櫛くしが、私の頭の上に並んで、息も吐つかれぬ程メチャクチャに駈けまわり初めたからであった……が……その気持ちのよかったこと……自分がキチガイだか、誰がキチガイだか、一寸ちょっとの間まにわからなくなってしまった。……嬉しいも、悲しいも、恐ろしいも、口惜しいも、過去も、現在も、宇宙万象も何もかもから切り離された亡者もうじゃみたようになって、グッタリと椅子に凭もたれ込んで底も涯はてしもないムズ痒がゆさを、ドン底まで掻き廻わされる快感を、全身の毛穴の一ツ一ツから、骨の髄まで滲み透るほど感銘させられた。……もうこうなっては仕方がない。何だかわからないが、これから若林博士の命令に絶対服従をしよう。前途さきはどうなっても構わない……というような、一切合財をスッカリ諦らめ切ったような、ガッカリした気持ちになってしまった。「コチラへお出いでなさい」 という若い女の声が、すぐ耳の傍でしたので、ビックリして眼を開くと、いつの間にか二人の看護婦が這入はいって来て、私の両手を左右から、罪人か何ぞのようにシッカリと捉えていた。首の周囲まわりの白い布切きれは、私の気づかぬうちに理髪師が取外とりはずして、扉の外で威勢よくハタイていた。 その時に何やら赤い表紙の洋書に読み耽っていた若林博士は、パッタリと頁ページを伏せて立ち上った。長大な顔を一層長くして「ゴホンゴホン」と咳せきをしつつ「どうぞあちらへ」という風に扉の方へ両手を動かした。 顔一面の髪の毛とフケの中から、辛かろうじて眼を開いた私は、看護婦に両手を引かれたまま、冷めたい敷石を素足で踏みつつ、生れて初めて……?……扉の外へ出た。 若林博士は扉の外まで見送って来たが、途中でどこかへ行ってしまったようであった。 扉の外は広い人造石の廊下で、私の部屋の扉と同じ色恰好をした扉が、左右に五つ宛ずつ、向い合って並んでいる。その廊下の突当りの薄暗い壁の凹くぼみの中に、やはり私の部屋の窓と同じような鉄格子と鉄網かなあみで厳重に包まれた、人間の背丈ぐらいの柱時計が掛かっているが、多分これが、今朝早くの真夜中に……ブウンンンと唸うなって、私の眼を醒まさした時計であろう。どこから手を入れて螺旋ねじをかけるのか解らないが、旧式な唐草模様の付いた、物々しい恰好の長針と短針が、六時四分を指し示しつつ、カックカックと巨大な真鍮の振子球ふりこだまを揺り動かしているのが、何だか、そんな刑罰を受けて、そんな事を繰り返させられている人間のように見えた。その時計に向って左側が私の部屋になっていて、扉の横に打ち付けられた、長さ一尺ばかりの白ペンキ塗の標札には、ゴジック式の黒い文字で「精、東、第一病棟」と小さく「第七号室」とその下に大きく書いてある。患者の名札は無い。 私は二人の看護婦に手を引かれるまにまに、その時計に背中を向けて歩き出した。そうして間もなく明るい外廊下に出ると、正面に青ペンキ塗、二階建の木造西洋館があらわれた。その廊下の左右は赤い血のような豆菊や、白い夢のようなコスモスや、紅と黄色の奇妙な内臓の形をした鶏頭けいとうが咲き乱れている真白い砂地で、その又向むこうは左右とも、深緑色の松林になっている。その松林の上を行く薄雲に、朝日の光りがホンノリと照りかかって、どこからともない遠い浪の音が、静かに静かに漂って来る気持ちのよさ……。「……ああ……今は秋だな」 と私は思った。冷やかに流るる新鮮な空気を、腹一パイに吸い込んでホッとしたが、そんな景色を見まわして、立ち止まる間もなく二人の看護婦は、グングン私の両手を引っぱって、向うの青い洋館の中の、暗い廊下に連れ込んだ。そうして右手の取付とっつきの部屋の前まで来ると、そこに今一人待っていた看護婦が扉を開いて、私たちと一緒に内部なかに這入った。 その部屋はかなり大きい、明るい浴室であった。向うの窓際に在る石造いしづくりの浴槽ゆぶねから湧出す水蒸気が三方の硝子ガラス窓一面にキラキラと滴したたり流れていた。その中で三人の頬ぺたの赤い看護婦たちが、三人とも揃いのマン丸い赤い腕と、赤い脚を高々とマクリ出すと、イキナリ私を引っ捉えてクルクルと丸裸体まるはだかにして、浴槽ゆぶねの中に追い込んだ。そうして良いい加減、暖たまったところで立ち上るとすぐに、私を流し場の板片いたぎれの上に引っぱり出して、前後左右から冷めたい石鹸シャボンとスポンジを押し付けながら、遠慮会釈もなくゴシゴシとコスリ廻した。それからダシヌケに私の頭を押え付けると、ハダカの石鹸をコスリ付けて泡沫あわを山のように盛り上げながら、女とは思えない乱暴さで無茶苦茶に引っ掻きまわしたあとから、断りもなしにザブザブと熱い湯を引っかけて、眼も口も開けられないようにしてしまうと、又も、有無うむを云わさず私の両手を引っ立てて、「コチラですよ」 と金切声で命令しながら、モウ一度、浴槽ゆぶねの中へ追い込んだ。そのやり方の乱暴なこと……もしかしたら今朝ほど私に食事を持って来て、非道ひどい目に会わされた看護婦が、三人の中うちに交まじっていて、復讐かたきを取っているのではないかと思われる位であったが、なおよく気を付けてみると、それが、毎日毎日キ印を扱い慣れている扱いぶりのようにも思えるので、私はスッカリ悲観させられてしまった。 けれどもそのおしまいがけに、長く伸びた手足の爪を截きってもらって、竹柄たけえのブラシと塩で口の中を掃除して、モウ一度暖たまってから、新しいタオルで身体からだ中を拭ぬぐい上げて、新しい黄色い櫛で頭をゴシゴシと掻き上げてもらうと、流石さすがに生れ変ったような気持になってしまった。こんなにサッパリした確かな気持になっているのに、どうして自分の過去を思い出さないのだろうかと思うと、不思議で仕様がないくらい、いい気持になってしまった。「これとお着換なさい」 と一人の看護婦が云ったので、ふり返ってみると、板張りの上に脱いでおいた、今までの患者服は、どこへか消え失せてしまって、代りに浅黄色の大きな風呂敷包みが置いてある。結び目を解くと、白いボール箱に入れた大学生の制服と、制帽、霜降りのオーバーと、メリヤスの襯衣シャツ、ズボン、茶色の半靴下、新聞紙に包んだ編上靴あみあげくつなぞ……そうしてその一番上に置いてある小さな革のサックを開くと銀色に光る小さな腕時計まで出て来た。 私はそんなものを怪しむ間もなく、一つ一つに看護婦から受取って身に着けたが、その序ついでに気を附けてみると、そんな品物のどれにも、私の所持品である事をあらわす頭文字のようなものは見当らなかった。しかし、そのどれもこれもは、殆ど仕立卸したておろしと同様にチャンとした折目が附いている上に、身体をゆすぶってみると、さながらに昔馴染むかしなじみでもあるかのようにシックリと着心地がいい。ただ上衣の詰襟つめえりの新しいカラが心持ち詰まっているように思われるだけで、真新しい角帽、ピカピカ光る編上靴、六時二十三分を示している腕時計の黒いリボンの寸法までも、ピッタリと合っているのには驚いた。あんまり不思議なので上衣のポケットに両手を突込んでみると、右手には新しい四ツ折のハンカチと鼻紙、左手には幾何いくら這入っているかわからないが、滑やわらかに膨らんだ小さな蟇口がまぐちが触さわった。 私は又も狐に抓つままれたようになった。どこかに鏡はないか知らんと、キョロキョロそこいらを見まわしたが、生憎あいにく、破片かけららしいものすら見当らぬ。その私の顔をやはりキョロキョロした眼付きで見返り見返り三人の看護婦が扉を開けて出て行った。 するとその看護婦と入れ違いに若林博士が、鴨居よりも高い頭を下げながら、ノッソリと這入って来た。私の服装を検査するかのように、一わたり見上げ見下すと、黙って私を部屋の隅に連れて行って、向い合った壁の中途に引っかけてある、洗い晒ざらしの浴衣ゆかたを取り除のけた。その下から現われたものは、思いがけない一面の、巨大おおきな姿見鏡であった。 私は思わず背後うしろによろめいた。……その中に映っている私自身の年恰好が、あんまり若いのに驚いたからであった。
焼け死ぬる思い。苦しくとも、苦しと一言、半句、叫び得ぬ、古来、未曾有、人の世はじまって以来、前例も無き、底知れぬ地獄の気配を、ごまかしなさんな。 思想? ウソだ。主義? ウソだ。理想? ウソだ。秩序? ウソだ。誠実? 真理? 純粋? みなウソだ。牛島の藤は、樹齢千年、熊野の藤は、数百年と称えられ、その花穂の如きも、前者で最長九尺、後者で五尺余と聞いて、ただその花穂にのみ、心がおどる。 アレモ人ノ子。生キテイル。 論理は、所謂、論理への愛である。生きている人間への愛では無い。 金と女。論理は、はにかみ、そそくさと歩み去る。 歴史、哲学、教育、宗教、法律、政治、経済、社会、そんな学問なんかより、ひとりの処女の微笑が尊いというファウスト博士の勇敢なる実証。 学問とは、虚栄の別名である。人間が人間でなくなろうとする努力である。 ゲエテにだって誓って言える。僕は、どんなにでも巧く書けます。一篇の構成あやまたず、適度の滑稽こ、読者の眼のうらを焼く悲哀、若しくは、粛然、所謂いわゆる襟を正さしめ、完璧のお小説、朗々音読すれば、これすなわち、スクリンの説明か、はずかしくって、書けるかっていうんだ。どだいそんな、傑作意識が、ケチくさいというんだ。小説を読んで襟を正すなんて、狂人の所作である。そんなら、いっそ、羽織袴でせにゃなるまい。よい作品ほど、取り澄ましていないように見えるのだがなあ。僕は友人の心からたのしそうな笑顔を見たいばかりに、一篇の小説、わざとしくじって、下手くそに書いて、尻餅ついて頭かきかき逃げて行く。ああ、その時の、友人のうれしそうな顔ったら! 文いたらず、人いたらぬ風情、おもちゃのラッパを吹いてお聞かせ申し、ここに日本一の馬鹿がいます、あなたはまだいいほうですよ、健在なれ! と願う愛情は、これはいったい何でしょう。 友人、したり顔にて、あれがあいつの悪い癖、惜しいものだ、と御述懐。愛されている事を、ご存じ無い。 不良でない人間があるだろうか。 味気ない思い。 金が欲しい。 さもなくば、 眠りながらの自然死! 薬屋に千円ちかき借金あり。きょう、質屋の番頭をこっそり家へ連れて来て、僕の部屋へとおして、何かこの部屋に目ぼしい質草ありや、あるなら持って行け、火急に金が要る、と申せしに、番頭ろくに部屋の中を見もせず、およしなさい、あなたのお道具でもないのに、とぬかした。よろしい、それならば、僕がいままで、僕のお小遣い銭で買った品物だけ持って行け、と威勢よく言って、かき集めたガラクタ、質草の資格あるしろもの一つも無し。 まず、片手の石膏像。これは、ヴィナスの右手。ダリヤの花にも似た片手、まっしろい片手、それがただ台上に載っているのだ。けれども、これをよく見ると、これはヴィナスが、その全裸を、男に見られて、あなやの驚き、含羞旋風、裸身むざん、薄くれない、残りくまなき、かッかッのほてり、からだをよじってこの手つき、そのようなヴィナスの息もとまるほどの裸身のはじらいが、指先に指紋も無く、掌に一本の手筋もない純白のこのきゃしゃな右手に依って、こちらの胸も苦しくなるくらいに哀れに表情せられているのが、わかる筈だ。けれども、これは、所謂、非実用のガラクタ。番頭、五十銭と値踏みせり。 その他、パリ近郊の大地図、直径一尺にちかきセルロイドの独楽、糸よりも細く字の書ける特製のペン先、いずれも掘出物のつもりで買った品物ばかりなのだが、番頭笑って、もうおいとま致します、と言う。待て、と制止して、結局また、本を山ほど番頭に背負わせて、金五円也を受け取る。僕の本棚の本は、ほとんど廉価の文庫本のみにして、しかも古本屋から仕入れしものなるに依って、質の値もおのずから、このように安いのである。 千円の借銭を解決せんとして、五円也。世の中に於ける、僕の実力、おおよそかくの如し。笑いごとではない。 デカダン? しかし、こうでもしなけりゃ生きておれないんだよ。そんな事を言って、僕を非難する人よりは、死ね! と言ってくれる人のほうがありがたい。さっぱりする。けれども人は、めったに、死ね! とは言わないものだ。ケチくさく、用心深い偽善者どもよ。 正義? 所謂階級闘争の本質は、そんなところにありはせぬ。人道? 冗談じゃない。僕は知っているよ。自分たちの幸福のために、相手を倒す事だ。殺す事だ。死ね! という宣告でなかったら、何だ。ごまかしちゃいけねえ。 しかし、僕たちの階級にも、ろくな奴がいない。白痴、幽霊、守銭奴、狂犬、ほら吹き、ゴザイマスル、雲の上から小便。 死ね! という言葉を与えるのさえ、もったいない。 戦争。日本の戦争は、ヤケクソだ。 ヤケクソに巻き込まれて死ぬのは、いや。いっそ、ひとりで死にたいわい。 人間は、嘘をつく時には、必ず、まじめな顔をしているものである。この頃の、指導者たちの、あの、まじめさ。ぷ! 人から尊敬されようと思わぬ人たちと遊びたい。 けれども、そんないい人たちは、僕と遊んでくれやしない。 僕が早熟を装って見せたら、人々は僕を、早熟だと噂した。僕が、なまけものの振りをして見せたら、人々は僕を、なまけものだと噂した。僕が小説を書けない振りをしたら、人々は僕を、書けないのだと噂した。僕が嘘つきの振りをしたら、人々は僕を、嘘つきだと噂した。僕が金持ちの振りをしたら、人々は僕を、金持ちだと噂した。僕が冷淡を装って見せたら、人々は僕を、冷淡なやつだと噂した。けれども、僕が本当に苦しくて、思わず呻いた時、人々は僕を、苦しい振りを装っていると噂した。 どうも、くいちがう。 結局、自殺するよりほか仕様がないのじゃないか。 このように苦しんでも、ただ、自殺で終るだけなのだ、と思ったら、声を放って泣いてしまった。 春の朝、二三輪の花の咲きほころびた梅の枝に朝日が当って、その枝にハイデルベルヒの若い学生が、ほっそりと縊れて死んでいたという。「ママ! 僕を叱って下さい!」「どういう工合いに?」「弱虫! って」「そう? 弱虫。……もう、いいでしょう?」 ママには無類のよさがある。ママを思うと、泣きたくなる。ママへおわびのためにも、死ぬんだ。 オユルシ下サイ。イマ、イチドダケ、オユルシ下サイ。年々やめしいのままに鶴つるのひな育ちゆくらしあわれ 太るも (元旦がんたん試作) モルヒネ アトロモール ナルコポン パントポン パビナアル パンオピン アトロピン プライドとは何だ、プライドとは。 人間は、いや、男は、(おれはすぐれている)(おれにはいいところがあるんだ)などと思わずに、生きて行く事が出来ぬものか。 人をきらい、人にきらわれる。 ちえくらべ。 厳粛=阿呆感あほうかん とにかくね、生きているのだからね、インチキをやっているに違いないのさ。 或る借銭申込みの手紙。「御返事を。 御返事を下さい。 そうして、それが必ず快報であるように。 僕はさまざまの屈辱を思い設けて、ひとりで呻いています。 芝居をしているのではありません。絶対にそうではありません。 お願いいたします。 僕は恥ずかしさのために死にそうです。 誇張ではないのです。 毎日毎日、御返事を待って、夜も昼もがたがたふるえているのです。 僕に、砂を噛ませないで。 壁から忍び笑いの声が聞えて来て、深夜、床の中で輾転しているのです。 僕を恥ずかしい目に逢わせないで。 姉さん!」